p.46 契約

 静かな暗い夜の林のなか、ひとつの事件が解決していた。ナーダルに呪いをかけたメイルは息を引き取り、フィルナルの部下がその亡骸を回収していった。あとはフィルナルが上手く処理をしてくれる手筈だった。本来、協会は個人の家のことに関与することはないが、今回は特例だった。魔力協会にとっても、フィルナルにとっても〈第二者〉は失うわけにはいかなかった。




 とりあえず事態が全て解決し、宿に戻る道中にレティルトはナーダルに声をかける。




「これ、師匠のお前に渡しとく」




 レティルトはひとつのものを手渡す。光を反射しキラリと光るそれには、ひとつの紋章が描かれている。銀であしらわれた指輪には淡い紫の石がはめ込まれ、そこにひとつの家の家紋が描かれていた。




「これ・・・」




 月明かりを頼りにその紋章を見たナーダルの瞳が何かを捉える。記憶を呼び戻そうと眉間にシワを寄せる。




「ルーシャの母親の形見だそうだ」




 考え込むナーダルにレティルトはそう告げ再び歩き始める。




「どこかで・・・」




 レティルトは次期王として様々な国の貴族や権力ある人間などと知り合い、様々な家の家紋を目にする機会が多かった。だが、第二王子のナーセルトの交友関係は狭く、その彼が見たことのある家紋となるとその家は限られてくる。




「オレも見たことがある。とにかくこの件は任せた。何を知るかどうかはルーシャ本人が決めることだがな」




 レティルトはそう言い、2人は無言で闇夜の林を抜けていく。
















 * * *






「契約書を書くよ」




 ナーダルは呪文ノ書を広げ、現れたリルトにそう告げる。メイルの呪いを解いたことでナーダルを襲っていた激烈な痛みはなくなり、魔法術を使うことに支障はなくなった。




「でも、今回俺はあんたからの依頼を遂行しきれてない」




 リルトは視線をそらせ呟くようにそう告げる。呪い主の判明はできだが、その居場所の特定関しては間違った情報を提示してしまった。




「本家の家にいたのは、あの女に幻術をかけられたあいつの娘だった・・・」




「魔法術の神語を隠すのは僕らの秘術のひとつだから、君が見破ることが出来なくて当たり前だよ」




 暗い表情のリルトにナーダルはそう優しく語りかける。確かにリルトはナーダルの願いを正確には叶えられていないし、本来ならば願いの対価に魔力を与えるには不相応の働きだった。だが、ナーダルからすれば呪いはもう解けたので細かいことにこだわるつもりは無い。それに、リルトがメイルの幻術を見破れなくても仕方がないと割り切る。秘術レベルの魔法術を見破るのはそう簡単なことではないし、それが封印系統に関するものならば尚更だった。




 どこか躊躇いながらもリルトは古びた羊皮紙を手渡す。それはリルトが今まで願いを叶えてきた人間の魔力が蓄積されている、非常に特別な代物だった。ナーダルはそこに魔力で自分の名前を書く。リルトとの契約は願いをひとつ叶えて貰う代わりに、自分の魔力を彼に与えること。願いが大きければ大きいほど、彼に与える魔力は膨大になっていく。




「へー、やっぱりセルバ王子も君と契約したんだね」




 羊皮紙には様々な人々の名前が羅列されており、名前を書き終えたナーダルは興味深そうにそれらを見ていく。そして、羅列された名前からひとつの人物を見つけ出す。会ったことはないし、その顔も知らない。だが、魔力協会では有名人だった。




「おい、それはプライバシーってもんがな・・・」




 先程まで暗い表情だったリルトだが、ナーダルの勝手な行動に呆れた様子を見せる。勝手に個人情報を書かれた羊皮紙を興味深げに見るナーダルにリルトは項垂れため息をつく。




「ごめんって。でも、誰にも言わないし」




 悪びれる様子などなく、とりあえず謝るナーダルは笑って羊皮紙をリルトに返す。




「言ったところで、誰もあの人を見つけられないけどな」




 ため息混じりにそう呟くリルトの瞳はどこか物憂げだった。その瞳に映すのがここにはいない誰かなのは明白なことだった。




「それを願ったんだね」




 笑顔を浮かべながらも、ナーダルの瞳もどこか遠くを見据える。




「あんたといると人のプライバシーってもんが侵害かれていくな」




 呟くつもりのなかった一言を漏らしてしまったリルトはさらに溜息をつき、手にした羊皮紙をじっと見つめた。そこには膨大な数の魔法術師、魔導士、呪術師の名前が羅列されている。その数だけ、リルトは人々の願いを叶え代償として彼らの魔力を得てきた。




