p.18 予兆

 ナーダルは長い、長すぎるほどの魔法を構成していく。延々と続くような神語が羅列されていき、主を取り巻く魔法構造はロープのようにその体を何重にも巻き付く。




 還元魔法はその名の通り魔法や魔術の構造を分解し魔力へ還すものだが、それは戻す構造を逆算する方法だった。ひとつの魔法や魔術の構造ならこれほど長文とはならないが、主の身に留めている魔力のカスは膨大という言葉では足りないほど、多量のそれらを溜め込んでいる。それらひとつひとつの元の構造を解析し、それを逆算していく作業は思いのほか時間も魔力も消費していく。




「ここが限界ですね」




 大長文の神語を羅列している間にナーダルの身体中から汗が滴り、息遣いも荒くなる。表情から余裕はなくなり、立っているのもやっとという状況に見える。魔力は心の力と言われているが、基体性があるということは命そのものにも関わっている。基本的に生活の中で魔力がなくなることはないが、あまりに膨大な魔力を消費してしまえば命に関わることもある。




 魔力にはルアという単位が定められている。水の三変化──水蒸気、水、氷にそれぞれ変化させるのに使った魔力を一ルアとすると規定されている。変化させる順番は特に決められておらず、その変化をさせられたら良い。水の三変化では使い方が上手くても下手でも魔力の消費量にあまり差がないと言われているため、単位とするのに一番簡単で誤差が少ない測定方法だった。今は魔力量測定器が開発されたので機械で簡単に魔力量を知ることが出来るが、一昔前までは自分の限界まで永遠と水の三変化をしなければならなかった。魔力協会員の平均魔力量は五万から六万ルアであり、ナーダルはそれよりやや魔力量は多く、ルーシャはまだ測定したことがなく自分の限界をまだ知らない。


 


 自らの魔力の限界まで構造を創り出したナーダルは静かにその魔法を発動させる。魔法を展開することで神語がどんどん札を返したように反転しながら、ナーダルの魔力とともに主の中の魔力も順番に消えていく。その速度はどんどん加速していき、感じている主の魔力が微細ながらも変化していくことがルーシャでも分かる。




 ナーダルの還元魔法がすべて発動し終え、主の漆黒の体はどことなく少しその黒みが軽減したように見える。だか、黒々とした体も澱んだ魔力も心もちマシになったかどうか程度でしかない。蓄積したそれらはナーダルの魔力を限界近くまで使い切ったところで還しきれるものではなかった。




「ほんとに時間稼ぎ程度でしかありませんけど」




 ふらふらなナーダルをルーシャは支える。主が支えてきたのは今現在だけではなく、何世代にも渡って世界中を翔ける風から有害化した魔力の固まりをその身に留めてきた。平均値より少し高いくらいの魔力量で何かをひっくり返せないことは最初からわかっていた。だが、見聞するために呼ばれたというにはどこか寂しいとナーダルは思った。魔力や人柄ならおそらくこの洞窟内の水晶から垣間見ることは出来たし、むしろそのほうが取り繕わず裏面までも見れただろう。




 主は何も言わず大きなふたつの翼を広げる。ただでさえルーシャたちよりも数倍はある体なのに、その翼を広げられると圧倒的な恐怖しか感じられない。襲われるのではないかという、根拠のない恐怖心が身体中を駆け巡る。




 主の後ろにあるいくつもの水晶の光が強くなり、眩しく感じられるまでになる。何も言わない主は静かに強い光を宿した瞳でルーシャとナーダルをただ見つめるだけだった。






 やがて、圧倒的な魔力に押される。ここへ来た時は強く引っ張られたのだが、その逆の感覚が体中を走る。異物を排除するように、強い魔力はすべてを押し流そうとしているようだった。別れの言葉も何もなく、ただ静かに見つめられながらルーシャとナーダルは強大な魔力の流れに身を任せる。












