第六章 封印の城

p.47 故郷

 山々に囲まれ、その村の空気は非常に澄みきっている。真夏とは思えないほど、どこか涼しい空気を肌で感じながらナーダルとルーシャはとある場所にいた。二人の目の前に佇むのは小さな墓標で、二人はそこで静かに手を合わせる。




 ナーダルの呪いが解け、ふたりは様々な国を渡り歩いた。フィルナルからの依頼は場所も内容も多岐に渡り、ふたりは様々な場所を訪れていた。南国の青い海を目の当たりにし、北国の雪と氷の世界で震え上がり、高山の厳しさに咲く小さな花に勇気を貰う。溶けてしまうような灼熱の地では二人して死にかけ、世界一の大都会では人の流れに散々流されたりもした。




 そんな日々のなか、ルーシャの扱える魔法術は格段に種類も増え難易度も多岐にわたった。ほとんどの魔法術はひとりでも概ね使えるようになり、知識としての習得はほぼ終わっていた。あとはどれだけ経験を積み重ねるか、どれだけひとつひとつの魔法術を深めていけるか、どれだけ魔力の本質やそれぞれの魔法術の特性を理解し応用できるか。




 そんななか、フィルナルの依頼で偶然にもセルドルフ王国のとある町に来ていた。依頼をすぐに終えたナーダルにルーシャはひとつのお願いをした。「母の墓参りに行きたいです」と。




 ルーシャとアストルの育った村の近くであり、ナーダルは弟子のその言葉を快諾したのだった。深い山々に囲まれたその村は良くいえば自然豊か、悪く言えば田舎だった。いくつかの商店があるとはいえ、畑が数多く目立つ。




(・・・ルーシャと王太子のルーツか)




 積もる話があるルーシャは墓標の前で静かに手を合わせたままだった。ナーダルはそっと立ち上がり、その場を離れ少し村の中を散策する。何もないこの村でルーシャとアストルは育ってきた、ウィルト国王が迎えに来るまでは。




 ルーシャの母親の墓に行く前、ルーシャは村長と再会を果たしていた。突然のルーシャの来訪に驚いたものの、村長はルーシャがいつでも帰ってこられるようアストルとルーシャが住んでいた家を管理してくれていた。アストルはもはや国王となるべく運命だが、ルーシャは違う。いつでも帰ってきてもいいように、誰も住んでいない家屋に風を通し、掃除し、傷んだ部分は定期的に修理していた。




(・・・帰る場所か)




 ルーシャのかつての家に足を踏み入れ、ナーダルは少し前の出来事を思い出す。その身に降りかかった呪いを解いた翌日のことを今でも鮮明に思い出すことがあった。












 * * *






 メイルを倒した翌日、ナーダルは宿の外で大きな伸びをする。呪いにかかってから、魔力の回復に寝てばかりいたため太陽の光が妙に眩しく感じられる。




「ナーダル」




 声をかけられ振り向くと、そこにはどこか神妙な面持ちのオールドが立っていた。昨日の夜はさんざん心配したのだと怒られたが、ナーダルの無事に心底ほっとしたような顔をしていたのを覚えている。




「ん?どうかした?」




 いつも通りナーダルはオールドに笑いかける。心配をかけたことは申し訳なかったとも思うし、数日間とはいえ呪いで動けないナーダルのために仕事も休んでここに滞在してくれていた。何か奢ってくれとでも言われるのかと思っていたナーダルの耳に、思わぬ言葉が届く。






「あんたのこと好きよ」






 真っ直ぐとナーダルを見つめるオールドの瞳に迷いなどなかった。


 オールドはナーダルと初めて出会った時、すべてが覆される何かがナーダルにはあった。それが何なのか分からず、苦しんだ時さえもあった。そして、それが恋だと気付いた時には言い様のない絶望があった。一国の姫として、王家の人間として、求められるものがあることは痛いほど分かっていた。本家から逃れられないことも分かっていたし、だからこそ同じ王家のアストルと婚約することにも覚悟はしていた。ナーダルへの恋心は叶わないことで、叶ってはいけないことで、持つことさえもいけないものだった。




 それでも、恋焦がれてしまったものはどうしようもなかった。ただ、友人の一人という立場にやきもきしながらも・・・ナーダルの近くにいられるのならばいいかもしれないと言い聞かせていた。叶わぬならば、この気持ちはひっそりと自分の中に閉まっておこうと。




 だが、今回の呪いの件でオールドの心境は大きく変わった。目の前で苦しむナーダルが死んでしまうかもしれない──そう思った時、このままではいけないと思えてしまった。このままでいることが現状としてはベストで、そうするしかなかった。叶っても叶わなくても、この想いは隠さなければならないと。




 叶わなくても、困らせても、この気持ちはきちんと伝えなければと思ったのだった。恋焦がれているこの気持ちは間違いなく自分のもので、一国の姫としては抱いていいものではないかもしれない。だが、この気持ちを無いものとして扱うことはできなかった。だから、ナーダルが困るとわかっていながら、今の友人としての関係性が崩れると分かっていながら、その言葉を口にした。




 驚いた様子のナーダルだったが、すぐにオールドがふざけて言っている言葉ではないと察する。




「・・・オールド。ごめん、今の僕には・・・」




 心底驚いた表情のナーダルは言葉を選び慎重に口を開いている様子たった。




「こっちこそ、ごめん」




 この想いを無いものとしたくなかったし、フラれるのは分かっていた。ナーダルの気持ちなど分からないが、婚約者がいる一国の王女の手を取れる人間などいないだろう。ましてや、元王子だったナーダルは多少なりとも各国の国情なども分かっている。安易な判断はしないだろう。


