p.17 主

 薄暗い洞窟のなか、ナーダルは素早く躊躇うことなく扉の封印を解く。幾重もの封印は複雑に絡み合っており、それらをひとつひとつ解くことは時間がかかる。いつ蝙蝠がこちらに来るのか分からない状況下で悠長に事を運べないため、ナーダルは時間短縮のため魔力の封印に関する重要な神語と扉を閉じ続ける魔法構造のみを分解する。いくつかの重要な神語を分解するだけで、立ちはだかる扉は案外簡単に開く。重い扉を開けて中の空気が漏れ出した瞬間、ナーダルもルーシャも思わず足を止める。どこか息を吸うことすら躊躇われ、息苦しさすら感じられる。




((・・・なんて魔力))




 二人同時に心の中でハモる。扉から漏れでる魔力でさえ他を圧倒するようなものであったが、今は直にその魔力を感じることが出来る。もはや魔力探知など不要だった。そんなものをしなくても、そこにいるだけでこの地を統べる魔力がルーシャたちを取り巻く。




 圧倒的な魔力の一端に触れただけだというのに、それ以上先へ行くことができない。言いようのない圧力が見えない壁となり、二人と主のあいだを隔てるようだった。圧倒的なその魔力に押しつぶされそうになる。




「あの、マスター」




「ん?」




 前を見据えたままナーダルはこちらを振り向くことはない。心なしかその瞳は緊張感を携えているようだった。扉の先に光はなく、今でも二人はナーダルの光魔法だけが視界の頼りだった。蝙蝠の再襲来を避けるべく早く扉を開けたのにも関わらず、二人はその魔力に気圧され先に進めずにいる。




「魔力が澱んでいるというか・・・」




 最初はその魔力の圧倒的な強さと存在に気圧されていたが、よくよく感じてみれば少しおかしかった。ここへ至るまでの空気も水も、そして感じる魔力までも透き通っているように感じられた。どこかの秘境かもしれないとさえ思えるほど。だが、今感じるのは明らかにくすんだような魔力で、苦しさを感じたのは感じたことのない圧倒的な魔力とその澱みからだったのではないだろうか。




「そうだね。たぶん扉は魔力が漏れでないような封印だったんだろうね」




 魔力そのものは基本的に生物に何か影響を与えることはない。魔力に目覚めたものなら他者の魔力に影響されたり、自分の魔力が影響を与えたりすることはあるが、それもポピュラーとは言えない。だが、目覚めた強すぎる魔力はそのコントロールをしなければ知らないうちに自分を取り巻く全てを飲む込むことがある。ここの主なら魔力を扱える存在であろうし、これほどの魔力が澱んでいれば、それが周囲に与える影響など計り知れない。




(こうなることを見込んでの封印扉か)




 見えない先を見据えながらナーダルは何かを考え込む。扉の魔力と感じられる主の魔力は異なり、主が自ら扉に魔法を施したのではないことは明白だった。








 立ち尽くしていても仕方がないため、二人は気力を奮い扉の先へと進む。先を灯す魔法を強くすることで、周囲の闇は退く。扉を隔てた先にも同じように洞窟が広がり、暗闇が支配する世界が続いていく。少し進んだところでナーダルは思い出したかのように魔力で扉を閉める。蝙蝠の再襲来を回避するためと、封印は解いてしまったが一応は無闇に魔力が漏れ出てしまわないようにするために。




 進むたびに洞窟はどんどんと広くなっていき、所々に光を反射して光る何かが目に入る。最初は気のせいかと思ったが、何度もきらめく存在が目立ち気のせいではないと分かる。




「石英ですね」




 光を反射するそれらに近づきルーシャは自分の目で確かめる。白く濁ったものから、美しいほどの透明度を誇るものまで多様に石英が洞窟中に散在している。ここに至るまでは魔力を節約していたこともあり、広範囲に光が及ぶことがなかった。その石英たちがもともと洞窟中にあったのか、主の近くに来たから存在しているのかは分からない。ただ魔力に何かを生み出す力も、何かを生み出すことを抑止や促進させる力もないことから、おそらく洞窟中に石英はあったのだろう。