 気づけば王城のナーダルの部屋に二人で倒れ込んでいた。二人同時に意識を取り戻し、周囲を見渡す。ナーダルの部屋には誰もおらず、静まり返ったそこは代わり映えのない様子だった。机の上にぽつんと置かれた神秘の鏡は特に何かを起こす気配もなく、大人しくそこに鎮座している。




 ナーダルはゆっくり立ち上がるとほかの何にも目もくれず、ベッドに直行する。一目見ただけでナーダルが非常に消耗していることは明白だった。




「マスター」




 今にも眠ってしまいそうなナーダルの背後に声をかける。




「〈青ノ第二者〉、〈第三者〉って何ですか?」




 気になっていたことを問い詰める。あのとき、主はルーシャのほうをみて明らかに〈第三者〉だと言っていた。あれは何のことなのか。主とナーダルの会話にルーシャは蚊帳の外であり、自分の知らないことなら仕方ないと思う。だが、無関係でいていいものではない気がする。ナーダルが疲れきっているのも分かるが、今聞いておきたい気持ちが止まらなかった。




「今度ね」




 大きくあくびをしたナーダルは目を擦りながら、ベッドに腰掛ける。うつらうつらと船を漕ぐ様子からしてナーダルが夢の世界へ行くことはもはや止められない。




「ふかふかベッドはサイコーだよ」




 独り言なのか寝言なのかわからない言葉を残し、ナーダルはベッドに横になり数瞬もおかずに夢の世界に羽ばたく。規則的で穏やかな寝息が部屋に小さく響き渡り、ルーシャは無言でナーダルに布団をかける。未知の場所から帰ってきたのに現状の確認も、問題のもととなった魔道具を確認することもなく、一目散に寝てしまったのは何よりもナーダルが疲労を蓄積していた証だろう。連日の野宿に警戒態勢、獰猛な獣と一戦を交え、未知の地においてルーシャよりもはるかに魔力も体力も消費していた。最後の還元魔法はその疲弊した心身に打撃を与えたのだろう。








 そっとナーダルの部屋を出たルーシャは、ふと今が何日なのか気になった。ナーダルと共に神秘の鏡に吸い込まれ、ルーシャの記憶が正しければその先で四日ほど過ごしていた。湖に入ってから主にたどり着くまで、おそらく数時間でありそれ以上は過ごしていないはず。だが、あそこがここと同じ時間の流れなのかと疑問に思う。時間の流れが違うなど考えにくいが、あれだけの場所ならオーラ渓谷に近いらしいが下手をすれば時空でも曲がっていそうな気がする。




 ナーダルの部屋で時計を見た時、夕方の五時頃でありこの時間ならアストルも何か特別なことでもない限り、勉学や執務を終えて部屋にいるだろう。アストルに今日の日付を確認し、自分たちが留守の間に何か変わったことがないか確認しようとルーシャは廊下を急ぐ。




(そもそも行方不明だったわけだけど、何も騒がれてないのかな)




 突然、神秘の鏡に引き寄せられたルーシャたちは何の書き置きも伝言できずに姿を消していた。捜索されていてもおかしくないが、ナーダルの部屋やその周囲に誰かがいることもなかった。あまりに閑散としているような気がして、ひとつの不安がこみ上げる。




(まさか、いなかったことすら気付かれてないとか・・・)




 自分で考えつきながら、さすがにそれはないだろうとルーシャは思う。なにせナーダルは王宮魔法術師で、ウィルト国王に良く思われていないとはいえ、一国を代表する魔法術師だ。姿が見えないとなるとおかしいに決まっている。それにルーシャも、妹に甘いアストルが数日間姿を見ないという状況を放っておくわけがない。




 悶々と兄を目指して廊下を歩くルーシャは、ハッとなにかに気づく。広い廊下の先に誰かがいる。




(兄さんと・・・誰?)




