p.66 兄妹

 すべてを話し終えたのか、ナーダルは口を閉ざす。部屋の中では医療モニターの音だけが規則的に鳴り響き、部屋の静寂を意識せざるを得ない。しかし、ルーシャには何を言うべきか、聞くべきかの見当がつかない。




「ルーシャに話すべきか悩んだけど・・・。いずれは知ることだろうから、せめて師匠である僕の口から伝えようと思う」




 何の前ぶれもなくナーダルが再び口を開く。だが、どこかまだ躊躇いがあるのか、ナーダルは言葉を選びながらルーシャに語りかける。今まで聞いてきたこと以上に何があるのかと思いながらも、ルーシャは静かに師匠の言葉を待つ。




「単刀直入に言うと、君のお兄さんであるアストル王太子はウィルト国王とアリー王妃の実子で・・・君とはまったく血の繋がりはない」










 ******






 今から約十九年前のセルドルフ王国にて、アストルは国王ウィルト・ユーリィ・ネストと王妃アリー・マミル・エーティアの間に生を受けた。ネスト家の第二王子として生まれ、国中の誰もがその存在を祝福したという。ウィルトとアリーの間には三歳の第一王子──アストルにとっての兄がいた。その第一王子の名前はセルバ・エーティア・ネストといい、幼いながらも英才教育と生まれながらの才能を有し、国王候補として非常に期待をされていた。




 その頃のウィルトは魔力嫌いではなく、魔力協会とも契約関係を結んでいたし、国内にいくつも魔力協会の支部を建設し、王宮魔導士にオーゼという男を雇っていた。また第一王子のセルバは幼いながらも魔力に目覚めており、オーゼに師事していた。




 ふたりの王子は両親や城の人間から大切に扱われ、すくすく育っていった。兄弟の仲も良く、セルバは弟を可愛がり、アストルは兄を慕っていた。なんの問題もないような日々だったが、それは水面下で物事が動いていたからに過ぎなかった。




 元々優秀だったセルバの周りには彼を次期国王にしようと画策する人間が大勢いた。大臣職から軍人、その他の人間も数多くがセルバに取り巻いていた。そんななか、同じく王位を継げる国王の正式な血筋の子どもが生まれた。さらにそのアストルは幼いながら、セルバと同じく賢くもあった。アストルこそが王位に相応しいと考える人間が出てくることは至極当然のことでもあった。




 そうしてセルドルフ王国ではまだ王子たちが幼いながらも、すでに王位争いが起きていた。セルバを推す第一王子派と、アストルを推す第二王子派が水面下で火花を散らしながらも、平静な日々が続いていた。王子達はまだ幼く、派閥があることも、周囲の人間が自分たちをどのような目で見ているのかもはっきりと分かっていなかった。ウィルトは薄々、派閥の存在に気付いてそれとなく注意していたが、まだ王子たちも幼く本格的な争いになることはないであろうと踏んでいた。






 だが、そんななかとんでもない事件が発生してしまった。


 それは、まだセルバが五歳、アストルが二歳のときのことだった。ふたりの王子を取り巻く派閥争いは王子たちがまだまだ幼いにも関わらず白熱化していっていた。この派閥争いでどちらの派閥も人脈は似たようなものであり、どちらにも国王の側近レベルの大臣もいるし、軍部の幹部もいた。ただ、王宮魔導士のオーゼだけはどちらにつくか明言しておらず中立を守っていた。どちらの派閥もオーゼを取り入れようとしていた。




「セルバ王子が王に相応しいかと」




 アストルが誕生してからずっと中立を保っていたオーゼだがある日突然、第一王子派のもとを訪れ、そう明言した。何が彼の心を動かしたのかは誰もその本心を聞くことはできなかった。だが、第一王子派は強力な人間を引き入れられいっそう勢力が増した。






