第四章 氷の城の姫君

p.28 姫君

 雪国であるセルドルフ王国の雪が徐々に溶け始め、春の訪れを肌で感じ始める。雪の下に隠れていた石造りの道路や土が顔を出し始め、頬を撫でる風が柔らかくなる。日差しは日を追うごとに暖かくなっていき、命が芽吹き始める。




「荷造りしといてね」




 春が近づくなか、ナーダルは旅立ちを示唆する発言をルーシャに向けていた。もともと暖かくなればここを離れなければならないと覚悟していたルーシャは、少し前から荷物を整理していた。と言っても、まとめるほどものを持っているわけではないが。




 いつ旅立つとは明言しないナーダルで、今すぐに動く気配はないが、それは別に旅立つことを躊躇っているわけではないようだった。いつ出発なのだろうとドキドキしながらも、ルーシャはナーダルと変わらない日々を送っている。





「ナーダル!」




 暖かな日差しを感じる中、ルーシャはナーダルに魔法の手ほどきをしてもらっていた。そんななか、ノックもなければ一言の声掛けもなくアストルがナーダルの部屋に転がり込む。




 驚きながらもナーダルはアストルを冷静に招き入れる。




「頼む、力を貸してくれ!」




 いつにもなく緊迫した様子のアストルの顔色は真っ青で、いつものマイペースかつ真面目な雰囲気は一切ない。焦りでいっぱいな瞳は言葉にない気持ちを代弁しているように見える。




「オールド姫が失踪した」




 何が起きたのか尋ねる前にアストルはナーダルとルーシャに、先ほどベタル王国の使者から耳にしたばかりの情報を伝える。その言葉にルーシャは驚き、ナーダルの表情も瞬時に引き締まる。




 少し前から王家の人間──それも王女だけを誘拐するという事件が起きており、まだ事件は解決していない。魔力協会が調べているがその犯人の目処も立たず、はっきりとした目的もわからない。




「・・・正直、オールド姫は大丈夫だろうと踏んでいたんですがね」




 ナーダルは難しい顔でそう口にし何かを考え出す。




「なぜだ?」




 瞬時にナーダルの言葉に食い入るアストルから普段の温厚さは抜け落ちている。




「今まで失踪した王女たちは、それぞれの王家で秘伝の魔法術を持っている家系です。魔力の強い者が覇権を手にし、魔力と権力が相互に強く関係しています。可能性のひとつですが、犯人の目的は秘伝の魔法術かもしれません」




「そうか、オールド姫は・・・」




 ナーダルの言葉に婚約者の王女の国情と身の上を思い出す。ベタル王国は魔力と権力の癒着を嫌い、建国当初から魔力の扱える人間は唯一の王位継承者だとしても王位を継げないという鉄壁の掟がある。ベタル王国の王家・イートゥル家の現在の国王には二人の王女がいるが、長女のオールドは魔力を扱えるが故に幼い頃から王位継承権を剥奪されており、次期王は魔力の扱えない妹王女・メノールが担うと決まっていた。




「魔力と権力を徹底的に引き離しているイートゥル家が、秘伝の魔法術を持っている可能性は極めて低いかと。僕の個人的な見解ではオールド姫は無事な予定だったんですが」




 もちろん、これはナーダル個人の考えであり魔力協会は常に王家の人間を警護していた。これ以上の被害を出さないようにと。細心の注意と精鋭を揃えていたが、事態は起こってしまった。




「ナーダル、なんとか救い出せないか。手立ては、何な手がかりはないのか?」




 救いを求めるアストルの瞳はなんとも苦しそうで、黙って聞いていたルーシャも心配になり師匠を仰ぎ見る。




「この問題は魔力協会が捜査しています。僕よりも情報も技術も遥かに優れています」




 あくまで魔力協会に一任したほうが良いとナーダルは意見を貫く。アストルの必死な瞳に対してどこか冷静に現実をつきつける。アストルからしたら頼みの綱の魔法術師かもしれないが、ナーダルからすれば世界を揺るがす事件を解決できるほどの知能も技術も持ち合わせていない。




(イートゥル家に手を出したって時点で、おそらくいき詰まっているのかもしれないけど)




 今まで失踪した四人の王女たちは、失踪した順番に魔力との癒着が強い王家だった。一番はじめに失踪した姫は強大な攻撃魔法を持つと言われる家のもので、二番目の王女は鉄壁の防御魔法を受け継ぐ家、三番目の王女はあらゆる傷を治す治癒魔法を継承する家、そして四番目の王女は広大な空間を支配する魔術を大成させた家と言われている。どれも噂に過ぎず、それぞれの王家がどんな魔法術を持っているのかはわからないが、火のないところに煙は立たない。




 そういう意味でもイートゥル家は魔力に関しては本当になんの噂もない王家であり、ナーダルは噂程度であるがアストルの婚約者が秘術を受け継いでいないと踏んでいる。




(いや、その前に他に強大な術を持つとされる王家は他にいくつかある)




 目の前でうなだれるアストルを尻目にナーダルは頭の中で現時点で考えられることをまとめる。今失踪している王家以外にも世界にはいくつもの王家が存在し、噂でいえばもっと危険で強力な術を持つ家もあると聞いたことがある。




 そもそも、秘術なるものがあるかどうかなど、その家の人間でも限られた存在にしか知らされない。それに男女平等が叫ばれる世の中ではあるが、未だに王女よりも王子の方が王位を継ぐことが多い。女子しかいない場合や、もともと女系の一族の場合は別だが王子が国王となるものだという認識が根強い。そういう意味でも秘術を手に入れることが目的なら、王女ではその目的が遂行される可能性は極めて低い。




