p.60 行方不明
ローガンを捕まえて魔力協会に突き出して数日後。
ルーシャとナーダルはここ2週間近く、ローガンがどう行動するのか読めず交代で彼を尾行し続けていた。そのため蓄積した疲労をとるため、ユングの街にある大きなホテルに滞在し、ゆっくりとした時間を過ごしていた。ふかふかの暖かいベッドで眠れば疲れが取れ、暖かな湯船に浸かれば凝り固まった体や魔力がほぐれ、ホテルの厳選された食材でシェフの手によりをかけた料理を口にすれば元気が湧く。
旅の最中は基本的に野宿や安い宿屋で過ごす二人にとって珍しい贅沢だが、二人とも至れり尽くせりのホテル生活で次の旅への英気を養っているようだった。ナーダルは出会った頃から相も変わらず基本的に寝起きが悪く、いつもルーシャが先に起きて適当な時間に師匠を起こす。特に予定や用事もないので、放っておけばいつまでも夢の世界に入り浸りそうなナーダルを現実に戻すだけの作業が続けられる。
ローガンはあの日、捕まえて早々に魔力協会に引き渡した。ルーシャが捕縛してから引き渡すまで一時間もたっておらず、一時的な魔力の固定によるローガンへのダメージはほぼないものとなっていた。現行犯での逮捕、ついでに映像での証拠もあったため報奨金は速やかに支払われた。A級クラスの指名手配犯を追い込んだということだけあり、ルーシャは自身の魔法術に自信をもてた。指名手配犯のランクでいえば、凶悪な殺人犯などのさらに危険度が増した人物もいるが、それらを取りしまえるのは熟練の魔法術師や懸賞金狩り、あとは魔力協会の警備部といった一部の人間になる。一般的な魔力協会員が簡単に手を出して良いレベルでは無いため、ルーシャは一般的な魔法術師としての経験を積めたことに満足していた。
「マスター、おはようございます」
自分の朝食や身支度を終え、ルーシャは師匠を起こすというここ数日間の日課をこなす。ナーダルの部屋の扉をノックし、フロントで借りた合鍵で部屋の扉を開ける。冬場の日の出が遅いとはいえ、ナーダルの起床時間そのものが遅いため部屋には太陽の光が優しく射している。
「・・・あれ?」
部屋に入りベッドまで足を運んだルーシャは首を捻る。いつもならそこに横たわっているはずのナーダルがいない。珍しく早起きでもしたのだろうかと思いながら、何気なくルーシャはそのベッドの布団を整えようと布団に触れる。
(冷たい・・・)
ベッドの布団はひんやりとしており、人の温かさは微塵も感じられない。ルーシャがここを訪れるよりもずっと前にナーダルは起きて、部屋を出ていったのだろう。
「・・・」
たまたま早起きしたのだろうと思いながらも、なぜかルーシャのなかで得体の知れない不安が駆け巡る。何がという訳でもないが、何故か無性に不安になる。布団の冷たさがなぜだか嫌なほど手に残る。
本当に偶然、ナーダルは早起きしただけなのだろうか?
早起きついでに散歩に行ったのか、それとも何かしらの用事で出ていったのか?
早く帰ってくるつもりが長引いたのか?
そもそも無事に帰ってきてくれるのか?
何故か唐突に感じた不安は自然と焦りへと変化する。何がという訳ではない、ただの直感だがルーシャが動くにはそれで十分だった。根拠もなにもなくてもいい、ただいま直ぐにナーダルの所在と安否を知りたかった。こんな不安をどうして感じたのかなど分からないが、今はそんなことを考えている時間すら勿体ないように感じられた。
ルーシャはすぐに不安を拭うように魔力探知を行う。ずっと一緒に過ごしてきたからこそ、他の誰よりもナーダルの魔力は分かるし、そもそもナーダルの魔力は明らかに他の人間のものと違う。〈青ノ第二者〉であるからなのか、その魔力は圧倒的に清々しく、あらゆるものを清め流してしまいそうであり、時に荒々しくすべてを有無を言わさずその力で押し流してしまいそうでもあった。
魔力探知はその術者の技量で範囲が変化するが、ルーシャは集中して行えば小さな町くらいならば隅々まで探知できるまで腕を上げていた。さすがにユングの街は広大であり、ルーシャの技量ではこの街の端から端まで魔力探知を行うことは不可能だった。
(・・・どこ?)
