p.82 相見える


 ルマを眠りに誘い、マセルに警告をしたルーシャは静かにひとつの建物の前に立つ。

 王族・アストルは公務でこの地を訪れており、その高貴な身分のためナザ・パパンで最高級のホテルの、最上級の部屋に滞在している。ホテルの中でもプライベートビーチがある離れの一棟、それがアストルのいる場所だった。


 離れの一棟となれば警備もしやすく、またプライベートも守られる。そんな建物の前に立つルーシャの表情は喜びも憎しみもなく、ただ淡々とその豪華な佇まいの離れを見つめる。

 数歩進み、その手が扉にすぐ届く距離になる。



 手を伸ばせばそこに兄がいる。



 ただそれだけの事実をルーシャは感じ取る。

 海風がベタつき、キツい潮の香りが身体中に染み付く。短く切りそろえた髪が風でなびく度に顔に張り付く。この湿気た空気を吸い込み、暮れゆく夕日が美しく燃えている。空の色が徐々に暗闇色に染まっていくのを感じながら、ルーシャは離れから漏れでる屋内の明かりにつられるかのように扉に手をかける。


 重厚な金属であしらわれたドアノブはすぐに回り、この離れの鍵がかけられていない事に少し驚く。

 マセルはアストルを守るためにこの離れの中ではなく、そこに至るまでのプライベートビーチでルーシャを待ち構えていた。もしもの時のため、ドアに鍵をかけ何かしらの防御魔法術をしかけていてもおかしくはない。


 不思議に思うが迷うことは無かった。これが何かの策略であれ、マセルの油断であれなんでもいい。この先に進めることができるのならば。


 建物の中は優しい光で照らされ、玄関に敷かれているマットも品の良さそうなものだった。玄関からすぐ正面にひとつの扉がある。それ以外は特に扉や階段もなく、ルーシャは少し緊張しながらも一つしかない扉を開ける。


 明かりが着いたその部屋はリビングルームのようで、広いその部屋の中央には大きなソファやローテーブルが置かれている。吹き抜けには優雅にシーリングファンが回っている。部屋の片隅にはお洒落なバーカウンターと様々な銘柄の酒が並ぶ。そこに並ぶグラスもまた高価そうなもので、見ているだけでも楽しくなりそうだった。


 部屋には誰もおらず、ルーシャは部屋を見渡す。左手のほうにリビング階段を見つけ、ルーシャは躊躇うことなくその階段を上る。リビングの右手側に扉を見つけていたが、それよりも上階に引かれた。


 2階には3つほど扉があり、3部屋あることがすぐに分かる。ルーシャは躊躇うことなく一番奥の、おそらくマスターベッドルームと思われるそこへと向かう。その部屋の扉だけ、他の扉とは違いあしらえが立派なように思えた。

 扉の前に立つルーシャは一度立ち止まってひと呼吸整える。何がという訳ではなく、導かれるかのようにルーシャはその場に立つ。



 ノックもせず、ルーシャはその扉を開ける。

 ガチャっという音とともに扉はすんなりと開かれ、ルーシャはその中へと足を踏み入れる。部屋の奥には大きな──キングサイズと思しきベッドが堂々と置かれている。


 部屋を見回した訳でもないのに、ルーシャは導かれるかのように目的の人物をすぐに見つける。




「久しぶり、兄さん」





 その瞳はブレることなく目の前の人物を見据える。

 驚いたように淡い緑の瞳は見開きルーシャを捉え、その体は固まったままだった。ルーシャの声掛けに対しても驚きゆえに何も発することが出来ておらず、ルーシャはマセルがアストルへ取り次いでいなかったことを察する。


 おそらくマセルは最初から分かっていた、ルーシャがアストルに抱いている感情がどのようなものか、そのためにどんな行動をとるのか。元からアストルに会わせる気も無かったのだろう。


 マセルのそんな考えと行動をルーシャは考えながらも納得ができる。自分が同じ立場にいても同じ選択をしていただろう。王宮魔導士とは、王宮に仕えるということは生半可な覚悟では出来ない責任を伴う。


(それにしては・・・ちょっと拍子抜けだったけど)