 分かっていたが、それ以上なにも聞きたくない気がしてオールドは踵を返す。だが、その手をナーダルは掴む。




「今の僕には何も言えない。だから、少しだけ待ってて」




 ナーダルの顔には先程までの驚きはなく、強い覚悟を感じる。


 今のナーダルにはオールドへ何を言うこともできない──それは、世界最強の女騎士から逃げているため。いつかは訪れる可能性のあるリーシェルとの再会は決して楽観視できるものではない。命を落としてもおかしくはないし、無事にいられる保証などない。




 すべてを精算して、やるべきことを片付けて・・・それから向き合いたかった。片手間ではなく、きちんとすべてを考えてオールドの想いと向き合いたかった。




「そんなこと言っていいの?」




 いつもとは違う真剣な眼差しのオールドはナーダルの覚悟を肌で感じながら、呟くように問いかける。ナーダルの言わんとすることも分かるし、その覚悟はどこか嬉しい。だが、その選択をすることの意義を問う。




「君にだから言うんだよ、オールド」




 にこりと笑うその表情に、その声に名前を呼ばれることにどれだけ心が踊ってきたのだろうか。




「言うじゃない」




 ナーダルにつられてオールドもいつも通りの笑顔を浮かべるのだった。








 * * *












 質素な家の中には生活をするのに最低限のものは揃っており、ナーダルは食事の準備をする。道中にいくつかの食材を手に入れ、墓参り行く前に家に置いておいたのだった。水は家の外に井戸があったため、そこから汲んできた。家の中にかまどがあるためそこで火を起こす。




 家の中の様子からして、おそらくそれほど生活に余裕はなかったであろうと感じ取ることが出来る。一緒に旅をしていてルーシャは非常にしっかりしていて、年上で師匠のナーダルを注意することもたまにあった。こうして見ると、自分とルーシャの生まれ育った環境がいかに違うものだったのか実感する。




 ナーダルは一国の王子として生まれ育ち、政治や統治といったことを一応は学んできていた。剣術や護身術、歴史や魔法術といった勉学を行ってきたし、極たまに社交の場に出ることもあった。衣食住に困ることはなく、食事は王宮調理師が作ってくれたし、掃除洗濯などの家事は侍女などが行っていた。食べることや物に困ったこともなければ、ある程度暮らしやすい住環境で育ってきた。装飾品にさして興味がなかったので、特に贅沢をすることはなかったとはいえ、一国の王子が身につけていた衣服が高級品であることは間違いではなかった。




 ルーシャは物心着いたころから、母と兄の三人で暮らしていた。質素な家で、畑で作物を育て、山で動植物を採り、川で魚を釣っていた。収入源は畑で取れた作物を売ることと、母親が町まで出稼ぎに行っていたくらいだった。悪天候で作物が育たなければそれだけで生活は貧困となるが、この村ではどこもそんなものだった。幼い頃から生活するための知恵を学び、実践していったルーシャの生活能力は高かった。




(ルーシャと王太子の適応能力が凄いなぁ)




 部屋を見渡しながらナーダルは改めて、こことセルドルフ王国の王城を比較する。あの城では衣食住に困ることなどなく、ましてやアストルは王子であり至れり尽くせりだった。ルーシャも下働きをしていたとはいえ、ここでの生活とは全く違った環境にいた。ましてや二人とも、必要最低限の勉強しかしてこなかったのに、あの王城でなんの問題もなく過ごしていた。




 躊躇いも、カルチャーショックもあっただろうが割と何でも順応した様子だった。






「マスター、すいません」






 ルーシャが家の中に入ってきた。ナーダルが食事の準備をしている姿を見たルーシャは慌てて隣に来る。




「ゆっくりしてきて良かったのに」




 ルーシャ曰く、この村に帰ってきたのも、母親の墓参りをしたのも王城に行って以来はじめてだと。数年もの間ここを離れており、ゆっくりと積もる話をしてもよかったと思っていた。




「大丈夫です」




 笑顔でそう答えるルーシャにナーダルはそれ以上何も言えず、二人で他愛のない話をしながら食事の準備を行う。








 その日の夜、ふたりはこれからの旅路を考えていた。この前やり遂げた依頼から珍しくフィルナルからの依頼が現在なく、目的地も何もない。すぐに何か仕事をしなければならないほど金銭が底をついているわけでもなく、二人して頭を悩ませる。たまにこういう時があり、その時はどちらかが行ってみたい場所に赴くのだがすぐには思いつかない。


 頭を悩ませていると、ハッとナーダルが何かを閃く。




「魔力協会の本部へ行こうか」




 思わぬ言葉にルーシャは首を捻る。




「会長から何か用事でも?」




「ううん。明日から初代会長・イツカの生誕祭が始まるんだよ。一回行ってみたくてね」




 ナーダルの表情が明るく、生誕祭という響きにルーシャも心がひかれる。支部へ行くことが日課とは言え、仕事の受領なためだけであり協会のイベント事に関わったことがない。初めての試みに心躍るルーシャは二つ返事で次の行き先を決めたのだった。
















──────────




久しぶりに村に帰ってきた。


まさか村長が私たちの家を置いておいてくれるなんて思ってなくて、意外だったけど嬉しかった。ちゃんと居場所があるんだなーって。


そして、ずっと放置してたお母さんのとこに行ってきた。


もう何年経ったんだろうって感じてしまう・・・。


兄さんと一緒にここを発ってから、一回も帰ってこなかったもんなー。


ごめんね、お母さん。寂しかったかな・・・。


あの頃はまさかこうして魔法術師になるために師匠に色々学ぶことなんて、世界中を旅することなんて想像もできなかった。


そう思うと、これから先何年後かのことも想像なんて全くできないなー。


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