「純度の高い水晶は魔道具として使われるよ」




 そう言いナーダルは辺りを見渡し手の届く範囲にある透明度の高い水晶を、魔術を使っていとも簡単に取り出す。そのままそこに光魔法の神語を魔力で刻むと、水晶自体が発光し出す。




「水晶は魔力や神語の構造を保存できる性質があるんだよ」




 魔法や魔術は魔力を変化させた結果に生じた現象であり、その魔力の変化には神語によってなされる。つまり、魔力によって神語の構造さえきちんと創り出せれば魔力は変化する。その構造を保存し、その構成を創っている魔力さえ消費しきらなければ魔法や魔術は発言し続ける。水晶の性質はそういう一連の現象を保存することに長けていた。




 ナーダルに水晶を手渡され、光る水晶はどこか幻想的だった。そこからほんのり感じるナーダルの魔力が妙に暖かく、そこに込められた想いも感じられる。魔力の根源は心であり、感情ひとつで魔力は様々な変化を示す。光る水晶をもつ手のひらにナーダルの心を感じながらルーシャは自分たちを照らす光をもつ。




 どんどん躊躇うことなく二人は並んで洞窟の奥へと進む。奥に進むごとに感じる魔力は大きくなり、際限がないのではないのかと疑ってしまう。扉が現れたとき、てっきりすぐに主に出会えると思ったルーシャは思わぬ誤算だったと心の中で落ち込む。






 随分と道なりに進んでいたが、突如として景色が変わる。今まで広いとはいえ左右を岩で囲まれた洞窟を進んでいたが、急に開けた場所にたどり着く。広大な空間がぽっかりと広がり、手にしている水晶では照らしきれない暗闇の場所が現れる。




「主ですね」




 目に見えなくてもそこに居ることは明白だった。姿を確認しないままナーダルは強大な魔力を持つ主に話しかける。独り言のような言葉が木霊する中、それは突如として起こる。




 急に洞窟中に散在している水晶や石英が光を放つ。一瞬で暗闇が払われ空間のすべてが二人の瞳に映る。ルーシャたちのほぼ正面に漆黒の大鳥が佇んでいた。すべてを飲み込むような漆黒でありながらも光沢を誇り、黒曜石のように煌めく。三、四メートルはあるであろう巨大な体が堂々とそこにある。ナーダルが初めて神秘の鏡を持った時に感じたあの、強大な力が目の前にある。大鳥は洞窟の中に腰を下ろし、その背後には巨大な自然の水晶がいくつも存在し淡く光を放つ。水晶にはそれぞれぼんやりと違う景色のようなものが映っているに見える。




「いかにも」




 ナーダルの問いかけにその口を開け、一言そう述べる。ひとつの言葉を口にするだけ、それだけでさえ空間が揺れるほどの魔力を感じる。




「お呼びになりました?それとも偶然?」




 隣で圧倒的な魔力に硬直するルーシャを気遣いながら、ナーダルはそれと対峙する。




「前者だ、〈青ノ第二者〉」




 ナーダルに向かい、主はまっすぐ話しかける。聞きなれない単語にルーシャは首をひねり、隣に立つナーダルを見上げる。だが、ナーダルは眉一つ動かすことなく黙って主を見上げるだけだった。そう呼ばれることが分かっていたのか、妙なほどナーダルは落ち着き払っている。




「そこにいるのが〈第三者〉か?」




 ちらりとルーシャのほうを見て口を開く主だが、ナーダルはその言葉に一言も返事をしない。静かに主を見上げる瞳が答えだとでも言うよう、その口を開く気配はない。




「広がっているぞ、〈青ノ第二者〉が選んだと」




 厳かなその雰囲気に流されることはないが、緊張の糸は張り詰めた様子のナーダルは口を閉じたままだった。ルーシャにはなんのことを話しているのか分からないが、おそらく自分のことを何か言われているのだろうという想像はつく。




