第十五章 誓いの湖城

p.121 星降る丘

 

 フィルナルから正式に竜の封印を解きに行くという話がルーシャのもとへと届いた。セトの旅立ちの翌日、一週間後に出発となること、相当厳しい旅路になるため十分な準備をするようにとお達しが来た。旅先や旅程については極秘のため、リヴェール=ナイトしか知らないらしいが、いくつもの山を超えるとだけ伝えられた。


 そして、何よりも驚いたのは大魔導士のシバが同行するということだった。いくら大魔導士とはいえシバは御歳80を超えるご老体であり、過酷な旅路は身体への負担が心配される。当の本人は「年寄り扱いするんじゃないよ」とは言ってるが、心配せずにはいられない。


 だが、リヴェール=ナイトの心配は別のところにあった。


「リルトが同行を拒否している」


 いつも表情を崩すことなく過ごしているリヴェール=ナイトが珍しく、暗い表情でシバの自宅を訪ねていた。現段階での旅のメンバーはルーシャ、フィルナル、シバ、リヴェール=ナイトだった。フィルナルは本来、何かあった時に備え本部で指揮を取るほうが懸命だが、本人たっての願いで旅に出ることになった。


 そのため、フィルナルに変わって指揮を取るのが魔力協会の副会長・リュカであり、その補佐にマシューという魔法術師が割り当てられている。リュカはフィルナルより十歳も年上の魔法術師で、革新的なフィルナルとは相反し保守的な人間だった。良くも悪くも時代を先取りすぎるフィルナルのブレーキ役であり、魔力協会議会での他議員の信頼が厚い男だった。ルーシャもフィルナルと会う時に何度か顔を合わせたことがあるが、温厚で印象が良かった思い出がある。


 そして、マシューはリルトと同じ禁書に封じられていた魔法術師だった。魔法ノ書に封じられており、リルト同様に凄腕の奇術師であったという。リルト曰く、奇術の研究マニアで変わった人間だという。七百年前でも、世界が人間と竜との抗争の日々だと言うのに抗争の仲介など一切せず、自身の研究にひたすらのめり込んでいたという。


 現代で魔法術師となった今でも寝食などそっちのけで魔法術や魔力の研究に没頭しているらしい。リルトのように世界の動向やこれから先のことを心配する様子は無いらしく、論理的思考で的確な助言が定説だという。良くも悪くも合理的な人だと聞いている。


 竜の封印を解くという儀式に絶対必要な人間はいないといい、竜の眠りの術がある程度弱くなった段階で竜と共に眠りについた儀式を執り行う者が目覚めるという。

 リヴェール=ナイト曰く、本来ならば別に封印解除の場に誰も赴かなくても良い。然るべき時に儀式を執り行う巫女が目覚め、彼女らの儀式──魔法術のようなもので完全に覇者の眠りは解けるという。


 だが万が一、何らかの理由で巫女たちが目覚めなければ誰かが起こしに行かなければならない。それが最後の〈第二者〉もしくは〈第三者〉だという。本来ならばナーダルがそのことをルーシャに伝えなければならなかったが、ナーダルはそこまで伝えることが出来ずに他界した。リヴェール=ナイトは長く生きており、その事を知っていたため今回の旅の企画者となっていた。


 リヴェール=ナイト曰く、もし伝承が途切れ巫女を起こすものがいなければ、自然に目覚めるのを待つか、永遠に覇者の眠りが解けないかのどちらかの未来になると。


「道中や目的地で何があるか分からないので、俺としては魔法術や古代術に精通しているリルトに来てもらいたいと思ってるのだが」


 明らかに落ち込んだ様子のリヴェール=ナイトに、ルーシャとシバはかける言葉を探す。リヴェール=ナイトは生き字引と言われ、知識やある程度の魔法術や古代術に精通はしているが、膨大な人間の難解な願いを叶え続けてきたリルトの技量はそれを遥かに凌ぐ。


「あたしゃてっきり、リルトは率先して行くのかとおもっていたがねぇ。色々と率先してやってたみたいだし」


「私もです。行かない理由が何なのか知るしかないですね・・・」


 ルーシャとシバも困ったように口を開く。もし旅先で古代術が必要になれば、いかにシバが大魔導士であっても手に負えない。シバは魔法術には精通しているが、はるか昔の失われつつある術は守備範囲外となる。リヴェール=ナイトはかつて奇術師というよりは騎士として名を馳せていたため、やはりもうひとり古代術に詳しい人間が必要になる。かと言って、もう1人の禁書の人間のマシューを連れ行くことは憚れる。


