どうせ理解されないと思って

瀞石桃子

第1話



どうせ理解なんてされないと思って書くんだけど。彼は無類のというほどでないが、たいがいな動物好きな男だ。ところが近年は植物の方が楽しいということらしくて、私としては動いているもののほうがいいんじゃない?なんて思うんだけど、あの男ときたら動物は逃げるから、だの蝶はつかまえるのにエネルギーがいるとか言うし、植物は逃げないし、一度発芽して発根しだしたらそこから動くことはできないで、ずっとそこで生きていかなきゃいけないから、それがすごいと思う、みたいなことを言うわけで。植物は動物よりもタフなんだ、という言葉、彼はわりと好きらしくて、私はたまに彼と遊びに行ったりすると、なんかそのあたりに生えている葉っぱとか見て、かと思うと茎から先を千切ってなんか細かく見てるわけ。で、目をつぶって額をトントンたたきながらぶつぶつ呟いているんだよね、なんか一緒にいると気持ちが悪いんだけど、もうそういう人間なんだって諦めている部分はある。で、葉っぱなりを千切って、どうやらそれが何者かわかるみたい。その植物の、名前。こないだはなんか、センダングサがどうのこうの言っていたのを覚えている。私が知っているのはセイタカアワダチソウくらいなんだけどね、まあ、知っていてそれが何か生活に役に立つかというとそうでもないんだけど、やっぱりモノの名前は知っていた方が得だから、私もとりあえず名前聞いたりして、覚えられたら覚えようとする。スマホのメモに植物の名前だけ書いたフォルダとかが一つにまとめられている。とは言ってもさ、実際はほとんど見分けはつかわないわけ。たしかに近づいたりして、よくよく見ると微妙に違うのはわかるけど、普通の人はそこまで見てないからね。すなわちそれは彼が普通じゃないっていう、まあその部分だけ注目するとっていう話だけどさ。道端の雑草、いや、雑草とかいうと怒られそうなんだけど、道路傍の植物を見て、あっ、ナニナニがあるとかそんなの関心がある人少ないもんね。それはそれで別にいいんだけど、彼はたとえばどっか旅行とか一緒に行くときは双眼鏡をかならず持参する。景色でも見るの、って聞いてみたら山の植物を見る、あと鳥も、って言うんだよね。バードウォッチング、とマウンテン、うんちゃら。まあ百歩譲ってバードウォッチングはある程度理解もできる。でも山の植物って、双眼鏡でわかるものなのかなって、率直に思うんだよね。もちろんそれに関してはいろいろ諭されるように言われた。ちゃんと覚えてないけど、コナラとかクリとかアラカシとかヤマザクラとかあるんだって。ヤマザクラっていうのも、あるの知らなかった。春に咲くのって聞いたら、ふつうお前が目にするソメイヨシノよりも花期がすこし早くて、開葉と同時に開花する点もソメイヨシノとは異なるって言ってた。だからなに、って感じ。山でみたらヤマザクラなの?っても聞いたら、ソメイヨシノはまず山に植えない、っていう言葉に始まって、日本のサクラの自生種はCerasus jamazakuraだから、とか、うんとなんだっけ、耐性的にはソメイヨシノよりもヤマザクラの方が強いらしくて、ほんとうは街路樹とかにするならヤマザクラの方がいいと思うっても言ってた。その、なんだ、ケラサス・邪魔ザクラ?って発音あってるのかも聞いたら、ケラサスヤマザクラなんだって。どうしてjamazakuraなのにヤマザクラって読むのかどうしても理解できなかったんだけど、そしたら学名はラテン語読みだからjaはヤって読むんだって。わざわざラテン語にする意味〜って感じだけど、昔からの慣習みたい。ラテン語は古いし、これから変化する言語でもないから恒久的に使っていけるらしい。日本語とか英語とかは、時代とともに言葉の意味とか音とか微妙に変化するからほんとうはどうかな、って思ってる、けれど、国際命名規約が新しくなって、植物以外の生物に関してはいくつかの公用語による命名も可能になったんだと。なんで植物はダメなの、って聞いたら植物の世界は全体的に他の科学より遅れている、っていうのが理由の一つ、もう一つはこれまで目で見たり形態や生態から種の分類をしていたけれど、1990年代から生物の遺伝子情報を用いた種の同定であったり特定が行われるようになってきて、まあ簡単にいうと昔の分類の系統と現代主流となっている分類の系統がどうやら異なるという問題が生じてきた、その結果いろいろ分類系統であったり分類の仕方について混乱が表出しつつあって、今のところは新種が記載されても、「とりあえず」という形でラテン語にしているっていう現実があるんだ、と説明された。いろいろ理解が追いついてない部分あるんだけど、それ以前になんでそんなに詳しいのか聞いてみたら、人間の常識とかいうから、マジなんなんって感じだった。怒ったところで私が敵うような話でもないので、引いたけれど。あー、っと、でなんの話だったか忘れた。とにかく私の彼は生物全般に対して底知れない興味があるみたいで、とにかく生きていればなんでもいいらしい。嘘っぽい言い方なんだけど、よくよく見ていると、そうだなあ、彼の半分は生き物のことで生活が回っているみたい。