撤退の運び屋

第41話「撤退」

 月明りを頼りに、暗闇の草原を進んでいた。

 ドゥムノニアの哨戒部隊の影をいくつかやり過ごす。

 予想していたよりはるかに多い敵の姿に、俺は傷だらけの体を引きずって、かなりの遠回りをせざるを得なかった。

 草原の向こうに見えている仲間の明かりが、ひどく遠くに感じる。

 それでも、敵に見つかれば反撃する間もなく殺されてしまうであろうこの状況では、点在する藪やドゥムノニア兵の死体に隠れながら、少しずつ進むことしかできなかった。


『……そこに誰ぞおるか?』


 突然、目指していた藪から声がする。

 しかも、その言葉は共通語コモンではなく、だった。

 音をたてないように姿勢を低くして、俺はその声の主を月明りに透かし見る。

 青白い光に浮かび上がったのは、ドゥムノニア人に多い大麦の穂の色をした長い髪。

 戦場には不似合いな聖職者のマントを羽織った年若い女性の姿だった。


『余はプリスニス・ロシュ=ベルナールである。ケガを負い、護衛ともはぐれてしもうたのだ。そのほう、陣まで護衛をすれば褒美を取らそう』


 ドゥムノニア語は、以前第一階層で助けたドゥムノニアの冒険者から、少しだけ教わったことがある。

 話し方の雰囲気と、ロシュ=ベルナールという王族に連なる有名な家名。そして「護衛」「褒美」という単語から、この女性がやんごとなき身分であろうことは想像できた。

 周囲を確認する。

 どうやら本当に一人らしい。

 俺は立ち上がり、プリスニスへと近づいた。


『っ?! 冒険者か?!』


 月の光の下へ進み出た俺の姿に、プリスニスは宝石の飾られた錫杖をこちらに向ける。

 精一杯の攻撃であろうその錫杖を、俺は簡単に素手でそらした。


『寄るなっ! 無礼であろう!』


『ケガ……治療……え~っと……』


 何とかドゥムノニア語でコミュニケーションを図ろうとして単語を並べたが、何か国語も使いこなせるほど器用ではない。

 俺はあきらめて共通語コモンに切り替えた。


「……すまないがドゥムノニア語はよくわからないんだ。共通語コモンは話せるか?」


「バカにするでない。たとえ蛮族の言葉であろうとも、余に使えぬ言葉なぞないわ」


「そりゃあ良かった。足を怪我しているだろう? 見せてみろ」


 プリスニスの返事を待たず、俺は彼女の前にかがみこむ。

 一瞬恐怖に身を固くしたプリスニスは、すぐに強固な自制心を発揮して、傷を俺に見せた。

 膝の上、腿の外側に大きな血のシミと刀傷がある。

 俺は無言でローブを引き裂き、リュックから取り出したポーションで、あらわになった傷口を洗った。


「骨は折れていないようだ。幸い太い血管も傷つけていない。ポーションを飲んでしばらくすれば、歩けるようにはなるだろう」


 リュックからもう一本ポーションを取り出し、「飲んでおけ」と渡す。

 毒でも渡されたのかと警戒したプリスニスは、栓を抜いてにおいをかぎ、もう一度俺を見ると、意を決したように飲み下した。

 体の内側から治癒の術式が魔法元素マナを取り込んでゆくのが見える。

 リュックから取り出した清潔な包帯で傷口を縛って、俺は立ち上がった。


「腹は減ってるか?」


 問いかけに返事はない。

 無言を肯定の意と判断し、まだほのかに暖かいパンとベーコン、それから革の袋に入った蜂蜜種ミードを手渡した。

 プリスニスは、食い物を両手に持ったまま食べようとしない。


「あんた貴族だろ? 冒険者風情の食い物は口に合わないかもしれんが、食っとかないと体がもたないぞ」


「貴族?」


「あぁ、違うのか?」


「そうさな……何の力も持たぬが、まぁそのようなものだ」


 歯切れの悪いプリスニスの言葉を聞きながら、俺は自分の分のパンとベーコンを口に放り込み、むしゃむしゃと咀嚼する。

 パンの香りとベーコンの脂が口に広がり、鼻に抜けた。

 もう一枚、ベーコンを食べ、甘いミードで流し込む。

 ケガと疲労で何も感じなくなっていた胃が急に活動を開始し、おもわず「げふっ」という音が出た。


「……っと、失礼」


 プリスニスは冷たい目で俺を見る。

 それでも食い物に口をつけないまま、彼女は目を伏せた。


「そのほう。余を人質にでもする腹積もりか?」


「いや……あぁ、そうか。確かに貴族だったら人質になるな」


「ふん、無駄だぞ。余は兄上にうとまれておるからな」


 自嘲的な笑み。

 整ったプリスニスの顔に影が下りる。

 先ほどまでの傲岸不遜ごうがんふそんな態度とは打って変わって、その姿は年相応のはかなげな少女そのものだった。

 アミノやロウリーほどではないが、たぶんマグリアと同じくらいの年だろう。

 たぶん心配しているであろう仲間たちの姿を思い出し、俺は小さく息を吐いた。


「人質にならないなら仕方がない。歩けるようになったら陣へ帰れ」


「殺さぬのか?」


「そうだな……殺すのが正しいのかもしれない。ここは戦場だしな」


「覚悟はできておるぞ。ただ……そのほうに慈悲の心があるなら、苦しまぬよう一思いにたのむ」


 ローブの裾を整え、マントの襟元を正したプリスニスが目をつむる。

 俺は彼女を見下ろしながら、リュックに手を突っ込んで薪とファイアースティックを取り出した。

 薪を積み、アーティファクトの力で火をつける。

 小さな火はすぐに燃え上がり、冷え込んできた夜の空気を温めた。

 プリスニスの目が薄く開く。

 それを見て、俺は笑った。


「慈悲の心は持っているつもりだが、残念なことに剣の技術は持っていない。俺に切られたら痛いぞ――」


 あっけにとられているプリスニスのマントの留め具が、焚火の光を反射してきらめいていた。

 その模様はどこかで見たことがある。俺はかがみこんで顔を近づけた。


「な……何ごとだ! 余を汚す気なら舌を噛むぞ!」


 まだ痛むであろう足を引きずって、プリスニスが身を引く。

 その間に模様を確認した俺は、リュックから襟章えりしょうを取り出した。

 第六層へのアタックの際に見つけた小さな襟章の模様は、プリスニスの留め具をそのまま小さくしたように、全く同じだ。

 いつか持ち主に返そう。

 その俺の思いは、意外な場所で実現しそうだった。

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