これほどまで、師匠の魔力を感じられないことに不安を覚えたことはない。一緒に旅をしてきたと言っても、四六時中ピッタリとくっついていた訳では無いし、適当にお互い好き勝手に行動して合流することも多い。そんななか、ナーダルの存在がいない事で、その魔力を感じられないことでこれほどまでに鼓動が早く激しくなったことはない。
ルーシャは自分の部屋で上着と貴重品だけを手に取り、冬の街へと繰り出す。ホテルの一歩外へ出ると、その冷気で今この状況が現実なのだと実感せざるを得ない。街中を歩く人々がそこにいるのに、どこか自分一人だけが世界から取り残されたかのような感覚に囚われる。そこに人々も自分もいるのに、自分だけがその次元から切り取られたような不思議な感覚をおぼえながらもルーシャは向かうべきところもわからぬまま足早に街中を歩く。
街中を流すように歩きながらも、その瞳は忙しなく周囲を見渡し師匠の姿を探す。それと同時に魔力探知を広範囲に行い少しでも早くナーダルの所在をつかもうと必死だった。言いようのない、根拠も何もない不安で押しつぶされそうになる。布団が既に冷えきっていた頃から、ナーダルがホテルを後にしたのが随分前だということは分かった。普通の人間ならば早起きしたところで行ける範囲には限界がある、交通網を使ったところで限りがあるだろう。
しかし、ナーダルは魔導士でありその気になればどこにでも、遠くにでも行くことが出来る。この街にすでにいない可能性もある。
(シスターやグロース・シバなら・・・、いや・・・)
ふとナーダルの居場所や動向がわかりそうな人間に連絡することも考えたが、確証も何もない単なる漠然とした不安に巻き込むには根拠がなさすぎた。ナーダルには抱えるものは多くあり、それをルーシャがともに抱えることは出来ない。だからこそ、巻き込まないための行動かもしれないとさえ思える。
(何もしないことが最善なこともあるけどっ!)
つい数ヶ月前のレティルトのことが思い出される。あの時は何もしないことが事を悪化させない最善であり、何かをしたくても何も出来ない自分の実力のなさに焦れったさしか感じなかった。分かる、踏み入れられない領域があることくらい。それでも、こうして黙っておいていかれることは堪らなく辛い。
息が切れ胸が苦しい。冷たい空気を吸っているはずなのに体は火照って暑く、それとは相反して探しても所在の欠片すら見つけられない現状に心が凍りつく。街中の雑踏に身を置くと、嫌なほどルーシャの無力を誇張するかのようで孤独をより一層感じてしまう。助けを求めるべき相手もわからず、ただただ押しつぶされそうな不安を抱えて広大な街中を走り回る。
これほど不安が大きいのは、レティルトの一件があったからなのだろうか。目の前で命の灯火が消えゆくのを見たからなのか、身近で大切な人間が無くなるその場にいたかなのか。
(ちがう、これは・・・)
焦って街中を走り回るルーシャだが、この焦りの正体は漠然としてはいるが分かっていた。
これはレティルトのことがあったからではない。あの事があろうがなかろうが、ルーシャは今感じている事がなんなのか直感的にわかる。
(導倫性がザワついている)
魔力が──その本質が反応している、この現状に。魔力の五つの本質のなかでも、その存在そのものが未だに議論されている導倫性がルーシャのなかで大きく動いているようだった。導倫性・・・それはあるべき未来や道筋へと魔力が導くという本質で、それが動くということはなにか大きなことが起きているということかもしれない。
直感のようなそれはもしかしたら、単なる気の所為なのかもしれないし思い過ごしかもしれない。だが、それはナーダルの居場所を、その安否を確認しなければ収まりようのないものだった。いつまでたっても聞ける気配のない不安と、流行る鼓動を胸にルーシャはユングの街を駆け巡る。
居場所や目的などが分からない上、魔力探知にも一切引っかからない。ここまで引っかからないなら、よほどの遠方へ行っているかわざと魔力を隠しているのかの二択になる。封印系統を極めているナーダルにその魔力を隠されたならば、ルーシャの技量でそれを見つけることは困難となる。これほどまでに魔力を一切拾えないとなると、わざと魔力を隠している可能性が非常に高い。遠方に行っただけなら、僅かな魔力の残り香が必ずあるはずだし、魔力探知に秀でて慣れているルーシャからすれば残り香を探し出すことはそれほど苦労しないことだった。
そんなルーシャが一切ナーダルの痕跡を見つけられないとなれば、それはもはやわずかな痕跡すらも綺麗に流して隠したとしか思えない。
(となれば、マスターはこの街の中か近くにいるはず)
遠方に行くのであれば多少の魔力の残存はそこまで気にしないだろう。ルーシャがそれを辿って追いつくこともできなくはないが、複雑で高度な手順を使ったり、あるいはナーダルほどの魔導士なら複数の魔力の痕跡を残して追跡を免れることすらもできる。
ルーシャは焦る気持ちを押し込めながら、急ぎながらも丁寧にユングの街を端から端まで探すことを決意する。
──────────
指名手配犯を捕まえてゆっくりしてたのに、急にマスターが消えた。
何も言わずにどこかにふらっと行くことも良くあったけど・・・、なんだかとても嫌な予感がする。
なんでだろう。
もう、リーシェルさんのこともそれほど気にしなくていいのに。
なんの前触れもなく、鼓動が早くなって、胸が痛い。
体が、魔力が何かを察したかのように。
不安でしかない。
早くマスターを探さなきゃ!!
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