 マシューは魔法術マニアであり、驚く程に周囲の人間関係に無頓着なところがある。論理的思考でのアドバイスは的確だが、人の感情には無頓着で、特にフィルナルと相性が悪い。組織のために淡々と様々なことに着手しているように見えるフィルナルだが、実はそれなりの人情深さがあり、マシューと衝突することが多い。さらにマシューの社交性の無さは今回の旅に向かないどころか、命の危険を招く恐れがある。信頼関係やコミュニケーションが必要な過酷な旅に、正直ルーシャでさえも一度しか会ってはいないがマシューを仲間にはしたくないと思っていた。


 話し合いの結果、やはりリルトの力が必要ということになる。リヴェール=ナイトとルーシャがリルトの説得にあたることとなった。







 * * *




 リヴェール=ナイトから相談を受けた翌日。

 ルーシャとリヴェール=ナイトは、ある場所にリルトを呼び出した。ルーシャは初めて来たのだが、噂だけは聞いたことのある有名な場所だった。


 ルーシャたちがいるのは世界有数の星空を誇り、ほぼ毎日流星が見られるという場所で通称「星降る丘」と呼ばれている場所だった。周囲に建物や明かりがなく、今にも落ちてきそうな星空がルーシャたちを包む。


「んで、わざわざ呼び出して何用?二人揃って」


 ため息混じりのリルトは2人の方を見ずに、丘に寝転がり夜空を見上げる。


くだんのことだ」


「だから、俺が居なくてもあんたやシバの婆さんがいれば大丈夫だろ」


 もう何度も話したことにリルトは少し気だるげに答える。何度かリヴェール=ナイトに今回の旅への同行を説得されているが、リルトはその度に頑なに断っている。


「何でそんなに断るの?」


 当たり前のようにリルトも来ると思っていたルーシャは頑なな態度のリルトに驚く。今までの付き合いでリルトはルーシャやリヴェール=ナイトの頼みや付き合いを基本的には「いいぜ」と、一言で快諾することばかりだった。そんなリルトが今回の件に関してかたくなな態度を貫く真意が知りたかった。


「だから、俺が居なくても何とかなるし」


 何度も言ってきたフレーズを口にするリルトの言葉に感情が籠っていない。


「俺は魔法術云々だけではなく、あなたにも来て欲しいと思っている。友として」


 淡々としながらもリヴェール=ナイトは真っ直ぐな視線をリルトへと向ける。珍しく熱い黒騎士の表情や言葉にリルトは驚く表情を浮かべるが、すぐに瞳を伏せ首を左右に振る。


「なおさら行けない」


「リルト・・・!」


 それ以上の言葉が出てこないリヴェール=ナイトは叫ぶようにリルトの名を呼ぶ。頑なな態度に相反するように、リルトの魔力──感情が揺れ動くのをルーシャは見つめる。何かをリルトは感じているのに、何かに縛られたように動けないでいるようだった。


 暗闇の中、ルーシャはリルトの隣に寝転がり夜空を見上げ、その見る世界を共に見る。吸い込まれそうなほどの闇夜には、数多の星が瞬く。あまりの星の多さに自分を取り巻くものがすっぽり覆われ、色んなことがちっぽけに感じられる。


「リルトは何か引っかかるものがあるんでしょ?」


 隣でその息遣いを感じながら、ルーシャは問いかける。リヴェール=ナイトの言葉や思いが届いてない訳では無い。響いていてなお、何かがリルトを引き止めている。


「・・・俺は」


 片腕を両目の前に置き、リルトは完全なる暗闇を作る。何も見えないその世界には何も映っていない。


「俺にはその資格はないんだよ」


 吐き捨てるような言葉と感情にルーシャは驚き、リヴェール=ナイトは息を飲みリルトの隣に腰かける。

 普段から何でも快く引き受け、明るく人と接するリルト。魔法術のことだけではなく、過去の出来事にも詳しく、積極的に魔力協会に協力している。


 世界が今後どうなるか分からない中、出来ることを最大限しようと動いているように見えていた。


「俺は七百年前、マークレイに所属していた奇術師だったけど何も出来なかった。崩れゆく均衡にも、バラバラになっていくマークレイにも、目の前で失われていく命にも・・何も出来なかった」


