p.74 実技試験

 


 雪は振り積もっていないとはいえ、どこか閑散とした広大な森にぽつんと置きざられたルーシャは困ったように青い瞳で周囲を見渡しす。冷たいながらも穏やかな風が肩上で短く切りそろえた黒髪を撫で、髪先が頬をかすめてこそばゆい。溜息をつきたくなるほど晴れ渡った空はただただ青く、これが散歩なら良かったのにと思わずにはいられない。




 つい昨日、魔法術師採用試験の筆記試験を終えたルーシャは二日目の実技試験に足を踏み入れたところだった。昨日の出来など気にする暇もなく次の実技試験の緊張にルーシャは包まれる。試験会場で注意事項用紙と謎の白紙の紙切れひとつを手渡され、会場内に施された魔法陣で試験会場に飛ばされ、見知らぬ森の中にこの身一つで置きざられる。




 試験の注意事項用紙には、試験を取り辞めたい時は用紙に書かれている棄権信号魔法を使えば、試験官が速やかに保護しに来てくれるという。身の危険があるとき、身動きが取れなくなったときがあったとしても、この棄権信号魔法が発せられない限り試験官は一切助けに来ないこと、それで怪我や死ぬことがあっても自己責任であることが書かれている。




(こわっ)




 その注意書きにルーシャは素直に恐怖を感じ、同時にそれが師匠の庇護下から離れ一人前になるということなのだと実感する。己の器にあった裁量が出来ない人間に魔法術師を名乗る資格などない──そう解釈することが出来る。




 あたりを見回し、ルーシャは深呼吸を行いこの場の空気を感じ取る。真冬の空気の中の爽やかなこの風の中に織り交じる魔力は、どれも純粋で強さと儚さが混同している。自然界独特の様々な生物の魔力が呼吸のように満ち溢れ、ルーシャはその感覚を研ぎ澄ませる。幼い頃から生活のために森に足を踏み入れることが多かったルーシャは、そこがどういう場なのかはある程度わかっている。




 数多の命が巣食うここは些細な油断が命を落とす場所であり、魔法術が扱えたといってこの広大な生命が蠢く世界で人間など取るにならない存在でしかない。ここがどういった場所なのかは分からないが、自然が広がっているということは単純に食物連鎖の存在が考えられ、その三角のなかにおいてルーシャは決して頂点ではない。




(真冬だからクマとかはいないと思うけど)




 森において危険な生物は多数いるが、特に体格差が圧倒的にある大型生物は要注意だった。冬眠しているとは思うが、それでも油断することはできない。魔力探知で様々な生物の魔力を感じとれるとはいえ、動植物が折り重なるように生息する森のような場所では正確な魔力探知は至難の業となる。




 周囲に気を張りながら、ルーシャは注意事項用紙を上着のポケットに折りたたんでしまう。冷たい風に体が冷えるが、雪国育ちのルーシャにとってこれほどの寒さはたいしたものではない。それに魔法術を扱える今はいざとなれば空気を温めるなり、周囲の風を遮断するなりの防寒がすぐにできる。




 そのままルーシャはもうひとつの白い紙を見つめる。微かにだが魔力を感じ、そっと自分の魔力を流し込んでみる。本来ならば試験開始前にあるはずの試験内容の説明がないため、この紙が試験内容のヒントを与えてくれるはず。それさえもなければ、なかなか意地悪な実技試験の回と考えるしかなくなる、




 ルーシャの読み通り、白い紙に真っ黒な何かが浮き出る。焦げ付くかのようなその黒は滲むような軌跡を辿り、試験の何かを映し出す。




「・・・地図かー」




 浮き上がったそれを見てルーシャは苦笑いをうかべる。それはひどく大雑把な地図で、この森の外周を表しているのかやや楕円形な歪な丸が白い紙にいっぱいに描かれ、その楕円形の真ん中上から左側の真ん中あたりまで川のような細い線がある。川の手前左側には謎のドクロマーク、地図の下側一体は木を模したと思しきマークが羅列されている。そして、川を渡って一番左手奥に大きくバッテンマークが描かれている。




