p.83 運命と宿命
ルーシャからの氷柱攻撃を避けていたアストルだが、広い部屋とはいえ室内での防戦には限りがある。部屋の隅に追いやられるのは時間の問題であり、アストルは袋の鼠と化す。
真っ直ぐと獲物を狙った氷柱は、迷うことのない軌道を描きアストルを襲う。アストルは覚悟を決め、静かに目を閉じる。
ウィルト国王からことの次第を全て聞き、誰からもなんの罪も問われず、罰すらも与えられなかった。自分を戒めるかのように最愛の人との別れを選んだが、それでもアストルの心が満たされることもなければ、抱いた罪悪感が軽減するわけでもなかった。
ルーシャと再会した時に抱いた感情は懐かしさよりも、複雑なものだった。妹の師匠を手にかけ、それに対して何か謝罪をする機会もなく今までいた。それを気にすることはあったが、だからと言ってウィルト国王をはじめ魔力協会があえてアストルに罪を問わなかった現状に、アストル自身がなにか発言することも行動を起こすことも出来なかった。
余計なことはするな──。
そんな重圧を周りから感じていた。
だから、こうしてルーシャと再開し、ルーシャからその罪を問われている今の方がアストルはよかった。腫れ物に触るかのような空気の中よりも、真っ直ぐと目を背けたくなる現実をつきつけてくる妹の方が、アストルの罪悪感をかきたてながらも現実を生きている実感を与えてくれる。たとえ、それが命を狙われることとなっても。
痛みを、死を覚悟していたアストルだが想定していた痛みも何も彼を襲う気配がない。
恐る恐る目を開けたアストルは目の前のルーシャを視界にとらえる。
アストルを襲うはずだった氷柱は壁に突き刺さり、その刃はアストルの首横数ミリの距離に存在している。ギリギリ、氷柱がハズレていた。
「運命は選び直せるの」
真っ直ぐと迷うことなくルーシャはアストルを見据える。
「宿命は選び直せない。けど、運命は自分で選んだ道で、だからこそ選び直せる時もある」
数多くは語ることのなかった師匠・ナーダルがルーシャに遺したその言葉を、ルーシャはなぞるように語る。
「兄さんのやったことは今後何があろうと絶対に許せない」
今でも鮮明に覚えている、ナーダルのその瞬間。胸騒ぎの末に見つけ出した師匠は、目の前で兄によってその身体を剣で貫かれていた。あまりに衝撃的なことでありながらも、ルーシャはそれがどうして起こったことなのかも分からないまま、ただただ師匠と兄の命を救うことに奔走した。
なんとか一命を取りとめていたナーダルは痛々しく、弱々しくなんとかその命を留めていた。そのあまりの儚さにルーシャはすぐに現実を悟ったが、それでもそれが間違いであって欲しいとずっと願っていた。単なる自分の早とちりであってくれと、変わらない日々が続いてくれと願い続けた。
だが、現実は残酷な結果をもたらした。
それがアストルの意思ではなかったと分かっていても、故意ではなかったとしても起きた事実に変わりはない。起きた事実に対してルーシャは率直にアストルを恨んだし、憎んだ。
「でも、心底許せないと思う気持ちもあるけど・・・。兄さんのことが大好きっていう気持ちも確かに私の中にある」
血の繋がりなどの問題ではなく、ルーシャは物心つく前から一緒に育ってきたアストルが大好きな兄だった。
こんな事態になってもなお、アストルのことを忘れることも出来なければ殺すことに躊躇いもある。ルマに触発されたとはいえ、それでもアストルに手をかけることにルーシャは躊躇ってしまうところがあった。激情に流されることがなく、踏みとどまる──その要因はおそらく憎しみの感情以上にアストルのことが大好きだという感情が上回っていたから。
尊敬して大好きな師匠をその手で殺されてもまだ、ルーシャは兄のことが嫌いになどなれなかった。
許せないし許したくもない──それなのに、大好きでかけがえのない兄だという気持ちも揺るがない。
そんな矛盾をどうしても受け入れられなくて、認めることなど出来なかった。
「兄さんのことは一生許せない。でも、それでも・・・大好きな兄さんには変わりはない」
どこか震える声でルーシャは目の前の兄にそう告げる。
こんな相反する感情が同時に存在することがおかしいし、それを抱え続けることもつらくてしんどい。今目の前にアストルがいるこの状況も、どこか苦しい。覚悟を決めて、勇気を振り絞ってここにいるのに立ち去ってしまいたいほどに現状はルーシャにとって良いものでは無い。
「ルーシャ・・・」
俯くことなくアストルは目の前の妹をまっすぐと見つめる。どう声をかけたらいいのか分からない、何を行動すべきなのか分からない。謝罪の言葉を述べたところで、それが正解とも思えない。