 またひとつ大きなため息をつき、リルトは改めてナーダルを見据える。




「ナーセルト・ダルータ・ルレクト」




 その名を呼び、その存在を確かめ、その魔力を感じる。その名を呼ぶ人間はもう少ないが、いないわけではない。




「あのが〈第三者〉なんだな」




 この場にはいない、ナーダルの弟子を思い浮かべながらリルトは口を開く。彼女がリルトに情報の開示を求めた時、本来はそれに応えることは明らかな契約違反となるのにそれが働かなかった。ナーダルがリルトに願いの代償分の魔力を分け与えることができており、それは契約の成立を意味していた。つまり、ルーシャは呪文ノ書の魔力に〈第三者〉と認められたということを指していた。




「あんたはあの娘を置いていく、それがソートとの誓約なんだろ」




 静かながらもナーダルを見据えるリルトの瞳は力強い。その瞳に映すのは目の前に静かに微笑むひとりの魔道士であり、四番目の〈第二者〉であり、静神に認められた青ノ魔力を受け継ぐものだった。




「今までの〈第二者〉もそれぞれ大事なもんを手放してきた。あんたもそうなんだな」




 呪文ノ書に永く囚われ続けたリルトは世界の歴史を、時の流れを、そのなかでどんな人がどんな決断をしてきたのかを見てきた。礼神の選んだ〈黄ノ第二者〉は他者との繋がりを、叡神の選んだ〈緑ノ第二者〉は全てとの折り合いを、戦神の選んだ〈赤ノ第二者〉は自分自身であることを誓約の代償とした。そして、静神の選んだ〈青ノ第二者〉は・・・。




「こればかりは仕方ないからね」




 どこか寂しげながらもナーダルは覚悟を決めた様子だった。その姿にリルトは何とも言えない表情をうかべる。




「あんたらがそうまでして繋いでいく未来に、俺はまだ光を見いだせない」




 強くも冷たい言葉が部屋に響き渡る。長い時の流れを見てきて、人の移り変わりを眺めてきた。流れていく中、歴史は繰り返され、ひとの営みは受け継がれてきた。科学や魔力の発展をその身に感じながらも、変わらないものも見てきた。いくつもの人の声と顔を覚えては、いくつもの人のそれらを忘れてきた。




 永遠に続くのではないかという時の流れに身をまかせ、この身に課せられた宿命を時には呪い、そして受け入れながらリルトはそこに存在し続けてきた。そんななか、〈青ノ第二者〉が現れた。時代の終止符を打つという、その存在がいま目の前にいる。どこか飄々として頼りなさそうなこの男が本当に最後の〈第二者〉なのかと思う時もあった。だが、ナーダルから感じ取れるのは間違いなく静神が彼に分け与えた青ノ魔力だった。




「・・・君にはそうだろうね。奇術師・リルト」




 その存在を、その名を口にしながらナーダルは静かに頷く。今ではもう存在し得ないその名を呼び、ナーダルは彼の見てきたであろう世界を想像する。それは想像などで寄り添えるものでないことは百も承知だったが、それでも目の前の青年の生きてきた道筋を他人事のように捉えることは出来ない。




「だが、黒騎士・・・あいつは違うんだろ」




 この場にはいない一人の男をリルトはその瞳に映す。魔力協会に属する魔導士ということ以外、ほとんどのことが謎に包まれた黒騎士のことはほとんど誰も知らない。




「それは君が確認すればいい。覇者を縛る鎖が切れるのも時間の問題だからね」




 にこりと笑いながらも、ナーダルの顔はどこか寂しい。
















 ナーダルの呪いがすっかり解け、レティルトは早々にルーシャたちの目の前から立ち去る。「困ったことがあればすぐに呼べよ」とだけ告げ、風のように去っていく兄をナーダルは引き止めることもせず黙って見送っていた。ルーシャは消えゆくレティルトの背中に深々と頭を下げる。