 リルトは当時から優秀な奇術師として名を馳せていた。若くして頭角を現し、自国の政にも多く参加していた。奇術師は当時、神官としての立ち位置にいる者が多く、リルトもまたその立ち位置で為政に関わり国を支えていた。


 そんななか、竜や竜人ノ民に対する仕打ちが日に日に非道になっていくこと、小競り合いが多発する中で竜達だけではなく人間にも被害が多く出ていること、そんな彼らを仲介する立場としてマークレイが減弱していくことを多く見てきた。


 竜や竜人ノ民が人と衝突するたびに、リルトもマークレイの人間として仲介や止めに入った。その度に多くの死傷者を目の当たりにし、救えないものの数だけが増えていった。互いに傷つけ合いながら、殺し合いながら、憎み合う。


 マークレイに求められる役割は多くなり、奇術師たちの負担ばかりが増えていく。それなのに、どれだけ諍いを止めても、違法な奇術師を取り締まっても、一向に自体は解決してかない。動けば動く分だけ自分たちが苦しくなるばかりだった。


 マークレイでも自国でも連日会議三昧なのに、答えが出ずに被害ばかりが増えていく。憎悪と混乱が勢いずくなか、吐きそうになるほどの激務と、意味の成さない会議が延々と続いていく。


 やがて、マークレイを抜けていく奇術師が現れ始める。共に支え合うためにつくられた組織が、その時はもうその負担に耐えられる状況ではなくなっていった。人数が減ればそれだけ残った者への負担は増えていく。


 それでもなお、のちに魔力協会を立ち上げた奇術師・イツカは諦めなかった。


 リルトにとって、イツカは憧れの奇術師だった。その奇術の腕前はさることながら、生き様にリルトは感化された。誰に対しても分け隔てなく接し、どんな困難なことにも諦めることなく立ち向かい、元々繋がりのなかった奇術師たちが集うことの出来る場をつくった。



 何があっても、この人なら何とかしてくれる。


 何があってもついていきたい。



 そう思えてしまうほど、イツカは魅力に溢れた存在だった。実際にイツカに惹かれてマークレイに入った奇術師も多い。



「俺はイツカさんやあんたらが必死に生きている世界を諦めてしまったし、必死に抗ってるヤツらを見捨てた。そんな俺があんたと友達だなんて・・・」



 リルトは当時、役割や仕事に追われ憔悴していた。どれだけ頑張っても、どれだけ誰かを救っても報われることがない。和平を唱えながらも自分は武器をとって人を傷つけ、また助けた傍から人は誰かを傷つけていく。何が正解なのかも分からず、誰もが正義を唱える。


「俺は俺のことしか考えてないんだよ」


 言葉の端々からリルトの感情が感じられる。名前のない感情が渦巻き、重苦しいそれらが吐き出されてもなおリルトの心は浮かばれない。



「だからリルトは、必死に今を生きてたのね」



 ルーシャからは特に違和感などなかった、リルトが必死に世界のために働く姿。七百年前が大変な時であったこと、それを是正するために奇術師たちが奔走していたことは聞いたことがあった。だから、リルトが今この世界で出来うることを必死にする姿に何の疑問も持たなかった。


 しかし、リルトの言葉を聞いてルーシャは妙に納得してしまう。苦しく出口の一切見えない、光の全くない泥沼の世界を一度諦め見捨てたリルトは、そのことを後悔している。見捨てた自分を嫌悪し、逃げた自分を恥じている。そして、自分が見捨てた世界がリスクだらけの奇跡を重ねて続き、間違っていなかったと証明するかのように今と言う瞬間に存在している。存在している世界に自分のことが責められているような気持ちになる。


 見捨てた罪を償うかのように、自身への嫌悪感から逃れるかのようにリルトは今の世界に貢献した。



「自己満足だけどな」



 何かを今したところで、あの頃見捨てた事実がなかったことになる訳では無い。分かっていても何もせずにはいられなかった。


「リルトがどう思っていようとも、俺は単に懐かしい話が出来る者がいて、それだけで嬉しい」


 世界の光景を受け入れないかのように目を隠すリルトにリヴェール=ナイトは語りかける。

 膨大な時間を生き、周りがどんどん生まれては死んでいくなかでリヴェール=ナイトは生きていた。再び友と再会する──それだけのために。何かを誰かと語り合えることも無く、淡々と生きてきた。


