34.笑い声は軽やかに
入室したリベルトは、真っ直ぐにベッドに向かってきた。
先程までロザリアが座っていた椅子の横に立ったまま、言葉を探すように視線を足元に彷徨わせている。
痺れを切らしたオリヴィアが話しかけようとした瞬間、オリヴィアの体はリベルトの両腕に包み込まれていた。
「……無茶すんな、馬鹿が」
掠れた声が静かな室内に落ちる。どれだけ心配をさせていたのか、不安を煽っていたのかが伝わるようで、オリヴィアはただ小さく頷いた。両腕を背中に回して、自分からも体を寄せると、腕檻の力が更に強まって。それだけでオリヴィアの胸は締め付けられた。
「俺はあんなもんじゃ死なねえ。俺を刺せば良かったんだ、馬鹿野郎」
悪態を口にしている筈なのに、隠しきれない悲しみがその声には宿っている。それに気付かない程、オリヴィアは鈍くも在れなかった。
こうして抱き締められていては、いつものように唇を読んでもらえない。リベルトもそれを分かっているのだろう。答えを必要としていないのかもしれない、そうオリヴィアは思ったけれど、口を開かずにはいられなかった。
「……ごめんなさい。死にたかったわけでもないし、死ぬのが怖くなかったわけでもないのよ。ただ、あなたを刺すなんて、わたしには出来なかった」
オリヴィアの柔らかな声で紡がれる言葉達。
それを耳にしたリベルトは弾かれたように体を離し、両手でオリヴィアの細い肩をしっかりと掴んだ。
「おま、え……声が……?」
「戻ったの、さっき。姉さんが言うには、あなたが治癒魔法を通じて魔力を流し込んだのが一因かもしれないって。生命力さえ叩き込むような荒々しい魔法だったって姉さんは言っていたけれど。助けてくれてありがとう、リベルト」
「待ってくれ、ちょっと……色々追い付かねぇ」
リベルトの顔には戸惑いが浮かんでいる。混乱してる胸の内を映すように忙しなく瞬きを繰り返すリベルトは、ふぅと大きな溜息をつくとベッドの端に腰を下ろし、背を丸めてオリヴィアの肩に額を預けた。
「あー……良かったな、戻って」
まだ触れあえるような距離のまま、リベルトが視線を上げる。金の瞳が優しく細められて、穏やかな笑みを浮かべている彼の姿に、オリヴィアは鼓動が跳ねる事を自覚するばかり。ただ、頷くしか出来なかった。
リベルトがヘッドボードにクッションを幾つも重ねて、上体を起こすオリヴィアが体を休ませられるようにしてくれる。肩にはショールを羽織らせて、余りの気遣いにオリヴィアが気恥ずかしさを感じる程だった。
サイドテーブルに用意されていたピッチャーには、輪切りレモンが浮かんだ水が用意されている。リベルトはゴブレットに水を注ぐと、それをオリヴィアに差し出してきた。受け取ったゴブレットは薄桃色に染まったガラスで作られていて、可愛らしい苺のカッティングが施されている。
リベルトはもうひとつのゴブレットに水を注ぐと、それを一気に呷ってからベッド横の椅子に腰を下ろした。それを待って、オリヴィアが口を開く。
「わたしが倒れた後、何があったの?」
「……お前の渡してくれたピアスのおかげだな。体内の毒が消えて力を奮えるようになった。手枷を外せたから、お前に治癒魔法を――」
「待って。姉さんが、あなたの『片手が千切れてた』って言ってたけど、手枷を外した時に?」
「ああ、なんかまぁ……ちょっとな」
「無茶をするのね」
「お前に言われたくはねぇよ」
確かに、とオリヴィアは苦笑いだ。それを誤魔化すようにゴブレットを口に寄せる。ふわりと香るレモンに目を細めた。
リベルトはその様子に肩を揺らして、足を組んだ。
「お前の胸から魔力が光となって溢れたんだ。癒しと浄化。それで鬼蛇族は動けなくなって、俺達の傷は全部癒えて、毒も無効になった。俺の手まで再生した。……全部お前のおかげだ」
リベルトは左手を上げて、ひらひらと振って見せる。千切れたなんて思えない程に今まで通り動くし、傷痕も何もない。
「お前を助けたのはロザリアと、カミラとイリスだ。カミラ達も心配してたから、あとで元気な顔を見せてやってくれ」
「そうする。イリスさんはわたしを隠してくれて、わたしを庇って……」
「イリスがそうしたかったからだろ。気に病むなとは言わねぇが、謝ったりはすんなよ」
「……そうね」
レモン水で喉を潤したオリヴィアは眉を下げて頷いた。ゴブレットをサイドテーブルに戻そうとすると、リベルトがそれを受け取ってテーブルにそっと置いてくれた。
「鬼蛇族は全員拘束された。ルーゲもだ。……お前は最初から、ルーゲが俺に悪意を持っているのが見えていたんだな。お前はそれを気にして、この城に来てくれたって聞いた」
「何事も無ければいいと思ってた。仕事が終わってお城を離れる時には、ルーゲの悪意について伝えていくつもりだったんだけど、こんな事になるなんて……」
「いや、俺が気を配っていれば済むことだった。それにお前が、悪意が見えると言った時にちゃんと話を聞くべきだったんだ。悪かった」
「謝らないで。わたしも……かっとなってしまったから。それで、鬼蛇族とルーゲはどうなったの?」
オリヴィアの問いに、リベルトは視線を窓に逃がした。
夕陽が室内を朱金に燃やす。茜色の光がレースカーテン越しに差し込んで、オリヴィアの頬を美しく照らしていた。
「……鬼蛇族は一人を除いて全員死んだ。自害するのを止められなかった」
「……そう」
オリヴィアの脳裏に、キリルの人懐こい笑みが浮かんだ。そして凄まじいほどの悪意の靄も。スミレ色に、心の中でさよならを告げた。
生まれ変わったら、あれだけの悪意を持って生きることになりませんようにと願いを込めて。
「ルーゲは魔女の裁きを受けた。死ぬまで幽閉される事になるだろうな」
「あの人はどうしてリベルトを……」
憎んでいたのか。
言葉の続きを読み取ったリベルトは、深く椅子に凭れかかった。片手で黒髪を手荒に乱すと、自嘲に口端が歪んだ。
「あいつは王になりたかったんだと。竜王ではなく、竜王さえも掌握するだけの力が欲しかったんだ。その為に幼い俺を教育していたらしいが……残念ながら俺は、あいつの望む王にはならなかった」
「ひどい事を考えるのね」
「魔女を巻き込んだのが悪手だったな」
「魔女を利用しようとするから、いけないのよ」
オリヴィアは肩を竦めて見せた。その様子にリベルトが笑い、つられるようにしてオリヴィアも笑みを溢した。
八年ぶりの笑い声。軽やかなその声に、リベルトの呼吸が乱れた事をオリヴィアは知らない。
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