36.ふたりのお茶会
季節が移ろい、気付けば夏を迎えていた。
今年は夏が早い気がする。そんな事を考えながら、オリヴィアは留守の間にすっかり伸びてしまった畑のハーブを摘んでいた。
虫が賑わい、鳥が遊ぶ。
森の木々は枝葉を風に揺らしている。
降り注ぐ日差しは柔らかさなどとうに消え、痛みを感じるほどに眩い。浮かぶ汗を手の甲で拭ったオリヴィアは立ち上がり、夏空を見上げた。どこまでも深い青空に、ぽっかりと白い綿雲が浮かんでいる。
「オリヴィア、そろそろ中に入りましょ。日焼けしちゃうわ」
「そうね、お茶にしましょうか」
姉の呼び声に答えて、オリヴィアはハーブの入った籠を持って家に入る。
室内は姉の魔法によって、涼しさが保たれていた。浮かんでいた汗がすうっと引いていく。オリヴィアはキッチンに向かうと、籠を調理台に置いた。ミントの清涼な香りが鼻を擽っていく。
「何かお茶菓子を持ってきてくれる?」
「分かった」
リビングから掛けられた声に、返事をする。
声が出なかった時には、出来なかったこんなやりとり。そう思うと何気ないこんな一時でさえ愛しくて、オリヴィアの表情は綻ぶばかりだ。
リビングでは、すでにロザリアがお茶の準備をしていた。
ガラスポットに出来上がった紅茶は綺麗な琥珀色をしている。まだ熱いその紅茶を、ロザリアは慣れた手付きでグラスに注いだ。グラスには口いっぱいまで氷が満たされていて、紅茶を氷にあてるように注ぐと澄んだ音で氷が歌った。
オリヴィアはテーブルの上に小さなカップケーキを並べた。生クリームとイチゴのケーキ、それからチョコレートのケーキ。二種類四つのケーキは、町の人が依頼のお礼にと持ってきてくれたものだ。
「美味しそう。早速いただきましょうか」
「ええ」
オリヴィアは両手にグラスを持つと、そっと口をつけた。仄かに香る林檎の香り。一口飲むと爽やかな風味と心地よい渋味が口いっぱいに広がって、オリヴィアは目を細めた。
「美味しい。これ、イリスさんが持たせてくれたフレーバーティー?」
「そうよ。明日はイチゴのフレーバーを試してみましょうか」
ケーキをフォークで掬いながらの姉の言葉に、オリヴィアは嬉しそうに頷いた
王城を離れて、もうすぐ一週間になる。
例の一件から次の日、まだ城内は多少の混乱を残す中、オリヴィアとロザリアは森の中のこの家へと帰ってきていたのだ。
実務処理で城を離れる事が多くなるであろうリベルトの気遣いでもあり、魔女の仕事が済んだ以上はオリヴィア達としても王城に居る必要がないと思っていた。
家まではイリスとカミラが竜の姿になって送ってくれて、その時にイリスから渡されたのがこのフレーバーティーだ。カミラからは蔦の装飾が優美な揃いのグラスを貰って、ありがたく活用している。
「……あんたは良かったの? あのまま、城にいても良かったのよ」
「そう言わないで。帰ってきて良かったでしょ、お仕事がたくさん溜まっていたもの」
留守の間は、急ぎではない依頼なら帰宅してから受けるとしていた。依頼書をポストに入れておいてほしいと。
帰宅してみればポストはもうぎゅうぎゅうになっていて、思わず姉妹で顔を見合わせて笑ってしまった。
「そうだけど。……だってあんた、あの男が好きでしょ。癪だけど。あの男にあんたをかっ浚われるなんて癪だし腹立つけど、好きでしょ」
相変わらずの姉の様子に苦笑いしか出なかった。
イチゴのカップケーキをぺろりと食べ終わったロザリアが、続いてチョコレートのケーキへと手を伸ばす。
飾られたチョコレートの星を口に運んで、満足そうに頷きながらロザリアはオリヴィアを真っ直ぐに見つめた。
「そうね……好きよ、リベルトの事が。でも、いまはそれだけでいいの。わたしが好きだと自覚して、彼もわたしを好きだと言ってくれる。いまはそれだけで幸せなのよ」
「まさかとは思うけど、この家にあたしを一人にしたくないだとか、そんな事思っていないわよね?」
ロザリアの指摘に図星を突かれたオリヴィアは、ケーキを食べる手を止めてしまった。そんな妹の様子に全てを察したロザリアは、わざとらしいほど盛大に溜息をついて見せた。
「あのねぇ、そんな事考えなくてもいいのよ」
「だって……姉さん、一人だとご飯も食べないで魔導具作りばっかりしちゃうじゃない」
「大丈夫よ、ちゃんとするわ」
「お野菜だって食べなくなるだろうし、それにお仕事だって一人じゃ大変よ」
「それなりにやるから心配いらないって」
「でも……」
フォークを置いたオリヴィアは不安げに碧の瞳をさ迷わせた。
「……わたしが寂しい。だめね、まだ姉離れが出来ていないみたい」
紡ぎ落とされた言葉に、ロザリアは目を瞬いた。すぐに表情を和らげると席を立ち、オリヴィアに歩み寄ってその肩を抱いた。高い場所で結ばれたピンクゴールドの髪に頬を寄せる。
「姉離れはしなくてもいいんだけど、大丈夫よ。離れてたってあたし達は何も変わらない。離れるって言ってもそんなに遠くないじゃない。いつだって会いに行くし、いつだって帰ってきていいのよ」
「……お姉ちゃん、わたし少し怖いの。彼を好きになって自分が変わっていくのが怖い。大事なものが変わっていきそうで怖い」
不安を吐露したオリヴィアは、両手を姉の腰に回して抱きついた。
恐ろしかったのだ。大事だったものが塗り替えられていく感覚。そんな自分がひどく薄情に思えてならなかった。恋に溺れて醜悪になってしまうのが恐ろしくて堪らなかった。
そんなオリヴィアをきつく抱き締めたロザリアは、宥めるように頭を撫でた。幼い時、泣いてしまった妹を宥めた事を愛しく思い出しながら。
「馬鹿ね、大事なものが変わるわけじゃないのよ。大事なものが増えていくのは素敵なことだもの。怖がることなんてないわ。ただ形が変わっていくだけ」
姉の言葉にオリヴィアはゆっくりと顔を上げた。眉を下げ、目の端を滲ませた妹の様子が、ロザリアには幼い姿に重なって見えた。
「それにあたしだっていつかは、好きな人と一緒になるんだもの。あんたの方が先だったってだけよ」
茶化すように笑った姉につられるように、オリヴィアも笑った。
「大好きよ、姉さん」
「あたしも大好きよ。お城に行っても、暇な時は手伝いに来てね」
「もちろんよ」
二人で笑い、一度ぎゅっと抱き締め合ってから、また笑った。
グラスの氷が溶けて小さく音が鳴った。
「さて、お茶の準備をもう一度しましょうか。仕方がないからもてなしてあげるわ」
「どうせなら庭でお茶にする? パラソルを立てるわ。五人でテーブルを囲むと、さすがにちょっと狭いかもしれない」
「そうしましょうか」
離れた二人が窓から空を見上げると、三頭の竜が森に降り立とうとしているところだった。その先頭を切るのは黒竜だ。
オリヴィアは気持ちが浮き立つのを感じながら、姉の後を追い掛けてキッチンへと向かった。
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