 そして、セルバを王にすべくオーゼは一つの魔術を使った。非常に複雑だが、手間暇さえ惜しまず正しく行えば望む結果をもたらすという「硝子ノ魔術」にオーゼは手を出した。硝子ノ魔術は決まった神語構造は極小数しかなく、それ以外は術者が望む結果をもたらすためだけに自ら神語を構造し、必要な魔力量を決定する。まさに、願いを叶えるための魔術だった。




 そんな硝子ノ魔術でオーゼが行ったのは、世界中の人間からアストルの記憶を消すという壮大な計画だった。知り合いのそれほど多くない庶民一人でも、その人間を知っているものすべてから記憶を消すことでさえも大変なのに、オーゼが行ったのは世界中の人間が知っているであろう大国の第二王子の記憶だった。無理難題とも思えるその計画をオーゼはたった一人で半年ほどで完成させ、何の誤作動やミスもなく完遂させた。




 魔力協会は常に魔法術の悪用が成されぬよう魔法術師や魔導士たちを監視しており、強大な魔法術が発動されると分かるようなシステムもある。それに危険な魔法術を調べている人間についても監視している。さらに危険な魔法術の発動によるテロ的な行動などが起きないよう、魔力協会の本部では強力な還元魔法術を施しており、何か外部的な魔力が介入しても打ち消す仕組みができていた。そんな、様々なシステムにひとつひとつ対応し自分以外のすべての人間がその記憶からアストルを消すことを行った。




 そして、オーゼはそのままアストルを連れ去り、セルドルフ王国内にある山奥に放置した。記憶を消したため、オーゼ以外の人間──アストルの実の親であるウィルトとアリーでさえもアストルのことを忘れている。だから、アストルがいることがそもそもの矛盾となるため城から眠らせて連れ出したが、王子を殺すだけの度胸などオーゼにはなかった。そのため森の奥に置いていくことで自然の淘汰を期待した。




 幼いアストルは目が覚めて見知らぬ場所にいた。さらにオーゼの硝子ノ魔術はオーゼ以外の人間からアストルの記憶を消しており、アストルは自分が何者なのかも、家がどこかも、何もかもが分からなかった。まだ二歳のアストルに分かったことは、ただただ寂しくて怖いということだった。どうしたら良いのかも分からず泣きながら森をさまよっていた。幼い子どもに森は広く、深く、大きかった。




 どれだけ泣いたのかもわからず、どうしたら良いのか全く分からないアストルは途中で意識を失った。幼い体にとって未知の空間にいることも、そこを歩き回ることも泣き続けることも、そして不安に晒され続けることもすべてが負担となっていた。




 偶然にも、そんな山奥で人が通り過ぎアストルを発見した。その女は一人の赤子を抱きながら山奥を歩いており、疲れ果てて寝てしまっているアストルを見つけた。女はあたりを見回し、眠りこけている男の子を見ると泣いたあとがはっきりと見えた。こんな山奥でどこかの迷子か、それとも親に捨てられたのかと思い女は赤子を抱え、アストルをおぶさり森を抜けたのだった。




 その女こそ若くして他界したというルーシャとアストルの育ての親だった。名前はルイーズという。そして、彼女が抱えていた赤子こそがルーシャだった。ルイーズは目を覚ましたアストルに名前や住処などを聞いたが、アストルは名前しか答えられずあとのことは何も分からなかった。親の名前や特徴を聞かれても、なんの事を聞かれているのか分からずただただ不安に泣いていた。ルイーズはここで出会ったのも何かの縁であろうと、見ず知らずの男の子をこの手で育てることを決意したという。




 そして、ルーシャとアストルは兄妹として故郷の村で育てられた。ルイーズはアストルを森で拾ったことなど一切話さず、ふたりは本当の兄妹として育った。だが、無理をして働いてきたからかルイーズはルーシャが九歳、アストルが十一歳のときに若くしてこの世を去った。大好きな母親が亡くなりルーシャとアストルは散々悲しみ、そして二人で生きていくことを決意した。




