38.新たな予感

 いつもはそよいでいる木々が、ぴたりと静止していた。

 風はないのに、照りつけるような日差しが降り注いでいる。


 パラソルの下にいると涼しいけれど、陽が翳るまではここから出ない方がいいかもしれない。そんな事を思いながら、オリヴィアは冷たい紅茶を一口飲んだ。心地の良い冷たさが喉を潤してくれる。


「そういえば、ルーゲはどうなったの?」


 オリヴィアと同じようにお茶を楽しみながら、ロザリアが口を開いた。肩にかかる波打つ髪を背に払うと、また一口お茶を飲む。


「領地で幽閉されてるが……近々するだろうな」


 リベルトが苦々しげに眉を寄せた。その様子に、思わずオリヴィアは繋いでいた手に力を込める。それに気付いたリベルトは表情を和らげると、応えるように繋ぐ手を軽く揺らした。


「ルーゲ殿の弟君が現在は名代をされています。ルーゲ殿はご存じの通り、あの状態なので。そのまま弟君が襲名されるでしょうし、をもってして誠意とするでしょうね」


 淡々とした様子で言葉を紡ぐのはディーターだ。彼は甘いものを好まないのか、お茶菓子をパトリックの方へ寄せている。パトリックも何を言うでもなく、それを食べ始めていた。


 ……病死をもって誠意とするという事は、竜王に弓引いたのはルーゲで、家は何も関係がない、そしてこれからも忠誠を誓うという事を示したいのだろう。

 なんとも回りくどいやり方に、オリヴィアは小さくため息をついた。


「貴族って難しいのね」

「オリヴィアさんもそうは言っていられませんよ。なんせこれから――」

「オリヴィア、森に行かないか。久しぶりに動物達に会いたい」


 ディーターの言葉を遮ったのはリベルトだった。その不自然を感じ取ったオリヴィアは不思議そうに目を瞬くも、遮られたディーターは気にしていない様子なので頷いた。


「きっと動物達もあなたに会いたいと思うわ」

「オリヴィア、変な事をされたら遠慮しないでぶん殴るのよ。甘い顔を見せちゃだめなんだからね。ああ、違う。されてからじゃ遅いんだから、される前にぶん殴りなさい」

「お前は本当に俺を何だと思ってんだ」


 相変わらずのやり取りにオリヴィアが苦笑いをするのもいつもの事。すっかり慣れたこのやりとりさえも愛しくて、オリヴィアは肩を揺らした。


「オリヴィア、日傘を持っていきなさい」


 いつの間に用意してくれていたのか、ロザリアが黒い日傘を差し出してくれた。白いレースに縁取られたそれを受け取って広げると、涼やかな風がオリヴィアの頬を擽った。パラソルの下と同じ魔法が展開しているようだ。

 よく見ると持ち手のところに魔石が嵌め込まれていて、骨組のところには魔導回路が組み込まれている。ロザリアが作った魔導具らしい。


「ありがとう、姉さん」


 これなら日焼けの心配も、暑さで倒れる心配もしないで済みそうだ。

 オリヴィアから傘を取ったリベルトが、右手でオリヴィアの上にさしてくれる。左手はオリヴィアの右手をしっかりと捕まえていて、指先を絡めては確かめるようにぎゅっと力を込めた。


「じゃあ行ってきます」

「行ってらっしゃい」


 見送るロザリア達に手を振って、オリヴィアとリベルトは森へと続く道を歩んでいった。寄り添い、楽しげに言葉を交わしながら。



 二人を見送ったロザリアは、ふぅと息をついてから椅子に座り直した。ロザリアだけでなく、ディーターもパトリックもその口元を笑み綻ばせている。


「あれだと歩きにくいだろうに、我らが竜王もすっかりオリヴィアさんに骨抜きだね」

「仲睦まじいのは良いことだ。リベルトは『歌の少女』にずっと恋い焦がれていたのかもしれんな」

「あら、それは幼い時のオリヴィアでしょ。その時のオリヴィアも勿論可愛かったけど、リベルトを骨抜きにしているのはいまのオリヴィアよ」

「違いない」


 三人、顔を見合わせて笑った。

 ロザリアはディーターとパトリックのカップに、魔法で生み出した氷を入れてから新しくアイスティーを注いだ。カランと澄んだ音がパラソルの下に響く。


「……オリヴィアさんには、正妃として城に来てもらう事になるんだ」

「そうでしょうね。でも正妃にはお貴族様の令嬢が決まっているんじゃなかった?」

「それはルーゲ殿があげていた候補にすぎないよ。打診されていた家はもうその気だったかもしれないけれど、今回の件で全ては白紙だ。思うところがあったとしても、竜王強者がオリヴィアさんを妃に願っているんだ。反対出来る者など誰もいないよ」