「ここを目指せってことね。現在位置がわかんないんだけど・・・」




 試験の意図を理解したルーシャはさっそく目的地を目指そうとするが、ここがどこか分からない。さらに地図には方角マークがないため、目指すべき東西南北も分からない。方角は太陽の位置などから大凡おおよその検討はつくが、そもそも地図の方角がわからなければ目指すべき方向も分からない。何か目印となるようなものがあれば良いが、初見の地図では川くらいしかそれらしきものは見当たらない。




(水辺を探すかー)




 試験の説明がなされていない現状で、今できるのは手渡された地図の大きなバッテンマークにたどり着くこと。宝探しのようだと思えるが、この印の場所に果たして何があるのかは検討がつかない。ここまで大きく記されていて、ここが間違いでは無さそうだがそれでも試験という環境が際限ない猜疑心を生む。引っ掛け問題かもしれない、もっと裏を読めば別の解釈が出来るかもしれないと・・・。




 だが、ルーシャの頭ではそれ以上の答えが見つからないため素直にバッテンマークに向かうしかない。


 周囲に気を配ったまま、ルーシャはしゃがみこみ地に片手をつける。そのまま自分を中心に広範囲に音響魔法の一種を放つ。人間の耳には決して届くことのない高周波の音が地面を音速で駆けていく。己の魔力同士を高速で激しくぶつけ合うことで超音波が生まれ、耳には届かなくてもその魔力を感じ取ることで超音波が捉えたものを術者も捉えることが出来る。




 超音波は様々なものにぶつかり、その度にルーシャは森の地の中を感じ取る。殆どが地面を編むように張っている木々の根だが、時折何かの空洞のようなものや、崖なのか地面が途切れるところもある。地を這う形の超音波では、水のその存在を感知することはかなり難しいが、地面の形を把握することが出来れば川の特徴──じめんのうねり、川床の存在などを見つけることができると踏んだ。さらに音響魔法は比較的簡易かつ魔力消費も少ない上、広範囲に使えるためルーシャの現状からは使い勝手が良かった。




(んー、遠いなぁ)




 それらしき地形を発見したルーシャは、超音波の反響から現在地までの距離を概算する。試験時間の制限は告げられておらず、おそらく今回は制限時間がないタイプの実技試験なのだろう。過去にも何回もこの手の試験は行われているが、試験を長時間続けるプレッシャーもあれば、試験中は誰の手も借りず生き抜いて課題をクリアしなければならない。ある程度サバイバル能力に長けているとはいえ、ルーシャもいつまでも真冬の森にいたいとは思っていない。




 移動速度をあげるには様々な手段があり、空間移動がわりと主流ではあるが空間移動には現時点と移動先に目印となるピンを立てる必要がある。また、空間移動は便利だが魔法ひとつであらゆる場所に誰でも足を踏み入れられるという危険性があり、魔力協会によってピンの情報は集約・管理されている。新たなピンを立てるためには申請が必要で、無許可で行えばそれなりの罰則が与えられる。




 また、空間に目印を立てるためにはその居場所をピンに細かく刻まなければならないため、全く居場所の分からない場所に遠方から遠隔操作でピンを立てることは出来ない。




(気流はバッチリだし、ちゃちゃっと飛んでいこうかな)




 空を見上げ、ルーシャは風の流れの魔力を感じ取る。その魔力の流れの早さが常に均一で速度も十分にあるため、そこに気流があることが分かる。試験をさっさと終えてしまいたいルーシャはすぐに神語を構成し、周囲の風を集めて即座に空に飛び上がる。シバの元で修行をしていたため、呪文の詠唱を省くことがすっかり癖となってしまっていた。




 上空の空気は地上のものよりも格段に冷たく、気圧が下がるため耳鳴りもする。瞬時に先程までいた地面が遠のき、ルーシャの眼科には森の木々が映る。冬場の森の木々は葉を落としているものも多く、上空から眺めたその光景が美しいとはあまり思えない。