 貧しいながらも何とか生活をしていた二人の前にウィルトが現れたのはそれから四年後のことだった。ルーシャが十三歳、アストルが十五歳、そして第一王子セルバが十八歳のこの年に硝子ノ魔術を完遂させた王宮魔導士のオーゼが亡くなった。死因は病死だというが、詳細は分かっていない。術者が亡くなったことで硝子ノ魔術は自然と解かれ、ウィルトとアリーの記憶が蘇る。アストルに関してはあまりに幼い記憶だったため、硝子ノ魔術が解けても自分が何者なのか分からなかった。




 硝子ノ魔術は願いが叶う画期的な魔術であるが、それは術者が死ねばその効力をなくす幻のようなものに過ぎなかった。本来、魔術が解けたなら──今回ならばアストルの記憶が世界中の人間に戻るはずだった。しかし、魔力の研究が進んだとされる昨今でさえ解明されていない現象がある。それが強力な魔力を長時間発動すると起きる現象「金属の磁石化」と「発動した魔力に関する忘却」であり、今回は後者が働いた。その影響でアストルのことを思い出せたのは彼に近しい人間、ウィルトやアリー、セルバといった家族と城の中でも側近レベルのものだった。そして、魔力協会の人間はある程度魔力に耐性があるため魔力協会の人間も忘れてしまったものもいるが、大抵の人間はアストルのことを思い出した。




 十八歳となったセルバは弟のことを忘れたまま育ち、次期国王として申し分ない成長をしていた。文武両道で魔法術師ともなったセルバだったが、硝子ノ魔術が解けたことでアストルのことだけではなく、派閥争いのことも思い出す。そして今回の事件が派閥争いの末に引き起こされてしまったこと、弟の存在などすっかり忘れて過ごしていたことに対し、セルバはひどく自分を責めた。責任感の強いセルバは誰にも何も言わず、城を去った。




 ウィルトはアストルのことを知り、すぐにアストルの捜索を魔力協会に命じた。この時、会長をしていた大魔導士・シバは事を重大に捉えウィルトの言葉に二つ返事を行い協会員によりアストルの居場所が割り出された。さらに同時に失踪したセルバについても捜索が行われたが、こちらは今現在になってもその存在を誰も見つけることが出来ていない。




 無事にアストルを見つけられたウィルトは、ともに育ってきたルーシャをひとり故郷の村に置いておくことが躊躇われた。まったく見ず知らずの少女とはいえ、アストルとともに生きてきて、彼を唯一の家族としていた。引き離すほどウィルトは冷酷ではない。それに、アストルを王子として城に迎え入れるにあたりどう説明するのかも問題だった。国民の殆どはアストルが正式な第二王子であることを覚えていない。もし、真実を話してしまえば魔力や魔法術、魔力協会そのものへの批判が高まる。昨今において魔力協会がその信用を落とすことは世界平和そのものを脅かす。




 そこでウィルトはひとつの嘘を突き通すことにした。王位継承問題に対し、自分の血を継ぐが王妃以外の人間との不義の子を迎え入れると。当然、嘘をつくにあたりアストル自身に心ない言葉や態度が示されることも、それにルーシャが巻き込まれることも、そして何よりアストルをここまで育ててくれた恩あるルイーズという女を悪者にすることも分かっていた。それでも、ウィルトは断腸の思いで魔力協会を擁護する決断をした。






 ******








「あとのことはルーシャが知っている通りだよ」




 話し終えたナーダルはルーシャを伺いみる。どこか放心状態のルーシャはどこか夢を見ているようだった。


 先ほどナーダルから聞いた竜や竜人ノ民といった物語よりも、今の話の方に意識がいく。全く予想だにしていなかったナーダルの突然の告白はルーシャの人生の今までを全て覆す。




「じゃあ、ウィルト陛下があんなに魔力を嫌っていたのは・・・」




「子どもを奪われ傷つけられたも同然だからね。それでも陛下は魔力や協会を忌み嫌いながらも、自分や君たちを傷つけてまで・・・協会を守ってくれ、今でも協会の活動に協力的でいてくれてる。あの方ほどの統治者を僕らは知らないよ」




