39.未来は手を取り合った先に
森に向かう途中、オリヴィアはリベルトから日傘を受け取った。左手で傘を持ち、右手はリベルトと繋がれている。リベルトが歩き辛そうにしているというのを理由にしたのだが、本当のところは違った。
オリヴィアはリベルトとの距離をもっと近いものにしたかった。有り体に言ってしまえば寄り添っていたかったのである。
そこまではっきりと言葉にはしなかったのだが、リベルトには全てばれてしまっているのかもしれないと、オリヴィアは思った。寄り添う彼の顔がにやにやと緩んでいるからだ。
「……にやにやしてる」
「俺の魔女はやっぱり可愛いと思って」
ばれているのなら、もう下手に誤魔化すのは愚策だ。オリヴィアはそう割りきると繋ぐ手に力を込め、リベルトの腕に頭を擦り寄せた。
優しい風が足元を吹き抜けていく。
揺れる木々の緑葉が日差しを遮るカーテンになってくれているお陰で、思っていたよりも森の中は暑くなかった。
二人が森に入ると、顔馴染みのキツネとウサギ、リスが駆け寄り足元を跳び跳ねる。リスは慣れた様子でオリヴィアの背中を駆け登ると、肩にちょこんと座って澄まし顔をした。
少し歩けば森の奥。
木々が折れて、拓けた場所にオリヴィア達は辿り着いた。子どもの足だともっと遠くまで来たような気もしていたが、大人になってみると案外遠い場所では無かった――傷ついたリベルトが墜ちた場所だ。
そこには既に、森の動物達が綺麗に並んで二人の事を待っていた。
「久しぶりだな。お前達も薄情だぜ、オリヴィアの事を知っていながら黙り込むんだからよ」
リベルトがわざとらしく天を仰いで見せると、笑うように動物達が鳴いた。その様子が可笑しくて、オリヴィアも肩を揺らしてしまう。
「わたしと先に約束をしていたんだもの、仕方ないわ」
「助けたのがオリヴィアだと言わないようにか?」
「そうよ、この子達はちゃんとそれを分かってくれたの」
オリヴィアが言葉を紡ぐと、動物達の鳴き声が一際大きくなる。声を取り戻した事を、動物達も喜んでいるようだった。
熊が四つ足でゆっくりとオリヴィアに向かって歩いてくる。その瞳は穏やかで、オリヴィアは恐怖を感じる事は無かった。この森の動物達がオリヴィアに危害を加える事はないと分かっているからだ。
熊がオリヴィアの腹部に頭を擦り寄せる。開いたままの日傘を地に置いて、オリヴィアは熊の頭をそっと撫でた。ごわごわとした固い毛並みを指で掻いてやると、熊は機嫌良さげに喉を鳴らす。
そして、ひとつ吠えた。それを合図としたかのように動物達も一斉に吠える、鳴く。一通り鳴いて満足したのか、動物達は何度も振り返りながら森の奥へと去っていってしまった。
「……喜んでたのか?」
「たぶん。……わたしの声が戻った事と、あなたと一緒にいる事を喜んでくれていたんだと思う。鳴いたのはお祝いかしら」
「賑やかだったな。あの熊は森の主なのか?」
「そうよ。もうずっと長いこと、この森を治めてる」
動物達の気配が消えるまで、森の奥へ目を向けていたオリヴィアがリベルトに視線を向ける。彼は既にオリヴィアへと顔を向けていて、重なった視線はひどく甘やかだった。
「オリヴィア」
「……なぁに?」
視線だけではない。声色もとびきり甘くて、それだけでオリヴィアは眩暈がしてしまいそうだった。息が上手に吸えないくらい、胸が騒いで少し苦しい。
「俺の妃になってくれ」
金瞳が色濃くなる。そこに潜む熱や欲に気付かない振りなど、オリヴィアには出来なかった。
「俺の全てをお前にやる。魂だってお前のものだ。だから……お前の心を俺にくれ」
繋いでいた手を解いたリベルトはオリヴィアの腰を片手で抱く。逆手をオリヴィアの白くまろい頬に添えると親指で撫でた。
触れられる場所が熱を持っていく。震える吐息が漏れると、それさえ逃さないとばかりにリベルトが唇を親指で擽った。
「……わたしの事を信じてくれる?」