「僕の行動が与える影響が軽いものでないことくらい、自負していますよ」




 沈黙を貫いてきたナーダルが凛とした声が響き、その瞳が強く光る。〈青ノ第二者〉という言葉を否定も肯定もしなかったが、ナーダルの反応を見ればそれが彼を指す言葉だということは明白だった。




「そんな確認のために、わざわざ僕らを呼び寄せたと?」




 ナーダルは緊張しながらも臆することなく漆黒の主を見上げる。彼の予想は当たっていた、呼ばれただろうという。




「その魔力と瞳を見聞する必要はあろう」




 揺らぐ魔力が二人を取り巻く。圧倒的で強いなかにある濁りのような澱んだ魔力が入り込んできそうで、品定めでもされているようで、ルーシャは居心地が悪い。




「随分と溜め込みましたね、その魔力」




 ナーダルは自分たちを包むように取り巻く魔力を感じながら、その性質を見極める。




「代々担ってきた役割なだけだ。始まりと終わりを繋ぐ大渓谷に近いここは、ひとつの砦だ」




 ナーダルはその言葉に反応し何かを考え込み、ルーシャは頭の中で世界地図を描く。




 ルーシャの記憶と考えが正しければ、大渓谷はおそらくリッタ国の最西端にある世界屈指のオーラ渓谷のことだろう。数百キロの距離を有し、高い山脈に囲まれたその渓谷は大気の大循環のひとつであるリッタ気流の始発にして終着点であった。




 そのオーラ渓谷に近いとういことは、セルドルフ王国からかなり遠いところにいることになる。比較的北の方に位置する雪国・セルドルフ王国とは違い、リッタ国は赤道に近い位置にある一年を通して常夏に近い季節の国だった。




「覇者の帰還までは何としても、渓谷を護らなければならん」




 意味深に呟かれる言葉にナーダルは静かに瞳を伏せる。ルーシャだけが何のことを話しているのか分からず取り残されている。〈青ノ第二者〉、〈第三者〉とは何なのか、覇者とは誰なのか。渓谷を護るとはどういうことなのか。


 初めて聞いた単語や状況に戸惑うルーシャを残し、主とナーダルは互いに対峙する。二つの瞳はルーシャの知らない何かを映す。




「けれど、そのままでは・・・」




 何かを言いかけてナーダルは口を閉ざす。その瞳は主から外され、瞳を伏せてナーダルは言葉を飲み込む。




 ルーシャでさえ感じられるほどの魔力とその中にある澱み。まだ勉強不足のルーシャだが、それでも魔力が澱むことが良い影響ではないこと──おそらく主の体を蝕んでいることは容易に想像がつく。




「お前がもたらす終焉までは持ちこたえられんだろうな」




 どこかもの悲しい声が洞窟内に響き渡る。冷たい石英を反射するように言葉は小さく余韻を残して消えていく。湿気た冷たい空気がどこか重苦しい。






「先送りにしかできませんが、その魔力を少し還すことは僕ならできます」




 何かを決意したようにナーダルは主に手を差し出す。その手にナーダルの魔力が集約されていき、主の魔力のなかにある澱みとは正反対の清いほどの爽やかさが集まる。




「〈第二者〉の魔力か」




 それに頷きナーダルは静かに魔力で神語を構成し始める。




「その見返りと言ってはアレですが、僕らを元の場所に返してくださいね」




 緻密にいくつもの神語を創っては組み立てていきながら、ナーダルはいつもの調子で主に話しかける。




「取り引きか」




「やだなー、そんなんじゃないですよ。ただ還元魔法は相当量の魔力を使いますからね」




 笑いながら平然とそう言うナーダルに先程までの緊張感はあまりない。どこかまだ何かを警戒している様子はあるが、その表情は何かを吹っ切れたように見える。




(あまりこういうことはするべきじゃないんだけど・・・、たまにはいいかな)