 そして、今はナーダルの忠告通りに魔力協会と再び契約関係を結び王宮魔導士まで雇っている。


 ウィルトは一個人としての思いも考えも全て封じこめ、国のため、世界のために為すべきことをしている国王の鏡のような人物だった。




 次男との家族の時間を奪われ、長男は失踪しその行方どころか安否すらも分からない。妻の王妃・アリーは自身の子を忘れてのうのうと生きていたことに自分を責め、以来部屋に閉じこもりがちとなっている。魔力による甚大な被害を受けたのにも関わらず、ウィルトの行った判断は英断としか言いようがない。どれほどの思いを押し込めているかなど、魔力協会の人間には想像することすらおこがましい事だった。




「・・・セルバ王子は?」




「今もまだ消息は掴めていない」




 今でもセルドルフ王国や魔力協会で第一王子の消息を探しているが、その気配や魔力すら見つけられていない。それらしき噂も全くなく、亡くなったのでは・・・という噂がたっているほどだった。




「アストル王太子はその魔術の影響を強く受け、魔力に目覚めてはいなかったけど他の魔力にひどく敏感となっていた。長らくセルドルフ王城に魔力を扱うものがいなかったから、それがどうこうすることはなかったんだけど・・・」




 しかし、ナーダルが偶然にもセルドルフ王国に暫く滞在することとなり、魔法術を使うことで他者の魔力を微弱ながら頻繁に感じ取る。さらにナーダルに師事したルーシャが頻繁に魔法術を扱うことで、その感じ取る魔力は多くなる。




 そして、アストルは無自覚のまま目覚めた自分の魔力に乗っ取られた。自我のないまま魔力が導くままに魔法術と呼ぶことさえできない、無理な魔力の使用を行い城を抜け出し世界を放浪していた。


 ナーダルはそんなアストルを見つけ出し、その魔力を封印することでアストルを止めた。




 兄のそんな現状など一切知らなかったルーシャはただ驚く。




「本当はね、このことをルーシャに話すべきか迷ったんだよ。ウィルト陛下はこの真実をルーシャには話さず隠したいと思っていた。真実を知った時、君が孤独にならないように」




 ナーダルの言葉にルーシャはウィルトの顔を思い出す。国王と一般庶民という互いの立場もあり、気安く話すことは無かった。それでも、ウィルトが常に自分のことを気遣ってくれているのは分かっていた。




 その優しさの背景にはこれ程までの事件があり、そしてそれでもなお他人のルーシャを気遣ってくれる。その根本的な理由が、この事件の末に巻き込まれたルーシャへの詫びのようなものだとしても、それでもルーシャはウィルトの心遣いが嬉しかった。




「でも、魔力協会に在籍する以上この話は誰かから聞くかもしれない。ならばせめて僕の口からと思ったんだよ」




 何かの拍子に赤の他人から語られるよりも・・・そう思い、ナーダルはルーシャにその過去を話した。ずっと兄だと思っていた人物が赤の他人だったと言われてもピンとこないし、やはりまだどこか先程の竜の話のように夢物語のような気もして現実感がない。




 だが、ウィルトがあれほど魔力や魔力協会を毛嫌いしていた理由には納得ができた。魔力協会は本来、協会員を見張り、間違いを犯そうとしていたならば正す立場にある。その協会がありながら、最悪の事件は起きてしまっていた。
















──────────




マスターからたくさん話を聞いた。


どれも、どこか物語を聞くかのように信じられない。




それに、兄さんとは全くの血縁がなかったと言われても現実味はない。


そこまで血縁なんてものにこだわってきてなかったからかなー。




そして、兄さんが起こした事件のことも。


マスターは暴走してしまった兄さんを止めようとして大ケガをおった。今こうして話をするくらいには回復しているとは思っても、起き上がることさえできずにいるマスターを見ると・・・




 その負った傷が浅くないことはすぐ分かる。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る