最近の人はさ、モノを知らないから、とかジジくさいこと普通に言うのがとにかく癪で、反論したりするんだけど、でも明らかに知識と経験ていう点では圧倒的に勝てないし、私が知らないような場所もたいがい知っているし、なんで、って感じなんだけど、前にふらっと来たの覚えているからね、とかいうから、いやいつ行ったんだ、って感じ。そんなのがしょっちゅうだし、あーそこ俺も行ったなあ、いつだっけ、5年前の6月だ、授業が終わってそのままの足で新潟行ってきたよ、とか普通にいう男だ。それが普通というのは普通じゃないんだけど。どういう時間の使い方とお金の使い方をしているのか、予想の範疇を軽々と超えてくるやつなのだ。ある程度嘘も混じっているのかもしれないけど、嘘を真実っぽく補完させるための言い方というか説得力というか、なんといえばいいかよくわからない。あー、で、あのさ、生きていればなんでもいいんだよね、って聞いたら、そう生きているものはなんでもいい、っていうから、じゃあ人間もなんでもいいの?って聞いたら、いや、人間はダメ。人間だけは、いない方がいいって言い出したの。しかも大真面目な顔で。いつものテンションじゃないんだよね、それが。人間って全部ダメ?って聞くと、ダメな部分が目立ってきて、結果的に全体的にダメになってしまった、のだと。直截的な表現だと、人間を受け入れることができなくなってきた、とか言う。でも自分も人間でしょ、って言い返したらそれは仕方ない、でも親がいなくなったらそのときは早めに死ぬ、らしい。その考えはほんとうに理解できないんだけど、中学生のときに決めた夢のひとつなんだって。それは夢と呼べるのか? 友達とかいるじゃん、とかも言うんだけど、中学高校大学通じて友人と呼べる人は二人しかいないから、その人たちにならまあいっかなって思う、って、だからなにその判断、って感じ。続けて、親が死ぬまではとりあえず面倒みないとなって思うけどそのあとはどうせ一人になるんだから、早く死にたいんだって。じゃあ、私は、って言いかけたんだけど、もしかしたらそのとき私はそこにいないんじゃないかと不意に怖くなってしまった。彼は別に一人で生きようと思えば全然生きていけるタイプだし、相手がいるといい加減になってしまうだから、彼はほんとうは一人で生きる方向にシフトしたいのかもしれない。前に聞いたら、一人でやりたいこといっぱいあるんだよ、って言っていたし。なにを?って具体的に聞くんだけど、まあいろいろ、ってしか答えが来なかった。料理とか旅とか?かな、って思ったけど、いや、今の段階でも日常的にやっているから違うなって、なって。でも、とにかく彼は一人でやりたいことがあるらしい。いくつもあるらしい。じゃあ私のこと放っておいたらいいじゃん、って、つい口に出たときがあったんだけど、そのときは、あー、放っておいてもいいけど、お前一人じゃ無理じゃない?って言われてなんかそこでいろいろ気持ちがモヤモヤしてしまって、なんか、たしかに今までいろんなこと、新しいこととか彼に頼っていた部分が多かったなあと認めることはある。自分の判断とかも、結局は半分彼の考えに賛成した形が多いっていう。精神的な部分で、どうにも彼をアテにしていた点は否めない。と、しかし、じゃあ私自身彼に何かしてあげられたかというとなあ、まあないこともないけれど、彼にしてきてもらったことに比べると、正直大したことないので、そういう観点からすると、彼は問題なく一人で生きていける力を備えていて、私にはそれが足りていない、気はする。まして自分から、自分のわがままな一言で彼を手放していいものだろうかって思う。突き詰めると、お世話になっているのは自分のほうで、お世話をしているのは実質的に彼だな、と思わざるを得ない。とはいえ、この先私は彼とちゃんと結婚までするのか考える段になって、私は女としての自信がなくなっていく。というより、パートナーとしての役割はなんだろうと考えてしまう。彼はあんまり人に興味を持つ人間でもないし、草食系って感じだから、そうそう他の女に気移りすることも滅多でないんだろうけど、じゃあ、私でいいのか、っていう疑問はどうなんだ、解決してるの?っていう話で。ただなんとなく一緒の時間を過ごしている感じで、好きは好きどうしで、かと言ってそれ以上は、あるのかな。あってほしいし、ないと夫婦になっていいのかっていう不安もある。私の女友達は子どもができてから夫婦になった気がするっていう子もいたりするし、結婚してからの時間も大事なんだろうなぁ、って思うけれど、現状、私は大丈夫、なのかな。っていう。というか、よくわからん。なんだこの話は。つい先日、友人の結婚式にお呼ばれして、僭越ながら友人代表挨拶を任されて、まあそのために色々と文章を考えたわけだ。お札も多めがいいかとか、手紙にするかスピーチにするかとかさ、なんとかかんとか考えているうち、最初は誰にも相談しないつもりだったんだけど、いつの間にか彼は気づいていたらしくて、それ専用のマニュアル本みたいなのが私の机に置かれていたりして。そういうさりげない気遣いができるのはいいなあと思うし、そういうエピソードもあったから、友人代表スピーチの文言に利用させてもらったりした。それはそうとして、この話のゴールが見えなくなってきたから、この辺りで打ち止めにしよう。

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