 与えられた役割や力というものがあるのなら、それには責任もあるし枷や制約もある。すべてが微妙なバランスを維持している世の中において、個人の選択や行動は小さな波となり誰かに影響を与えている。それがどんなに小さな選択や行動でも、誰かになにかの影響を与えないことはない。




 ナーダルのすることも、なにかに影響を与える可能性が高い。もともとあまりなにかに干渉することを好まないナーダルにとって、行動を起こすことは躊躇われる。だが、今はそういうものを払拭しようと判断する。




 ルーシャは静かに着実に組み立てられていく魔力の構造を見ながら不思議に思う。




 魔法や魔術において神語の構造は言葉の文法と同じで、基本的に横文字は左から右に文字を刻み文章を築いていく。だが、ナーダルは右から左に神語を構成していき、その文法も訳が分からない。見ただけでは適当に文字を羅列し、とても魔法が発動するとは思えない。




「これは還元魔法だよ、魔法や魔術を分解して単なる魔力に戻すもの」




 ルーシャがあまりにも不思議そうだったのか、ナーダルは相変わらずその手を止めることなく口を開く。主の前だというのにナーダルの魔法や魔力のレクチャーがはじまり、どこかルーシャも緊張感が和らぐ。




 魔力を変化させて魔法や魔術を発動させたあと魔力は変化して消費されるが、実は消費されきれない魔力のカスが生じる。簡単な構造のものはカスは残らないのだが、構造が複雑化するとそれに比例するように魔力のカスが残る割合は高くなる。ごく微小なためあまり問題ではないと言われており、目に見えないホコリのようなものだと言われていた。だが、塵も積もれば山となり、その魔力のカスが浮遊し続けているうちに誘引性により互いに引き合い大きな魔力の塊に変化していってしまった。




 様々な感情があっても魔力が暴走せずにひとつの存在としてあるのは両極性のおかげだが、その両極性は魔力の持ち主がいてこそなりたつ。さらに様々な人の様々な感情を由来とした魔力が集まり固まることで、互いに互いを刺激し固まってはいるが異様な魔力として漂うことになっていた。




 世の中には魔力を扱う人間がいるように、魔力を扱い依存する動植物や精霊などの異種族も少ないながら存在している。そういう種族は魔力に敏感であり、異様な魔力となった魔力のカスによる影響を受けているという報告があった。強い力をもつようになったり、体が大きくなったり、植物ならたくさん実をつけるようになったり。だが、その逆も然り。




 このことが発見されて以来、魔法や魔術の構造のなかに魔力を完全燃焼させる神語を入れるように魔力協会が通達したのだが、それをすべての魔法術師がしているかといえばそうでもない。うっかり忘れたり、重要性を感じていなかったり、面倒くさかったり・・・。それに魔力を扱うのは魔力協会の人間だけではない。反魔力協会組織もいれば、協会の理念や考えに賛同できず離れていった人、それに他種族もいる。




「つまり、主はリッタ気流に乗って流れる魔力のカスの一部をその身に留めることで、その影響を広めないようにしていた。だから、その魔力が澱んでしまった」




「留める以外方法って」




「神語構造から元の魔力に戻せば、単なる魔力となり害はなくなる。けど、魔法や魔術の構造を創り出したのは僕ら人間で、種族によっての魔力の使い方はそれぞれ違う。だから、残りカスを処理できるのも・・・するべきなのも僕らなんだよね」




 その力をもって使うのなら最後の最後までその責任を全うしなければならない──そう言われているような気がして背筋が伸びる。












─────────



主に会ったけど、凄すぎた。魔力が溢れていて、存在感が圧倒的で。圧倒されるって、こういうことだったんだ。正直怖いくらいだし、出会わなくていいなら出会いたくない。


還元魔法に魔力のカスかー。なんか、色んなことちゃんとやらなきゃいけないだなと思った。

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