 ベタル王国並に魔力と権力を引き離している国などなく、王位は秘術伝承者を意味していることが大半だった。現時点で王位継承者や王子の失踪がないあたり、犯人はそのことを知らないのだろうか。




(あえて王子を狙っていないのか)




 たまたま腕っ節のある男を連れ去るよりも、か弱そうな女たちを連れ去ったのだろうか。それとも、何かを目的があって意図的に王女のみを連れ去ったのか。それこそ実はただの女好きな犯人なのか。




「王太子」




 妙に焦って苛立つアストルにナーダルは静かに呼びかける。




「とりあえず魔力協会に少し情報を聞いてみます」




 その言葉だけでアストルの表情は幾分か明るくなり血色を取り戻す。もちろん、一協会員のナーダルがそんな大層な情報を得られる訳ではない。




 アストルが退室してからナーダルは大きなため息をつく。厄介事も面倒事も関わらないに越したことはないが、どうやらそうも言ってられない。席を外した方がいいのかとルーシャは部屋を出ようとする。




「ルーシャ」




「はい」




「お兄さんに気をかけて」




 どこか真剣にそう言われルーシャは曖昧に首を立てにふる。師匠に言われなくてももともとそのつもりだったし、わざわざいう必要があったのだろうか。








 ルーシャが退室してからナーダルはポケットから紐に通した水晶を取り出す。そこには神語が刻まれており、ナーダルが手にしているのは協会員なら誰でも持っている通信具だった。その水晶にはいくつもの知り合いの魔力が保存されており、互いの魔力を利用することで相手の持っている水晶が反応を示し連絡を取ることが出来る。




「フィルナル会長」




 信頼している会長に繋ぎ、その名を呼ぶ。本来ならば多忙で連絡しても出てくれないことが大半で、すんなりと魔力が繋がり通信できたことに驚きを隠せない。




「お前から連絡など珍しいな」




 変わらない声が水晶から木霊する。




「オールド姫が失踪したと聞きました」




 ナーダルは挨拶もすっ飛ばし単刀直入に話題を切り出す。こうも被害が拡大しているとなると、魔力協会の組織としての意義が問われる。協会を擁護しているわけではないが、潰れては困るのだった。




「ああ、アストル王子の婚約者だな。王子が泣きついてきたか?」




 少し声色を下げながらもフィルナルは軽口を叩く。一国の王子相手に随分と失礼な言葉だがナーダルは気にせず話を続ける。




「まあ。・・・少し確認したいことがあります」




「お前が厄介事に首を突っ込むとはな」




 心底意外だ──と、声色だけでフィルナルの心情が読み取れる。




「これでも衣食住をお世話になっていますからね」




 少し表情を崩してナーダルは答える。徹底的に厄介事を拒否していた結果、普段淡々としているフィルナルにまでそんな声を出させてしまった。




「で、何だ?」




「オールド姫が最後に確認された場所で、確認したいことがあるんです」




 どこか慎重に言葉を選びながら、ナーダルは会長にひとつのお願いをする。現場に行きたいと。




「魔力の痕跡でも探すのか?手練の捜査官が何重にも確認したぞ」




「僅かな残り香で良いんです」




 どうしても知りたいことが、確認したいことがあった。思い過ごしなら良いのだが、もしも考えが的中していたのなら、やるべき事がある。














 自室に帰ったアストルはベッドに身を投げ出し、手の届かない、声の届かない婚約者を想う。




 アストルとオールドの出会いは数年前に遡る。まだ王子になりたてだったアストルが、たまたまセルドルフ王国を訪れたオールドに一目惚れしたのだった。嘘のつけない性格のアストルの言動で周囲はすぐにアストルの気持ちに気付いた。ベタル王国はセルドルフ王国よりも少し古い歴史ある王国であり、婚約関係を結ぶには良い国柄でもあったためアストルの重臣達の計らいでオールドに求婚する形となった。




 オールド・フレント・イートゥルは美人でも有名な王女だった。すらりと長身で、細身だが華奢ではない体格を誇る。金髪のロングヘアは光を浴びて光り、淡い青い瞳は透き通っている。容姿端麗な彼女だが、他の王家からの縁談は美人の割に少なかった。




 その原因となるのが、父であるベタル国王がかなり庶民的な生活をしていることにあった。他の王家のような豪華な生活を嫌い、王威の顕現たる王が質素倹約して生活していた。もともとベタル王国自体は魔力と権力を引き離しており、国民に寄り添ったような政治を代々心がけている。だから長い歴史を誇っているのだが、王家としては異色としてその名は轟いている。




 変わり者扱いされていることを噂で知っていたが、恋の病の前にそんなものはどうでもよかった。無邪気そうに笑う姫君の笑顔が眩しくて、どうしても隣にいたいと思った。その笑顔を自分にだけ向けて欲しくて、守りたいと心底思った。




 まだ王子として未熟なアストルの婚約を承諾してくれ、まだ正式な婚約はないがたまにお互いに様子を見に行く。二歳年上のオールドはアストルを婚約者というよりも、弟や友人に近い存在のように扱う。それが少し悔しく、まだ彼女に釣り合う男になっていないのだと痛感する。だから、一刻も早く立派な統治者になりたかった。










──────────


兄さんの婚約者が拐われたみたい。なんてことに。


わりと前にマスターと会長が話しているのを聞いたけど、まさかまだ解決していなくて、オールド姫が被害に遭うなんて。


マスターも結構緊迫してたみたいだし、大丈夫かなー。いや、大丈夫じゃないか。


魔力協会も頑張ってるみたいだし・・・・・・とは思うんだけど、ここまで何にも成果とかないみたいで、被害が拡大してるんだったら、協会じゃだめなのかな。

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