 兄の横に立つ人物を遠目から凝視する。まだ目も合わないほど遠くにいるが、その雰囲気と魔力は遠くからでもハッキリと分かるほど常人ではない誰かがそこにいた。




 廊下の隅に控え、兄と客人と思しきその人が通るのを待つ。ルーシャと同じ長い黒髪と、吸い込まれそうなほど強い力を感じるワインレッドの瞳の女は何か独特の雰囲気を醸し出す。なにがという訳ではないが圧倒的勝者のような、近寄り難い空気が彼女を取り巻いている。




「では、よろしくね。アストル王子」




 強く凛とした声が響き、その声を耳にしただけで背筋が伸びる。優しい女性らしい口調だが、その存在感と声からは絶対命令のようにルーシャは受け取る。どこか本能のようなものが、このひとに関わってはいけないと警告を鳴らす。




「善処致します」




 いつにも増して緊張した面持ちのアストルの声は心做しか震えているようだった。その場にいるだけで全てを統制してしまいかねない女はルーシャに気づき、軽く会釈をしてくる。こちらを軽く見ただけなのに、まるで蛇に睨まれた蛙のようにルーシャは固まる。




 そのまま二人は通り過ぎていくが、ルーシャは動けないままその場に居座る。ただそこにいるだけ、声を聞いただけ、目が合っただけ・・・それだけで全てを凌駕していると本能的に分かるほど圧倒的だった。






 やがて立ち尽くすルーシャのもとにアストルがやってくる。客人を送り戻ってきたようだった。




「ルーシャ」




 肩に手を置かれハッと我に返る。優しく暖かく、誰よりも知っている温もりが肩に広がる。




「今の人って・・・」




 目が合ったのは一瞬だし、自分の前を通りすぎた人に過ぎない。それなのに何故かあの目が、声が、存在が忘れられない。




「最強の女騎士と噂のリーシェル殿だよ」




 その名を聞きルーシャは心の中で納得する。圧倒的な存在感と感じる雰囲気、魔力は並の人間のものではない。最強たる所以を感じずにはいられない。一夜にして一人で大国を落としたというのも頷ける。




「どうしてそんな人が・・・」




 一国を滅ぼしその国の新たな当主となったリーシェルだが、他国との交流は基本的に外務大臣に任せているという話だった。あまり自らは異国の地へ赴かないため、他国の王や当主たちは彼女と関わらずに済むことに安堵している。




「レティルト王子とセルト王子を見つけたら教えろってさ」




 難しい顔をしながらアストルはため息混じりにリーシェルの要望を口にする。




 リーシェルが滅ぼしたロータル王国王家には二人の王子がいる。王たる資質を持ち世界中の為政者たちから今でもその存在が尊敬される第一王子と、その陰に隠れ名前くらいは何となく聞いたことがあるような気がする弟の第二王子。二人の王子は彼女の反乱から命からがら逃げ出したと噂されているが、その安否も行方も誰も知らない。王城内の誰もがリーシェルに畏怖し、本来守るべき王子たちに剣を向けたため彼らがどのように生き延びたのか、どこへ向かったのかなどは知られていない。




 アストルにとって第一王子のレティルトは尊敬する存在であり、名前しか知らない第二王子も王子としてはアストルよりも優れた人物だった。リーシェルへの恐怖心も、国を守るべき義務感もある。だが、素直にその要望を聞き入れることは本心では嫌だった。本来の裏切り者はリーシェルであり、その理由も国が腐敗していたからでも、悪政を取り締まりたかったからでもない。リーシェル曰く「やってみたら出来た」というものだった。




 そんな人物の要望などどうでもいいが、無視し明らかに無碍にして嘘でもつけばセルドルフ王国に彼女の剣が向けられるだろう。それこそ、他国を乗っ取ることもやってみたら出来た・・・ということになるのかもしれない。ロータル王国の軍部はそれなりの兵力と忠誠心をもった軍であり、他国に攻めいられてもそう易々と国を落とすことはないだろうだけの力があった。その兵力はおろらくセルドルフ王国の兵力よりは幾分か上回っていただろう。いまリーシェルに攻めいられれば、セルドルフ王国は案外あっさり落ちてしまうかもしれない。戦争も他国との抗争も長年経験していないセルドルフ王国にとって、それだけは避けなければならない現状だった。