 昨今はシバという尊敬すべき知り合いがいて、困ったことも多いがリーシェルという弟子もいる。全く誰かとの関わりがないわけではないが、それでも懐かしいことを語り合える存在がないことは寂しくもあった。


 リヴェール=ナイトとリルトは特に面識があった訳では無い。お互いに存在の噂は聞いたことがある程度でしか無かった。それでも、リヴェール=ナイトにとって貴重な語り合える誰かであった。


「それに自分のことしか考えていなかったと言っていたが、あの時に自分のことを考えない者などいなかった」


 混沌とした世界で誰もが自分の保身に走っていた。それは竜や竜人ノ民だけではなく、奇術師もそうだった。自分や大切な人のために何かを投げ出すことなど当たり前だった。


「誰がなんと言おうと俺は、今リルトがいてくれることが嬉しい」


 本人が自分を許さず嫌悪してようと、リヴェール=ナイトが今現在リルトがここにいて救われるものがあるのは紛れもなく事実だった。

 リルトの心に重くのしかかる思いは、他者が何を言ったところで、何をしたところで拭われるものでは無い。自分で自分を許さないことは、重苦しくどうしようもない息苦しさが付きまとう。


「あの時、俺が──」


「リルトが諦めていなくても、投げ出していなくても結果は変わらなかったと思う。あの時の何かを覆すことが出来るほど、俺にもあなたにも、ましてやイツカやファントムにも力はなかった。俺たちに世界を変える何かがあると思う方が奢りではないだろうか」


 静かに語るリヴェール=ナイトだが、その魔力は静かながらもいつもとは違う揺れが生じる。後悔や思うところがあるのはリヴェール=ナイトも然り。何をどうすべきだったか分からない、それでも違う行動をすれば、違う言葉を選んでいれば未来は変わったかもしれない。そう考えてしまうことが無いわけではない。


 だが、あまりにも強大な時代の荒波は誰にもどうしようもなかったのだろう。


「それに、今がこういう状況じゃなきゃ私はマスターにも、リルトやリヴェール=ナイトさんにも会えてなかった。そういう意味では私は今が今であって良かったけどね」


 今目の前の世界をルーシャは肯定する。もし、竜や竜人ノ民との諍いがなければ、そもそもナーダルは〈第二者〉になっていないし、そうなればルーシャはナーダルに出会うことは無かっただろう。同様にとっくの昔に死んでいたであろう、リルトやリヴェール=ナイトにも会うことは無かった。


 ルーシャにとってナーダルとの出会いを始めとする、今現在の世界は色鮮やかでかけがえのないものだった。だから、そんな日々があることが嬉しく、もしなかっら・・・の世界を想像すると少し寂しかった。


「だから・・・」


 願うように星空の下に寝転がるリルトを見つめる。同じくリヴェール=ナイトもリルトを静かに見つめる。



「あーもう、分かったよ。行けばいいんだろ?」



 暗闇に身を投じていたリルトだが、何とも言えない視線を感じ目を開けて立ち上がる。暗闇の中、星々の光は妙に明るく自分を照らす。


 自分を許せない気持ちに変わりは無いし、彼らを見捨てた自分に大切な瞬間に立ち会う資格は無いとも思う。何かが変わった訳では無い。



 それでも、自分のことを友と呼んでくれるひとがいる。


 それでも、今この世界で自分に出逢えたことを喜んでくれるひとがいる。



 それがどうと言う訳ではないが、リルトは自分を見つめる2人のために行動しようと思った。自分の知識と技術と経験が、今を生きる世界の役に立つのなら力になろうと。





 星降る丘の夜空に、輝かしい流れ星がながれる。













──────────


私もセトに続き旅に出る。

しかも、今回はめちゃくちゃ過酷らしく今から心が折れる。乗り越えられるかなー、死んだりしないかなー。不安ばかり。


グロース・シバとか、フィルナル会長も一緒だから緊張しまくりだし。下手なことできないし、グロース・シバに魔法術の使い方で何か言われるかもだし。

これはこれで恐ろしい旅路・・・。



そして、リルトが同行を拒否していた訳を聞いた。

私には想像することしか出来ないけど、リルトはずっと後悔していたんだ・・・。

どんな状況下だったかなんて想像したところで、実際の苦しみやつらさには到底及ばない。


自分を許せなくて、だからこそ出来ることをして・・・。それでも、許せない毎日は苦しいものなんだろうな。


この先、少しでもリルトにとって苦しくない世界になったらいいのになー。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る