p.76 マスター・ナーダル

 


 魔法術師採用試験二日目の実技試験が終わったその日、ルーシャは黒騎士・リヴェール=ナイトに案内され協会の宿舎に泊まった。オールドの実家であるベタル王城に荷物は全て置いていたのに、それら全ても部屋に運び込まれていた。




 魔力協会には協会員なら誰でも安価で利用出来る安宿や、会議や研修などで本部に来た時に無料で宿泊できる宿舎がある。今回は試験の受験生であるため、後者の利用ができたようでオールドが手続きをしてくれたという。




 基本的に、魔法術師採用試験の合否は実技試験終了後にすぐに知らされる。そのため魔力協会では見習い魔法術師が試験に合格したら翌日に、巣立ちノ儀と呼ばれる見習い卒業式のようなものが簡単に行われる。昔は盛大に行われたりもしていたのだが、昨今では形式的なものだけが行われているという。巣立ちノ儀でそれぞれが師匠から「五つの誓約」を言い渡され、それをもって一人前の魔法術師となる。




 聞いた話によると、その回の試験合格者が試験翌日に会議室のようなところに集められ、会長からの祝辞やその他諸々のありがたいお言葉を聞き、その後それぞれが誓約を言い渡されるという。




 試験の疲れから、ルーシャは宿舎について直ぐに眠りにつく。夢を見たかどうかも分からないほど深い眠りについた。


 目覚ましも何もかけていなかったが、ルーシャの体内時計は非常に正確であり翌日の朝には自然と目が覚める。起き上がる時に身体中に痛みを感じ、昨日が試験であったことを思い出す。




 傷は痛むが、昨日リヴェール=ナイトに塗ってもらった医務室の傷薬には抗菌作用や治癒促進作用の効能があるため、痛み以外の心配はしなくてもいい。だが、それでも痛いのはなかなかつらい。


 痛みを押し殺し、ルーシャは宿舎の部屋の机の上に置いた協会章を手に取り改めて現実を感じる。




 ──ついに、一人前の魔法術師になったのだと。




 嬉しさでついつい何度も協会章を手にしてにやけてしまう。何度も手に取ってこれが夢でないことを確認してしまう。




 はっと時計を見たルーシャは急いで宿舎にある共同シャワールームに向かう。昨日は疲れ果てていたのでシャワーも浴びずに寝てしまっていた。丁寧に包帯を外し、ルーシャは急いでシャワーを浴びる。


 そのまま慌てたまま身支度を整え、ルーシャは荷物を持って宿舎をチェックアウトする。






「改めて、合格おめでとう」






 宿舎の外でリヴェール=ナイトが待ち構えていた。その言葉を始めに言ってくれる人が師匠のオールドでもなければ、実質的にルーシャを鍛え上げたのシバでもないことに違和感はある。




「ありがとうございます」




 それでも、そう言ってくれる人がいることは嬉しいものであった。


 ルーシャとリヴェール=ナイトは少し遅い朝食をとる。魔力街道にあるカフェでそれぞれ好きなものを頼んで食事をとる。他愛のない雑談をして会話を繋げながら、ほぼほぼ今までたいした繋がりもなかったリヴェール=ナイトとこうして一緒にいることが不思議でたまらなかった。




 不思議な思いをしたまま、ルーシャはオールドから呼ばれている場所へ行く前に本部の事務受付を訪れる。協会章の交換のために。




 基本的に魔力協会員は協会章を目に見える場所に着けておく必要がある。協会員であることを他の者に示し協会の名に恥じない行動をするように、また協会員同士がすぐに身内を見つけて助け合えるようにと。


 そのため、一人前の魔法術師および何らかの資格を持つ人間はその証を目につくどこかにつけている。




 ナーダルはピンバッジの協会章を服につけ、オールドやシバはペンダントの協会章を身につけ、リヴェール=ナイトは常に身につけている剣に協会章のチャームをつけている。他にも髪留めといったヘアアクセサリー、ピアスやイヤリング、ブレスレット、ネックレスなどもあり身につけるものな何でも良かった。




 協会が設立された頃は腕章を身につけていたが、今の時代にそぐわないとされ今はファッション性が重視されている。


 ルーシャはどのような場面にもある程度使えそうなペンダントを選ぶ。着脱も簡単であり、ピンバッジだと服に穴を開けてしまうのが嫌だった。




 すぐに新しい協会章を手に入れ、昨日試験で手にしたそれを返す。基本的に協会章は一人ひとつと定めれており、無断で転売することも禁じられている。


 改めてそれを首からぶら下げ、ルーシャは見慣れない自分の協会章を何度も見てしまう。














 どこか心浮かれたまま、ルーシャはリヴェール=ナイトに連れられ翠ノ間という場所へと向かう。


 ルーシャの門出を祝うかのように空は見惚れるほど青く、冬の風にしては柔らかく頬をかすめていく。まだ春は近くないというのに、陽光も暖かく植物が間違って芽吹いてしまいそうなほどだった。