「あらまー、これは避けたいなぁ」




 周囲を見渡したルーシャの瞳は目的地を見すえ、そこから僅かに見える魔力の瘴気を感じ取る。瘴気は腐敗した魔力による変化の結果生じたものであり、基本的に人間だけではなく動植物にも悪影響を及ぼす。魔力が腐敗する要因は様々あるが、生物の中にはその腐敗した魔力を自ら生みだしその環境下で生きるものもいる。様々な生物の多様性があるからこそ、今この世界があるのだが、それでも良くない環境にわざわざ足を踏み入れたくはない。




 地図上のドクロマークはおそらく、その瘴気群のことを指していたのだろうが目的地はそのすぐ近くにある。




(あえてなんだろうけどねー)




 気流に乗って空中を飛んで進みながらルーシャは瘴気対策を考える。危険地帯と目的地を近くに設定したあたり、試験官はこの状況下でどう対応するのかを見るのだろう。念のため、地図にある川の右手側を確認しに行くつもりだが、そんな簡単に迂回できる道があるわけではいだろうと踏む。




 瘴気に対しては浄化か、腐敗魔力そのものを還元すれば良い。浄化系統の魔法術は封印系統と同列に配置されており、その構造が複雑でありあまりルーシャの得意分野ではない。還元系統はそれなりに得意であるが、還元すべき魔力量が多ければルーシャの魔力が尽きてしまう。




 地図を片手に優雅に空の旅をしていたルーシャの耳に、バサッと力強い羽音が響き渡る。




「っ!」




 それと同時に鋭い何かがルーシャの左足をかすめる。かすめただけなのに、その衝撃は強く、痛みに息が出来なくなる。咄嗟に左の脹脛ふくらはぎを手で抑えると、生暖かくぬるっとした感触が手を滑っていく。




(これはヤバい)




 森を離れたことで大型獣へ対しての警戒心も薄れていたルーシャは、左足に負った傷の止血と簡易の殺菌処理をして自分の周囲の状況に汗をかく。中型の鳥が群れをなして意図的にルーシャの周囲を囲んでいる。


 生物学に秀でているわけではないが、鳥たちから向けられるそれが殺気であること、これが群れで狩りを行っている鳥たちであることは容易に想像がついた。領域を冒したということも考えられたが、それならばせめて鳥たちの警告が何かしらあったはず。それがなく不意を着く形で襲撃を受けたいま、ルーシャは狩られる側に回っていると考えられた。




 気流の流れにいるのにも関わらず、鳥たちは巧みな連携でルーシャを襲い始める。四方八方から鋭い嘴と爪が襲いかかり、空という自由が利きにくい場所にルーシャは苦戦する。せめてこの包囲網から出ようとするが、すぐに連携がとれた鳥たちにより逃げ道が封鎖される。ナイフのように尖った嘴や爪により衣服は所々裂かれ、体の至る所に裂傷がつく。細かい傷から血が滴り、痛みが身体中を襲う。




 痛みを感じながらもルーシャは自分と鳥を含む範囲に魔力を放出し、それらを繋ぎ合わせることで簡易的に空間を区切る。そのなかでそのまま、光魔法と真逆の神語を構成することで空間内の光を奪い、昼間なのに一瞬でその空間だけに暗闇が生じる。困惑して動きを止める鳥たちに対し、そのまま構成した神語を反転させ一瞬で光魔法を発動させる。暗闇から突如として光が現れることで、フラッシュ効果が倍増する。鳥たちは突然の眩い光に視界を奪われ、パニックを起こす。




 ルーシャはその混乱に乗じ、鳥たちの包囲網をくぐりぬける。同じ空間にいたが、ルーシャは予め魔法を発動させる前に自分の周りの神語構造のみを解除したため、自分が強烈なフラッシュのなかに巻き込まれることは防いでいた。そのため視界を奪われることなく、なんとか鳥の餌食になることは防いだ。




 このまま上空に留まることは危険なため、目的地の方角と距離をを軽く確認し地上に降り立つのだった。














────────




実技試験が始まった。


内容も何も説明されずに始まっちゃったんだけど・・・こんなもんなの?


宝探し的な感じなのかなー、地図だけ渡されたし。




見ず知らずの土地にひとりぼっちは、ちょっとつらいけど何とか乗り切るしかない!




がんばろ!!


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