幸せと思うべき私の日常はどこかお(か)しい

1²(一之二乗)

プロローグ

 ………やっとだ。

 やっと、あの地獄の中学生活からおさらばできる。

 よく耐えたよ、私。

「桃井菜千さん」

 私の名前が呼ばれた。

「はいっ!」

 私は立ち上がる。

 この卒業式を終えれば、私の青春が遂に花開くんだ……!

 立ち上がった私は、他の生徒が座る椅子の間をスルスルと抜ける。

 体育館の壇上へ上がるための階段前で止まり、来賓と先生へ順に会釈。

 そして一歩一歩踏み締めて階段を上る。

 壇上に上がり、緊張で興奮気味な気持ちを抑えながら、微笑む校長(女)の元へゆっくりと向かう。

「桃井菜千さん。以下同文です」

 おめでとう、という一言と一緒に卒業証書が私に渡される。

 私はそれを何回も練習させられた通りに一歩前に出て左手から卒業証書を手に取る。

 後ろに一歩下がり軽くお辞儀、頭をあげて卒業証書を腰に抱える。

「回れ右」をすると色んな人間が私に視線を浴びせているのが分かった。

 壇上に立つ私に、座っている保護者や生徒、先生、来賓などいろんな人が注目する。

 これから始まる薔薇色の花道のためだ。注目されるのは苦手だが、これしきの視線、余裕で突破してみせる。

「………ふぅ……!」

 そう、余裕で。

 私は力が抜けそうになる脚に発破をかけて中央に設置されている仮の階段を降りる。

「ダイジョウブダイジョウブダイジョウブ……」

 唇がプルプルと震えているのが分かる。

 しかし、どうせこれで最後なのだ。最後くらい堂々と終わってみせる……!

 私は卒業証書を所定の位置へ置き、自分の席へ戻る。

 全員の証書授与が終わり、合唱やら、旅立ちの詩やらの卒業式イベントをこなす。

「………卒業生、退場」

 副校長が終わりを惜しむかのようにゆっくりと言う。

 私を含めた卒業生全員が立ち上がる。

 周りの女子達全員が泣き顔を晒す中、私だけが平然な顔をしている。

 泣けるほどの思い出が私にはないのだ。

 泣くにしても、それは別れの寂しさから来るものではなく、中学生活から解放される喜びから来る涙だ。

 ってそんな事はどうでもいい。最後の難関が迫ってきている。

 退場時、男女は並んで卒業式ムードいっぱいの体育館を出るのだ。

 入場時は一人ずつ名前を呼ばれての入場だったからよかった。

 退場時もそうはいかないだろうか………?

 そんな事を考えている内に、一人また一人と退場していく列に加わっていく。

 そして遂に私の出番がきた。

 きてしまった。

「フゥ…」

 小さく深呼吸。いいか菜千。間違っても男子と目を合わせるな。

 ……よし、行ってこい!

 私は顔を上げて列に加わった。

 ……早く、早くしてくれ……!

 在校生の間、クリア。

 続いて保護者の間、クリア。

 そして遂に。

 …出口、出口だ……!

 ヒーターや人々の熱気でむわっとしていた体育館から一変、涼しく感じる廊下へ足を運ぶ。

 頑張った私を労うかのように涼しい空気が頬を撫でる。

 やりきった。

 ここまで来るのに長い年月を費やした。必然的に。

 緊張が無くなったからか、少しふらつく。

 顔から血がサーと無くなるのが感覚で分かった。

「………大丈夫?」

 ……ん?誰の声?

 思わず私は声がした方を向く。

「顔色、悪いよ?保健室行った方がいいんじゃない?」

 話しかけてきたのは、私とペアになって退場した男子だった。

「え?」

 予想外だった。

 まさか話しかけられるとは。一度も話したことないのに。

 男子に話しかけられて頭が真っ白になった私は、目をぱちくりさせてフラフラと後ろへ下がる。

 足からだんだんと力が抜けていくのがわかる。

「えっ、ちょっと!」

 その時だった。

 倒れそうになる私の腕をその男子が掴んだのだ。

「……………あっ……」

 強く握られた私の腕。

 なぜ神はこのシチュエーションに私を選んだのか。他に適役はいなかったか?ほら、同じクラスの高山さんとかそういうの好きそうじゃん………

 男子は苦手なんだってば………

 そして、私は気を失った。

「ちょっ!ちょっと!桃井さん!?どうしたの!?」

 ……3月。卒業式。

 友と語り合うこともなく、私は中学生の自分に別れを告げた。



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