 連れられて足を踏み入れたのは思想本部だった。そこからリヴェール=ナイトは受付に一声かけて、そのまま本部の中を進む。ルーシャははぐれてしまわないように後をついてゆき、本部独特の緊張感と静けさに思わずその表情が固まる。重厚な空気が漂うなか、リヴェール=ナイトは躊躇うことなく廊下を進み、いくつかの角を曲がり、階段を下って地下へと進む。階下に下るごとに空気はより静けさを増し、俗世から離れていっているような気になる。




 何階かの地下に降り、リヴェール=ナイトはその地下室の一室に躊躇いなくノックもせずに入る。その部屋は小さな部屋で、机と椅子がひとつずつあるだけだったが、リヴェール=ナイトは部屋の奥の壁を静かにノックする。




 すると、壁が溶けるようになくなり、また階下へと続く階段が現れる。巧妙かつ複雑な魔法術による目隠しがあるのだろうが、ルーシャはそれすらもどこにも見えなかった。


 リヴェール=ナイトはそのままその階段を下ってゆき、ルーシャもそれに続く。階段を下っていく度に言いようのない力を感じ、ルーシャは率直に恐怖を感じる。




 足を踏み入れては行けない場所に繋がっている──率直にそう感じる。




 緊張した面持ちのまま、階段の一番下までたどり着く。そこには古い扉があり、リヴェール=ナイトはそれを開けて中に入る。




「案内ご苦労だね」




 おずおずと、その黒騎士の背後に隠れるように部屋に足を踏み入れたルーシャの耳に聞きなれた声が届く。未だにその声を聞くと背筋が伸びて、一瞬で緊張間が身体中を駆け巡る。




 さして大きくも無い部屋は薄暗く、淡い光が床から反射するように放たれている。部屋の最奥に大きな祭壇らしきものがあり、それ以外は特にめぼしいものもない。黒みが強いタイルが敷き詰められた床、同じく黒みのある壁と天井が無機質にあるだけだった。




 その部屋にはシバ、オールド、フィルナルといった見知った人物とともに見知らぬ黒装束の男が三名ほど部屋の端に溶け込むように立っていた。


 シバらは祭壇の前に立ち、ルーシャはどこか不思議な面子だと思ってしまう。そこに立っているのがオールドではなくナーダルならば何とも思わなかったが、オールドがこうして現会長と大魔導士とともにいる姿は見慣れない。




「じゃあ、さっさとやろうかね。ルーシャ、おいで」




 シバに手招きされ、ルーシャは部屋の中央へとやってくる。






「これから巣立ちノ儀を執り行う。まずは会長からの言葉」






 真ん中にたっていたシバは真っ直ぐとルーシャを見据えてそう言い、それから右隣にいたフィルナルに目をやる。巣立ちノ儀に会長が参加することはほとんどないし、そもそも巣立ちノ儀は同じ回の試験合格者が合同で参加するものだった。こうして一人のためだけに執り行われることは滅多にない。




「ようやく一人前だな。ナーダルがやり損ねた仕事は数多くある、これからも精進してその役目を引き継いでくれ」




「・・・え?」




 ありがたいお言葉を頂けるのかと思っていたルーシャは我が耳を疑う。そして、厳粛な空気が漂うなか思わず声が漏れ出て慌てる。




「もうちょっと気の利いた故事でも言えないものかねぇ」




 呆れたようにシバが笑い、オールドは苦笑いをうかべる。




「私は・・・会長のお抱えパシリですか?」




 言葉を選ぶ余裕などないルーシャは思わず目の前のフィルナルに聞き返す。ナーダルがフィルナルからの無理難題の仕事を引き受けていたのは、その身柄を保護してくれている大恩があったからだった。ルーシャはそのような恩などフィルナルに一切ない。