「で、ルーシャ」




 難しい顔をしていたアストルだが、表情を変えてこちらを見る。凛とした王子の顔から心配性の兄の顔へと変化していた。




「どこ行ってたんだ、何も言わずに急に・・・。ナーダルも帰ってきたのか?」




 その言葉にルーシャは本来の目的を思い出す。




「ちょっと色々あって・・・」




「城中探して見つからないから焦ったよ。ナーダルもいないから一緒なら大丈夫だろうって陛下も判断したから、大事にはなってないけど」




 めちゃくちゃ心配したんだからな──と、アストルは言葉を付け加える。やはりいなくなっていたことは気付かれていたのかと、妙に安心したルーシャはひとつのことに気づく。




「マスターって案外ちゃんと信頼されてるんだ」




 魔力嫌いのウィルト国王にナーダルも一緒なら大丈夫だろうと思われていたとは・・・。まっさきに何かの疑いをかけられそうな立場なのに。




「やるべきことをやって、嘘はついていない様子だし・・・誠意を陛下は感じてるんじゃないかな」




 アストルは考え込むように答える。実の父とはいえ、数年前に再開するまで赤の他人だったウィルト国王を父親だと実感することはほぼない。何を考えているのか、なぜ魔力嫌いになったのかもしらない。だが、それでもウィルト国王が──父が信用に足る人物だと判断したのなら、それがナーダルの人格なのだろう。媚びることも、大義名分を掲げるわけでもなく飄々とそこにいる。




「何かあったら言うんだよ」




 相変わらずの兄の言葉にルーシャは笑う。




「兄さんもね」




 心配性の兄はいつもルーシャの心配ばかりをする。でも、ルーシャからすれば余計なお世話だし、アストルの方がよっぽど心配だった。お互い身分は随分変わってしまったけれど、それでもお互いが大切で変わらない兄妹だった。




 ルーシャはアストルから日付を確認し、ルーシャの計算通り四日が過ぎていることが分かった。二人が姿を消したことで少し城がざわついたがウィルト国王が鎮静し大事に至っておらず、特になにか大きな変化や事件はないようだった。






 王城の一室でルーシャと別れたアストルは床に崩れ落ちる。アストルの私室には誰もいない。




「っ!」




 割れるように頭が痛い。ガンガンと頭の内側から叩きつけられるかのように、強く痛みが響く。そこから出たいとなにかがもがくように、呼吸ひとつすら自由にさせてもらえないほど頭痛がアストルを支配する。体の中が疼くような違和感を覚え、痛みと違和感で何が何なのか分からなくなりそうだった。




 頭が割れそうなほどの痛みは休むことなくアストルを襲い、体中の疼きは暴れているようだった。何かが何かを求めアストルのなかで暴れ動き回るようだった。




 もともとストレスからか、たまに疲れが溜まったときに頭痛をこじらせることはあった。だが、基本的には鎮痛剤を内服するか大人しく寝ていれば治っていた。王家お抱えの医師にも普通の村人だった人間がある日突然、国を背負えと言われたのだからストレスや強い緊張感がないほうがおかしいと言われていた。だから、頭痛があっても気にしなかった。




 だが、少し前からその頭痛は確実にひどくなっていた。薬を内服し横になったくらいでは収まらず、やがて体の妙な疼きまでも感じるようになっていた。そう言えば、舞踏会の日に妙な商人が魔道具を持ってきた時も随分と体調が悪くなったような気もする。




 割れそうな頭と、どうしようもなく疼く体を抱えながらアストルはなんとか呼吸を整える。











──────────



やっと戻ってこれました、良かったー。もう帰れなかったらどうしようかと思ってた。


野宿したり、魔法使ったりとわりと私としては色々あった数日間だった。こうやって帰ってきたら、あれが夢だったんじゃないかと思ってしまう。


分からないこともあるし、マスターが教えてくれなかったこともあるけど・・・。それは、またそのうち問い詰めよう。


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