 今回の件ではレティルトがいなければ、ルーシャひとりでは何も出来なかった。師匠の痛みを和らげることも、その身を守ることも、呪いのヒントを得ることも・・・。それらを得るためにどう行動すればいいのかも分からなかった。足でまといになる可能性が高いのに、レティルトは半人前のルーシャをつれて歩いてくれた。




 レティルトの存在がいかに大きなものか、ルーシャは痛感した。アストルとは違う意味で兄のように感じられる。困ったことがあればすぐに手を貸してくれ、不安な時はその大きな手が安心感をくれ、立ち止まってしまう時には背中を押してくれる──本当に頼りになり、人々を率いるのに彼ほどの逸材はないと心底尊敬してしまう。




 時には冷酷で怖い一面もみせるが、それでもレティルトの暖かさは失われない。たいしてそこまでの付き合いがないルーシャでさえ、レティルトの人柄と行動力と責任感に惹かれる。彼が大国の王になる姿を見てみたかった──率直にそう思ってしまう。




 そんなレティルトが去っていって寂しく思いながらも、ルーシャとナーダルは数日間、宿に滞在し行き先を決め旅の支度を整える。オールドも少しだけ滞在していたが、仕事があるため去っていく。






「・・・っ!」






 ルーシャに食料の買い出しを頼み、ナーダルは部屋でフィルナルからの仕事リストを見つめていた。突如として、左腕に一瞬だけあの呪いの激痛が走りとっさに左腕を押さえる。息が詰まり、一瞬で冷や汗が滲む。ゆっくりと左腕を押さえていた手をのけて腕を見るが、そこには呪いの刻印など見当たらない。だが、今の痛みは明らかに呪いの激痛であり夢や幻ではない。




(これは厄介だな)




 苦笑いを浮かべながら何の代わり映えもない左腕を眺める。メイルの呪い、そして最後の忠告を思い出す。




 メイルの呪いは基体性──魔力、命の存在そのものそのものを利用したものであった。だから、単なる還元系統の魔法術で魔力に還すこともできずナーダルは彼女の命を奪うことで呪いを解いた。だが、ただでさえ魔力は誘引性があるため結びつきやすい。そこへ、基体性を用いた魔力となればその結び付きは非常に強固なものとなる。


 メイルの基体性──命そのものが、ナーダルのなかに存在しているようなものだった。




(・・・「己が生を望まぬ限り」か)




 本家当主の最期の言葉を思い出しながら、ナーダルは何もない自分の左腕をただ見つめる。呪いは確かに解いた、呪術を破るという意味では。




「・・・呪いね」




 単なる攻撃魔法と異なり、呪いは呪う相手のためだけに術を構成し、その神語は千差万別だった。呪いの目的、内容、効果などはその人によって異なるし、呪うということは膨大な時間と手間とリスクを背負う。




 ナーダルにかけられた呪いはある意味、ナーダルを呪うには適していた。その痛みは、呪いはそう簡単には消えない可能性が高い。ナーダルは神秘の鏡に取り込まれ、主のもとに行く道中にルーシャに「まだ死ぬわけにはいかない」と言っていたし、それは建前ではなく本音だった。




(あの時、もし・・・あの場に先にたどり着いたのが兄さんだったなら、静神は兄さんを選んだんだろうか)




 生きる理由は今現在、自分が〈青ノ第二者〉と呼ばれる存在であり、そのためにやるべきことがあるからに過ぎなかった。ナーダルが〈青ノ第二者〉となったのは偶然でしかなく、もしかしたらレティルトがそうなっていたかもしれない。もしもそうなっていれば、ナーダルはここでこうして生きてはいないだろう。






「ただいま戻りました」






 買い出しから戻ってきたルーシャの声でナーダルは現実世界に戻ってくる。考えること、思い出すこと、思うことも多い。だが、今目の前にルーシャがいる、それが今現在の全てだった。


 目の前で両手いっぱいの食料を抱えるルーシャを笑顔で迎え入れ、ふたりは次の行き先の話し合いをするのだった。


















──────────



マスターの呪いが解けて、次の目的地も決めた。


本当に嵐のような数日間だった。事態が解決して本当に良かった!


今後もこんなことがあるのかなーとか思うと不安しかない。




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