 最後に脅したとはいえ、マセルが案外簡単に引いたことにルーシャは少し驚いていた。相当な激戦を覚悟していたし、下手をすれば五体満足ではいられないのではないかとさえ思っていた。だが、多少の傷を負ったが割と無傷な状態でルーシャはこの場に立つ。



「ルーシャ・・・どうして?」



 驚き固まっていたアストルは思い出したかのように言葉を発する。その眼差しも、声も、そうして驚いている姿さえも懐かしい。感情などというものではなく、ただ懐かしいというその言葉だけがルーシャのなかで一番腑に落ちる。再会が嬉しいとか、アストルが憎いとか、そんなものではない。

 ただ目の前にいる兄のもつ空気が、その仕草が、その声が、その瞳が──すべてが懐かしい。それ以外、今ここでルーシャが思うことは無かった。



 だが、驚くアストルに対しルーシャは静かに魔法を発動させる。南国の地だが、ルーシャは瞬時に氷魔法で氷柱を創り出しアストル目がけてそれを投げつける。

 アストルは驚きながらもそれを紙一重で避け、その表情が引き締まる。ルーシャのその行動の意味を、その動機をアストルはすぐに察する。



「ねえ、兄さん。どうして?」



 こちらを見返しながらも何も反撃をする様子のないアストルにルーシャは冷たく静かに問いかける。

 何に対しての「どうして?」なのか──。


 ルーシャは問いかけながらも、アストルに対して口を開く合間さえ与えず氷で創った鋭利な氷柱を投げつける。アストルはそれをひとつひとつ避けながらも、まっすぐとルーシャを見つめる。投げつけられた氷柱が音を立てて壁に突き刺さるが、そんなものを振り返ってはいない。


 目の前で自分を真っ直ぐ見つめてくる妹だけを逃げずに見つめる。ルーシャの冷たくて強い瞳を、その奥にある何かをアストルはまっすぐと見る。



「ルーシャ・・・」



 言葉を探すアストルはルーシャから向けられる殺意の籠った魔法術を避ける。



(許してもらおうなんて思わない)



 かける言葉すら何も思いつかないが、それでもアストルはひとつの決意だけが胸の中にあった。

 死ぬわけにはいかない──それだけが頭の中にあった。何があろうとも、どのような理由があろうとも、アストルはその命を奪われる訳にはいかない。それがウィルト国王──父親への約束だから。その役目を引き継ぎ次世代に渡すと、それがアストルのすべき唯一の事だった。


「ほんと、変わらない」


 避けていくだけのアストルにルーシャはため息混じりに言葉をかける。

 アストルの身の上はわかるし、ルマから話を聞いたからこそ王太子のその立場が嫌でもわかる。おそらくアストルも知っているであろう、失踪した第一王子の代わりに何がなんでもアストルが王位をつかなければならない状況である。だが、そんな身の上のアストルなのに今は防戦一筋でルーシャに攻撃を仕掛けてくることがない。


 甘すぎる、優しすぎる。


 そんなことで一国の統治者がつとまるのか、今この状況を抜け出せるのかと思ってしまう。ルーシャに甘いのは昔からで、この現状でさえルーシャはある意味で納得出来てしまう。










──────────



ルマに初めて会った時、その激しい感情に感化された。

どこか兄さんに対する復讐心のような気持ちを、ずっと持ってちゃいけないって自分に言い聞かせてた。


でも、それは違った。

持ってちゃいけない感情なんてないし、許せないってのは当たり前の事だった。

だからこそ協力するって言ったんだけどねー・・・。



ルマとなら、王宮魔導士のマセルさんを突破すれば兄さんのことを殺すことはきっと容易い。

兄さんがそれなりの護身術をみにつけているもはいえ、元々武器を持つことに抵抗のある人だし、兄さんがその手のことを身につけたのもここ数年のことだし。


マスターやレティルトさんほどの腕前はないと思う。



ただ、そうして得た結果に私はきっと・・・後悔するんじゃないかって思った。

気がついたらもう、ルマに昏睡の魔法をかけていた。



いやー、グロース・シバの教えがもはや癖のように身体に染み付いているとはいえ・・・無意識に魔法術かけれるなんて自分がちょっと恐ろしい!



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