強く自分の鼓動を感じ、どこかアストルの手が震える。何かを感じとったかのように、体が武者震いのように小刻みに揺れている。
「兄さん」
聞きなれたルーシャの声が耳に届く。
この声でどれほどそう呼ばれてきたのだろうか、どれほどこの声に支えられてきたのだろうか。ともに極貧生活を送る中でいつもルーシャに呼ばれる度にしっかり妹を守らなければと思ってきた。慣れない王城生活で、この声に呼ばれる度に何度も安堵した。
そのルーシャの声が凛として自分に向けられている。
「さよなら」
どこか震えながらも凛とした、決意のこもったその声にアストルは何も言えない。
ルーシャのなかでアストルに対しての気持ち──大好きだということと許せないということが確かにある。どちらも同じだけあって、どちらに傾くこともない。師匠を殺されながらも大好きだという気持ちを持ち続けている自分が馬鹿なのかと思うが、それでも感情は理性ではどうしようもなかった。
確かにアストルのことは大好きな兄だった。
そして、確かにアストルは取り返しのない過ちを犯してしまって、それはどう足掻いてもなかったことにはならない。
ならば、互いにとって一番つらい選択をすることが最良の判断ではないか──ルーシャはそう考えた。
もう二度と会わない──何があろうとも。
たとえ互いの命運が尽きる時であろうとも、たとえ各々に課せられた役割上会わなくてはいけなくても、それが世界の存亡に関わるものであろとも。理由が何であれ、ルーシャはアストルに決別の意を伝える。
過去の優しい思い出もその胸にあり、目を瞑りたくなる現実もそのまぶたの裏にこびり付く。すべての思い出も、思いも何もかもを背負って──大好きな家族との縁を切る。
まっすぐと兄の瞳を見すえていたルーシャは静かに踵を返す。
「さよなら」
躊躇いのない足取りのルーシャにアストルは声をかける。言いたいことも伝えたいこともたくさんあるが、たくさんの想いを込めて決別の言葉をアストルは妹にかける。
ルーシャにとっても、アストルにとってもお互いの存在は簡単に忘れられるものではない。共にすごしてきた時間も、積み重ねてきた思い出も、分かちあってきた喜びも、乗り越えてきた苦難も──そういうものを数えあげればキリがない。覚えてもいない思い出も感情もたくさんあり、家族だからこそ分かり合えないことも許せないこともあった。
(兄さん)
1度も振り返ることなくルーシャはアストルのいるホテルの別宅を出る。その目には今にも零れ落ちそうな涙が煌めき、ルーシャは何度も小さな瞬きを繰り返し涙が落ちるのを防ぐ。もう呼びかけることすらもできない相手を心の中で呼び、胸が締め付けられるように痛む。
この判断が最良だったのかなど分からない。ただ、人の──兄の命を奪うことが出来ないがための甘い判断だったのかもしれない。
(ほんと、いちばんツラい)
それでも、この判断がルーシャを1番苦しめる。それはおそらくアストルも。
生きているとわかりながら、その存在を知りながら、何があっても一生会うことはできない。会えない理由が誰かの策略によるものではなく、会えるのに会えないというその枷がふたりを1番苦しめる。
「これが自分に素直になった証拠です、マスター」
アストルのいる建物から出たルーシャは堪えきれない涙を抱え、夜空を見上げる。一筋の涙が頬を伝い、夜風に掬われ消えていく。
ルーシャが一人前になるその時、ナーダルは五つの誓約を弟子に託した。その五つ目がルーシャの今回の判断の最後の判断材料となった。
自分に素直に生きること──それが亡き師匠がルーシャに遺した言葉のひとつだった。自分に素直に生きること、その意味を考え続けてきた訳ではなかったが、ふとアストルと対峙しているときにナーダルの言葉が脳裏をよぎった。
素直になった結果、ルーシャは自分の相反する感情を受け入れた。
湿気った海風を感じながら、ルーシャは1度も振り返ることなく滞在しているホテルに足を向けるのだった。
──────────
兄さんと再会した。
言葉とか感情とかよりも、真っ先に感じたのは兄さんの全てがただ懐かしいという空気感だった。
故郷に戻った時のあの感じと同じだった。
消し去ってしまうことなどできない思い出と感情を持ち続けることは、正直しんどい。
でも、兄さんと過ごしたあの毎日を無かったことになんかできない。
中途半端だなー・・・。
ほんと、自分の弱さとか詰めの甘さとか痛感する。
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