「ヤツの弟子だからこそ託してるんだ」




 だからなんだと言わんばかりのフィルナルのその言葉に、ルーシャはどこか心が暖かくなる。ナーダルの弟子だからこそ託す──、その言葉が何よりも嬉しかった。


 それは師匠のナーダルがいかにフィルナルから信頼されていたかということと、その弟子だからこそルーシャも信頼されているという意味合いがあるように感じられた。




 フィルナルはそれだけ言うとシバを見る。




「会長殿がそれでいいならいいよ。では、諸々の祝時なんかはこの際すっ飛ばしてメインイベントいこうかね。オールド」




 フィルナルもフィルナルなら、シバもシバだとルーシャは思う。巣立ちノ儀とはこんなフランクなものなのだろうか。


 一人神妙な面持ちのオールドは頷き、一歩ルーシャに近づく。いつもとは違うその真剣な表情にルーシャも緊張する。






「五つの誓約を言い渡す」






 巣立ちノ儀のメインイベントと言えば、師匠から弟子へと送られる五つの誓約だった。その約束にはなんの効力もなければ、弟子の行動を何か規制することも、実質的になにか力を与える訳でもない。ただ、師匠から弟子へと「こうして欲しい」「こうして欲しくない」といった思いに近い約束を送るだけに過ぎない。




 それは弟子と時間を重ね、様々なことを経験し、その弟子自身を見てきた師匠だからこそ送ることの出来る言葉だった。




「って言っても・・・こればっかりは、ちゃんと師匠に言ってもらいなさい」




 オールドの表情が崩れ、いつもの笑顔が弾ける。


 何のことを言っているのか分からないなか、はっとルーシャは足元に隠されるように存在していた魔法陣に気付く。それと同時に、シバとオールドの融合した魔力が複雑かつ難解な神語を構成し、それがまさに発動されるところだった。




 シバとオールドは互いを見合い、首を縦に振り息を揃える。








『審理を定めし父よ しばし目を瞑りた給え


 行き先を指し示す母よ しばし手を休め給え


 魂を運ぶ兄弟たちよ しばし身を止め給え


 三途ノ川よ 流れを止め 舟を用意せよ


 一人いちにんの死者よ 四の五の言わず船に乗れ


 時を司る者よ 一刻の猶予を


 我らは船を漕ぎ 河渡しをするものなり』








 二人の言葉に呼応するかのように魔力が波打ち、感じたことのない空気がこの場を支配していく。波打つその魔力は呪文を口にする度にはっきりと構成され、最後には爆発するかのように魔力が弾ける。




 思わずその強い魔力に身構えたルーシャだが、すぐにその異変に気づき辺りを見回す。


 それはルーシャを見つけて、ずっとそばにいてくれた──誰よりもずっと身近に感じていた魔力だった。




「・・・マスター?」




 間違うはずのない、その魔力を感じる。清らかな清流のようなその魔力を、ルーシャは誰の魔力よりも感じて来ていた。


 ルーシャの驚きとは別に、シバはその魔力と会話を行う──神語で。




 神語は魔力を扱うものとならば、どのような種族とでさえ言葉を交わすことが出来るという特徴がある。それは魂という存在も例外ではなかった。魂は肉体を持たないが故、その存在も本来は分からないし生者と交流することも出来ない。




 だが、魂には基体性──魔力の存在そのものがある。その魔力を使えば神語で生者と言葉を交わすことが出来る。




「これは「河渡し」という反魂紛いの魔術よ」




 オールドはルーシャに語りかける。「河渡し」は禁術に指定されている魔術で、非常に高度で複雑なものであり一朝一夕の準備でできるものでは無い。指定した死者の魔力を元に、その魂を一時的にこの世に呼び戻すことが出来る。魂が消滅などして存在そのものが無ければ、呼び戻すことは出来ない。さらに魔術の失敗は莫大な被害を引き起こしかねないハイリスクがある。






 事の発端は、オールドがシバにひとつの質問をなげかけたことだった。




「ナーダルから五つの誓約について何か聞いていませんか?」




 シバから魔法術師採用試験の用紙を受け取った時、オールドはその疑問を大魔導士にぶつけた。ナーダルは自分にもしもの時が来ることを想定して、オールドにルーシャのシスターとなってくれないかと依頼してきた。あらゆることを考慮しての行動をしてきたならば、何かルーシャに遺しているのではないかと。




「それはこっちの台詞だ。お前さんこそ知らんのかね?」




 ナーダルと仲が良く、その依頼を引き受けていたのオールドだかこそ、その辺のことは知っていると思ったシバは驚いた。


 五つの誓約まで頭が回っていなかったのかと思った二人だが、それでもやはりそれはナーダルがルーシャに言い渡すべきだという結論に至った。




 二人はナーダルと何かと接することの多かったフィルナルと、今後ともルーシャに関わるであろう黒騎士にこのことを聞いたが、ふたりとも何も知らなかった。これ以上、人をあたっても何もない。