紡ぎ出された声は、オリヴィア自身が今まで聞いたことがない程に熱を帯びていた。掠れた声に、自分がどれだけリベルトを求めているのかと、嫌と言うくらいに思い知らされる。
「何があっても。お前が何をしようと、何を望もうと、俺はお前を信じると誓う」
「盲目的ね」
「いいだろ、それくらいお前に惚れてんだ」
オリヴィアはリベルトの背に両腕を回した。
こんなにも求められて、否と言えるわけがない。何よりも、オリヴィア自身がリベルトを求めている。
触れたい。体も心も、なにもかも溶けてしまうくらいに。
「お前はどこにもやらないと、そう言っただろ。お前の居場所は俺の腕の中だけだ」
「あれは、そういう意味じゃなかったでしょ」
「さぁな。あの時からそう思っていたのかもしんねえ」
リベルトが喉奥で笑いながら、オリヴィアのこめかみに唇を寄せる。軽く吸い付くとそのまま頬を辿り、耳へと滑っていった。
かかる吐息にオリヴィアの体が震える。
リベルトはオリヴィアの耳に音を立てて口付けると、輪郭を唇でなぞっていく。頬に触れていた手で顎を上げさせ、口端に一瞬舌を這わせた。
音が聞こえてしまうんじゃないかと思うくらいに、心臓が早鐘を打っている。オリヴィアは自分がまるで蝋燭にでもなってしまったのかと錯覚した。触れられる場所が燃えているように熱い。少しこわいのに、全てを委ねてしまいたくて、呼吸さえもままならない。
「……好きだ、オリヴィア」
間近で見つめられて、囁かれて、もう――オリヴィアは限界だった。
勢いよくリベルトの胸に顔を埋めると、背に回していた両腕でぎゅうぎゅうに抱き締める。
「……無理、ちょっと待って。恥ずかしくて……死にそう」
今にも泣き出してしまいそうな程、オリヴィアの声は羞恥にまみれていた。リベルトは虚を突かれたように目を瞬くも、すぐに肩を揺らしてオリヴィアの事を両手でしっかりと抱き締めた。
愛しくて堪らないとばかりに、ピンクゴールドの髪に頬を擦り寄せるリベルトは、機嫌良さげに表情を綻ばせている。オリヴィアはそれを拒否するでもなく、されるがままに体を預けて深呼吸を繰り返すばかりだった。
そよ風が木々をざわめかせ、それからオリヴィアの髪を擽っていく。
ゆっくりとオリヴィアが顔を上げた。未だ頬には朱が差しているも、碧の視線はまっすぐにリベルトに向けられている。
「あなたとお城に行くわ。わたしに何が出来るか分からないけれど、わたしはあなたと一緒に居たい。何があっても一番傍で寄り添っていたい。……わたしの全てを、あなたにあげる」
力強い声だった。それを耳にしたリベルトが嬉しそうに破顔する。いつもよりも少し幼いその様子に、オリヴィアもつられるように笑みを零した。
「愛してる、オリヴィア」
耳元で囁かれて、オリヴィアの顔がまた一気に赤くなる。リベルトはそれを面白そうに見ながら、染まった頬に口付けた。
オリヴィアはもう咎める事さえ出来ずに、リベルトの胸に頬を擦り寄せて表情を隠す。甘えるように頬を寄せると、リベルトが低く呻いたが、それはオリヴィアには届かない。気にした様子もなく、オリヴィアはリベルトの力強い鼓動に耳を澄ませている。
聞こえるのは風に揺れる木々のざわめき。
注ぐ陽射しは色を朱金に移していく。
寄り添ったまま顔だけを上げたオリヴィアは、こちらを見つめている優しい金瞳に溺れてしまいそうだった。
「わたしも愛してるわ」
漏れ出た言葉は、飾り気もない心からのもので。
嬉しそうに笑ったリベルトがきつくオリヴィアを抱き締める。愛しい人の腕の中で、オリヴィアも幸せそうに笑った。
ここが自分の居場所だと、そう実感しながら。
幼い魔女と幼い黒竜が楽しそうに笑った気がして、オリヴィアは目を細めた。
すべてはここから始まって、またここから繋がっていくのだ。
愛しい人と共に在る未来へ。止まっていた時間が、動き出すのを二人は確かに感じていた。
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