 カップを口元に寄せ、喉を潤したディーターが低く笑う。それを聞いてもロザリアの表情は晴れなかった。


「あの城にはオリヴィアに悪意を持つ人が多すぎるわ。侍女なんて信用できる人の方が少ないくらいよ」

「それもルーゲ殿の印象操作だ。真実を知った侍女をはじめとする城の者達はオリヴィア嬢に謝罪をしたいと申し出ている。実際に対面しても尚、まだ悪意を向けるようなら城仕えは解雇だな」

「リックの言う通りだね。正妃に悪意を持つ者を城においてはおけない」

「リベルトも、あんた達もオリヴィアを悪いようにはしないと思うけど……心配しちゃうのも仕方ないのよ」

「ロザリアさんの気持ちも分かるよ、大丈夫。あの事件で僕達竜族は、君達に救われたんだ。信奉する事はあっても、害を為すことはないと誓うよ」

「それはそれで微妙なんだけど」


 ロザリアはアイスティーを飲むことで苦笑いを隠すしかなかった。

 木々が葉を揺らす、囁きのような響きが聞こえてくる。少し風も出てきたようだ。


「ロザリア嬢はこれからどうするんだ?」


 お茶菓子を綺麗に食べ終えて、フォークを置きながらパトリックが問いかける。その問いにロザリアは目を瞬くと、背凭れに体を預け直した。


「あたし? なにも変わらないわ。この家で魔女の仕事をこなしたり、魔導具作りを楽しんだりするでしょうね」

「寂しくはないのか?」


 パトリックの真っ直ぐな問いに、ディーターまでも苦笑いだ。率直な言葉に、それ以上の響きはない。それがなんだか好ましくて、ロザリアは肩を揺らした。


「寂しくないとは言わないけれど、妹が幸せになるんだもの。嬉しい気持ちの方が勝るわね」

「そうか。……拠点をこの家から城に移すのは――」

「それは出来ないの」


 パトリックの言葉は、ロザリアの声に遮られた。

 きっぱりとした拒否の言葉にパトリックは、視線をさまよわせている。言葉を探しているような仕草にロザリアは目を細めた。


「……うちは魔女であるオリヴィアさんをお嫁に迎えるからね。ロザリアさんも城に来れば、魔女の力を取り込んだと取られかねないんだよ」

「そういう事。特にあたしは家督を継いでいるから。バルディ家が竜族に荷担して、竜族の為に力を奮うと思われたら色々と厄介なのよね」

「そうか、浅慮だった。すまない」

「いいのよ、心配してくれたんでしょ」


 テーブルに両手をついて頭を下げたパトリックに、ロザリアは気にしていないとばかりに片手をひらつかせる。

 顔を上げたパトリックは真っ直ぐにロザリアを見つめていて、ロザリアは不思議そうにそれを受け止めた。


「俺がここに手伝いに来るのは、構わないだろうか」

「……はい?」


 唐突な言葉にロザリアの思考が止まった。

 それなりに頭が回ると思っていたロザリアだが、パトリックの言葉はロザリアにとって意味が分からなかった。

 言っている事はわかる。言葉としても理解が出来る。だが意味が分からない。


 ロザリアの動揺をよそに、パトリックは言葉を紡いでいく。


「一人だと何かと困る事もあるだろう。重たいものを運ぶなり、森に採集に出るならそれにも付き合う。こう見えても薬草類を見分けるのは得意なんだ。町に出るなら護衛として使ってくれていい」


 些か早口なパトリックは、テーブルの上で両手を組んでは解く事を繰り返している。

 重いものを運ぶのは魔法でも出来るし、採集も一人で問題ない。護衛などなくても魔女である自分に絡んでくる者などいない。

 ロザリアはそう思っていたのだが、パトリックの耳が仄かに色付いている事に気がつくと何も言えなくなってしまった。


「……好きにしたら」


 それだけを口にするのがロザリアには精一杯だった。

 そんなロザリアの頬が薄く薔薇色に染まっている事に、ディーターは気付いていた。


 ロザリアとパトリックの何とももどかしい距離感に、ディーターは頬が緩む事を隠そうともせずに、わざとらしくお茶を啜るばかりだった。

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