 そう思ったシバはオールドにひとつの提案をする。


 禁術でナーダルを呼び寄せようと。弟子の門出まで責任を持たせようと。




 もちろん禁術であり、リスクも高い。いかにシバが大魔導士と言われていても、さすがに禁術に手を出したことは無かった。


 フィルナルに相談をもちかけ、最悪のケースを考え被害が外へ漏れでないよう翠ノ間という特別な空間を使うことになった。ここは中の魔力が外へ漏れ出ないよう緻密で高度な魔法術がかけられている。さらに最悪のケースに備え、フィルナルの懐刀とも呼ばれている信頼出来る魔導士や呪術師を三名ほど控えてもらっていた。




 大魔導士・シバの尽力があり、禁術が数日で仕上がりオールドはその魔法術の腕前に頭が上がらなかった。






「オールド、話はついたよ」




 ルーシャにことの次第を説明していたオールドに、シバは声をかける。オールドは頷き目を閉じる。


 何が起きるのだろうと見守っていたルーシャは、その変化に目を見開く。オールドから感じられていた魔力が、瞬時にナーダルの魔力へと置き換わる。






「久しぶりだね、ルーシャ」






 オールドの淡い青い瞳が開かれ、聞きなれたオールドの声が響き渡る。だか、いまルーシャに届くのはオールドのそれではなかった。


 青い瞳なのに、ルーシャにはナーダルの緑の瞳に見えて仕方がない。オールドの声なのに聞きなれたナーダルの声に聞こえて仕方がない。向けられる眼差しが・・・何もかもがナーダルそのものだった。




「あんまりぐずぐずしてるとシスターにどやされるから、本題に入ろうか」




 チラッとシバを見据えて笑うその表情があまりにも懐かしく、ルーシャの胸が締め付けられる。すべてオールドの行動なのに、それなのにナーダルに見えて仕方がない。






 真っ直ぐと、オールド──ナーダルはルーシャを見据える。








「これから先の人生において、師匠ぼくから弟子きみに守って欲しい約束を言い渡す」






 懐かしい声が凛と響き渡り、ルーシャは静かにその瞳を真っ直ぐと受け止め師匠からの言葉を待つ。




「ひとつ、魔力の導きを信じること」




 魔力の導きとは、魔法術師たちにとってはなくてはならないものだった。魔力の性質のひとつ、導倫性はあるべき道筋へと人を導くというもので、それは運命や宿命に結び付けられる。




「ふたつ、約束を違えぬこと」




 魔法術師云々の前に人として当たり前のことを願う。




「みっつ、他人を敬うこと」




 生きていく限り嫌でも様々な人と出会っていく。そこにはきっと、自分と異なる価値観を信じ抜く人間もいるかもしれないし、分かり合えない人も大勢いるだろう。それでも、そこにはその人なりの思いや信念があり、それを他人が否定することはできない。




「よっつ、真実を見据えること」




 これから予想もできない新時代へとなり、そこで仲介的な役割をルーシャは師匠から託された。混沌とした時代になるかもしれない、憶測だけが先に飛び交うかもしれない、何が本当のことか分からない時代が来るかもしれない。そのなかで、真実をまず見据えて欲しかった。




「いつつ、自分に素直に生きること」




 さいごに、ナーダルはルーシャにその生き方を願う。役割や仕事を多く求められるかもしれない。それはルーシャがナーダルの弟子であり、〈第三者〉という立場でもあるからであり、本人が望んでのことではないかもしれない。その役割と義務に押しつぶされて欲しくはなく、ルーシャ自信が思うように生きて欲しい──そう願いを伝える。






「試験合格、おめでとう。ルーシャ」






 さいごに、ナーダルはそう言い笑う。




「ありがとうございます、マスター」




 震える声でルーシャはそれだけを言うので精一杯だった。


 その後、瞳を閉じたオールドの体からナーダルの魔力は消え去り、オールドの魔力が戻ってくる。そのままナーダルの魔力は一切感じられなくなり、魔術の効果が切れたとルーシャは知る。




















────────




試験が終わって、巣立ちノ儀が終わって・・・、


一人前の魔法術師になった。




不思議だなぁ、これからは一人で魔法術を使って、一人で生きていくのかー。


いつかはそうなるんだろうって思ってたけど、いざそうなると不思議でしかない。




まさか、マスター本人から五つの誓約を言って貰えるなんて。


シスターとグロース・シバに感謝しかない。


ありがとうございました。






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