p.98 時計の針

 

 ミッシュは静かに相手を見すえる。近づいてきた人影は四人であり、長身の女、隻眼の男、小柄な少年、体格の良い壮年であった。それぞれが手に武器を持ち、ミッシュたちと同じように魔法術で呼吸の確保や体の自由を手に入れていた。


 〈協会の犬が一匹でとはな〉


 隻眼の男が静かに語りかけてくる。


 〈さっさと先へ進もうぜ。あいつら、秘宝を目指したはずだし。後ついててラッキーだったな〉


 小柄な少年は長身の女に話しかけ、女は静かに首を縦に振る。



 〈誰が通すって?〉



 ミッシュは鋭い瞳で幸福時計の面子を睨みつける。その魔力は爆発してしまいそうなほど膨れ上がり、燃え盛るかのような勢いがある。その魔力の根源は怒りであり、ミッシュの心が激しく憎悪に染まる。


 その変化を相手も瞬時に感じ取り、大柄な男が先制攻撃を仕掛ける。いくつもの魔力が同時にミッシュを襲う。男が放った魔法術は、この海底にある岩場を魔法で変形した攻撃だった。ミッシュは腰に指していた短剣でそれらをあっさりと捌き、相手を見据える。


 ミッシュの瞬きひとつでさえ、その揺らめく燃え盛る魔力を動かす。そのあまりの魔力の強さと動きの自由に幸福時計のメンバーは息を呑む。

 ミッシュの魔力は本人の感情に非常に素直に従い、感情と魔力の癒着が強い。魔力は感情でその性質や量を大きく変えるが、だからこそ爆発的な感情は魔力の暴走に繋がる。


 〈命取りな方法ね〉


 長身の女が静かに口を開く。

 強い力を手にできるとしても、ミッシュのようなあまりに感情に癒着している魔力は危険度が高すぎる。


 〈あんたらのおかげだよ。エレナ・パージェス〉


 ミッシュは拳を強く握り締め、長身の女を見つめる。一つに結わえた淡い茶髪に、淡い緑の瞳の女は少し驚いたようにミッシュを見返す。


 〈忘れたとは言わせない、フィレーナ支部のこと〉


 〈・・・フィレーナの子なのね〉


 ミッシュの言葉にエレナと呼ばれた女は妙に納得したような声で呟く。


 八年前、ミッシュの故郷であるマイナリ国の街・フィレーナは幸福時計により壊滅的な被害を被った。フィレーナには魔力協会の支部があり、本部に次ぐ規模を誇っていた。街中に魔法術が溢れ、誰もが魔法術師と気軽に関わっていた。活気溢れる街には、世界でも珍しい魔法術の専門学校があるほどだった。


 平和と活気に満ちたそのフィレーナが、ある日突然何の予兆もなく幸福時計に襲われる。方々からやってきた幸福時計のメンバーは街を焼き、魔法術師や一般人を襲い、何もかもを奪っていった。助けを求める人にも耳も貸さず、ただただ目の前のものを全て破壊し尽くすその光景は地獄のようだった。


 〈エレナ・パージェス。あんたはあの事件の主要メンバーだろ〉


 ミッシュは当時、家族と共に逃げることに精一杯で幸福時計のメンバーのことなど覚えていない。

 だが魔力協会軍部に所属し、敵を知るために様々な情報を集めていった。まだ新米の二等兵のため権力も立場も何もないため、情報も何も得られない。だが、それでも得られた情報は確かにあり、そして目の前の女は穴が空くほど見てきた幸福時計幹部のひとりエレナ・パージェスだった。


 〈確かに俺たちは協会もろとも街を襲った。でもアレは協会があの街に凶悪な不正を街の連中と隠してたからだ〉


 隻眼の男が静かに強くミッシュに語りかける。


 〈禁忌魔法とその代償となる数多の魔力と命、それをフィレーナ支部と街の連中は隠してた。その魔法が発動されてたら、俺らの襲撃以上の被害が出てたのは確実だ〉


 緊張の糸が張り巡らされたその場に響く言葉に、ミッシュは耳を傾けながらもその心は一切揺らがない。激しい憎悪の魔力は静かな海底に留まり、いつ爆発してもおかしくない雰囲気が醸し出される。


 〈あんたが情報を流したんだろ、シェイド〉


 語りかけてきた隻眼の男の名前をミッシュは口にする。

 グレーの髪に深い青い瞳の男は元魔力協会員のシェイドという魔法術師だった。魔力の暴走を起こしかけ、一命を取り留めたものの後遺症により左目を失った。そのことがきっかけとなり、魔力協会を脱会し幸福時計に入った。


 魔力協会を脱会するものはある程度存在しており、その中には協会の理念ややり方に反対し反魔力協会組織に入るものも多い。


 〈理由なんてどうでもいい。あんたらが街を壊して、人の命を奪った〉


 ミッシュの強い瞳と言葉に比例し魔力も動く。

 復讐するにあたり、なぜ自分の街が襲われたのかということももちろん調べた。魔力協会に、街に非があったことも事実でミッシュは驚きはしたが、だからといって納得はしていない。


 そこにどのような理由があろうと、正義があろうと、使命があろうと──命が失われ、平和が壊され、悲しみと絶望に皆が打ちひしがれたその事実は変わらない。どんな立派な正義があろうとも、それを奪われた人間にとって理由などあってもなくてもいい。傷つけ奪われた──それ以上のことなど何もない。



 〈力での解決は恨みしか生まない・・・。それはお互い様のはず〉



 黙っていたエレナが口を開く。


 〈確かに私たちのせいであなたは街を、大切な人を失った。でも、だからといって私たちに力で報復しては、結局互いに恨みの報復をし続け壊れていくだけ〉


 〈そんなことは百も承知だよ。あたしは壊す側でいい、生み出したりするのは友達がしてくれる〉


 エレナの言葉にミッシュは揺るぎない信念を見せる。

 互いに憎しみ合うことが何も生まないこと、ただただ壊し合っていくだけのものであることは最初からわかっていた。


 街を襲われたあと、失われながらも未来に向かって再興していく人々を見てきた。新しく街を築き、悲しみを抱えながらも生きて未来を紡いでいく人々を誰よりもそばで見てきた。そういう生き方が眩しくて、魅入られると分かっていた。


 それでも、ミッシュは傷つけ奪われたという現実しか見ることが出来なかった。その事実を無かったことにもしたくないし、「つらかったね」という一言でも終えたくなかった。心をえぐられ、言葉では言い表せない絶望感と悲しみを味わったその現実を──ミッシュは忘れたくなかったし忘れても行けないと思った。


 未来に生きる周囲の人間とは違い、ミッシュはその現実に生きていたかった。


(そういう光の世界は、ルーシャが見せてくれる)


 フェルマーとともに先へ進んだ友に未来を託す。ルーシャはミッシュにないものばかりを持っている。魔力探知の才能や魔法術の腕前──そんなものばかりではなく、これから先の世界を見つめている。


 ルーシャはそんなことないと言うかもしれないが、ミッシュからすればその目は未来を映している。だからこそ、これから先の時代を担う少年から師事されている。この人なら自分を導いてくれる、照らしてくれる──そんな信頼がなければ誰かに教えを乞うことはなかなかできない。



 ミッシュは強く相手を見据え、フェルマーから受け取った魔道具を強く握り締め、その魔力を引き出す。

 四人相手に──しかも一人は幸福時計の幹部であり、どれだけ自分の力が通用するのか分からない。時間稼ぎくらいはなんとかしなければ──そう決意しミッシュは怒りに増幅した魔力とフェルマーの魔力を展開していく。







 * * *





「中将!」


 海賊船の甲板にてニックがストイルに話しかける。

 現在、海賊船の周囲には数隻の幸福時計の船が包囲しており、そこからいくつもの魔法術や砲弾が飛んできている。それらをニックとストイルが魔法術で防ぎながら、海賊たちが応戦している。人数もはるかにこちらが劣るなか、海賊たちは果敢に幸福時計に立ち向かう。


 ストイルは海賊頭なき海賊たちをまとめあげ、少ない人員ながらもうまくマンパワーを活用する。海賊たちとうちとけ、それぞれの個性や特技、不得手をある程度把握したストイルだからこそ、その采配が出来る。


 ニックは冷静にストイルの指示や海賊たちの動きを見ながら、必要なサポートや役割を担う。特殊軍に所属するニックはその任務の性質上、単独で行動することが多い。海軍や陸軍とはちがい、ニックが相手にするのはテロ組織であり敵のアジトに潜入することも多く、冷静にその場の状況を観察・判断し一人で生き延びなければならない。


「大丈夫だろ」


 ニックの声掛けにストイルは前線から目を離すことなく口を開く。

 二人は今、自分たちとは離れた海の底から爆発しそうな魔力を肌で感じている。それが誰のどんな魔力なのか、そんなことは確認しなくても容易に想像がつく。


 触れただけですぐに暴走を起こしそうなその魔力を感じながら、ニックはミッシュを思い出す。所属が違うため、今回の任務につくまでお互いに面識などなかった。今でも相手のことなど殆ど知らないが、ミッシュが半魔力協会組織──とりわけ幸福時計に対する憎しみを人一倍抱いていることはすぐに察しが着いた。


 短い任務期間の中、ミッシュの魔力が明らかに憎悪に反応する様を見てきた。これほどまでに純粋に感情に反応する魔力があるのかと、ニックは驚いた。冷静沈着かつ感情を表に出すことなく淡々と任務をこなしてきたニックとは正反対の存在だった。


 「気になるか?」


 態度に示すことなど全くないニックの感情にストイルはすぐに気がつく。


 「ミッシュはまだ入隊数ヶ月の二等兵ですし、なにより我々が今相手にしているのは囮でしょうし」


 手を緩めることなくニックは攻撃と防御を行いながら口を開く。今このタイミングで幸福時計が仕掛けてきた意味・・・それはおそらく時間稼ぎだろう。おそらく幸福時計はこの海賊団をずっと見張っていた──海属の秘宝を得るために。動き出した彼らを追い、そして海に潜ったメンバーのあともつけているだろう。


 「フェルマー船長もいるから大丈夫だろうが・・・早めに俺らも追いかけるとしよう」


 ミッシュの膨張していく魔力を感じながらストイルは口を開く。すぐにどうこうとなるような状況ではないと判断しているが、魔力は大きくなりすぎると術者でさえも殺しかねない。

 目の前の状況も楽ではないが、ストイルは戦闘慣れした海賊を従え反撃に舵を切る。




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