10.花籠
今日も解呪の仕事を終え、部屋に戻るとオリヴィアはすぐにソファーへ倒れ込んでしまった。悪意に晒されるというのはやはり辛い。休んで回復したとはいえ、その後の解呪で悪意の残り香に当てられたのかもしれない。
「大丈夫? もう休む?」
心配そうに顔を覗き込む姉に、オリヴィアは微笑んで見せる。抱えたままの魔法黒板に文字を紡ごうとすると、その手はロザリアにぎゅっと握られてしまった。
「無理はしちゃだめよ」
頷いたオリヴィアは深い深呼吸を繰り返してから体を起こす。まだ心配そうな顔をしている姉に目を細めると、改めて魔法黒板と白墨を手に取った。
【大丈夫。ご飯も食べられるし、お風呂に入って眠ったら元気になるわ】
「そう? もう少し強い護符を作ろうか?」
【ううん、大丈夫。護符が強くても、直接悪意を向けられると同じだと思うから。靄のある人には近付かないようにする】
どれだけ護符の力が強くても、悪意を直接ぶつけられては意味がないのだ。それならば今まで通り、悪意の靄を纏う人には近付かないようにと自衛するしかない。
――コンコンコン
ノックの音に二人とも身構える。そんな互いの様子に気付いて、可笑しそうに二人で笑った。
「はい」
ロザリアの声に応じて扉が開く。そこに居たのは侍女長のカミラだった。あの悪意を向けてくる侍女では無かった事に、オリヴィアは内心で安堵していた。
「お食事をお持ち致しました」
「ありがとうございます」
二人掛けのテーブルに手際よく夕食を並べたカミラは一礼して去っていく。昨日のようにルーゲが現れる事もないし、カミラに「竜王様と……」と言われる事も無かった。
カミラの気配が遠ざかったのを見計らって、ロザリアが部屋全体に結界を張る。盗聴防止でもあるし、身の安全を守るためでもあった。
「食事を頂きましょうか」
姉の声にオリヴィアは頷いて、共にテーブルについた。
昨日の夕食は全てをテーブルに載せられないほどのフルコースが出てきた。食べきれないので減らしてほしいとお願いした事を聞いて貰えたようで、今日は一般的な量のプレートに落ち着いている。
こんがりときつね色に焼かれたクッペはクーペも綺麗に開いている。メインはピンク色が美しいローストビーフ。添えられた色鮮やかなサラダには柑橘系のドレッシングがかかっているようだ。断面が綺麗なパテはサーモンとチーズだろうか。薄緑色のポタージュからは爽やかな豆の香りがしていてとても美味しそう。デザートのアップルパイも一緒に並べてくれている。
食欲をそそる香りと色彩に、オリヴィアのお腹が空腹だと訴えてくるほどだった。
「美味しそう。――今日の恵みに感謝を」
ロザリアが手を組み、食前の祈りを捧げる。オリヴィアも同じように手を組んで、心の中で感謝を捧げた。
それからフォークを手にしたと同時に、また部屋の扉をノックする音が響く。
クッペを割っていたところを邪魔されて、舌打ちをしたロザリアは結界を解くと扉に近付いていくけれど、オリヴィアは姉の様子に苦笑いしか出来ない。姉は食事の邪魔をされる事を嫌うのだ。
「どなた?」
「竜王陛下の補佐官をしております、ディーター・デリウスと申します。お食事時に申し訳ありません」
ロザリアが扉を開けると、灰色の髪を後ろで結んだ人の良さそうな文官が立っていた。色とりどりの花々が飾られた籐の籠を両手に持って。
「オリヴィア様に陛下よりお見舞いの花です」
それを聞いたオリヴィアはテーブルを離れて扉に歩み寄る。差し出された籐籠を両手に受け取ると、柔らかな花香が鼻を擽った。その花の美しさに表情を綻ばせたオリヴィアは礼を告げようとするも、魔法黒板はテーブルの上だ。どうしようかとテーブルとディーターとに交互に視線をやる。取りに行こうか、いやでも……。
そんなオリヴィアの慌てたような様子を見て、ディーターはにっこりと微笑んだ。
「そのお顔を見れば分かりますよ。喜んでいたと陛下にお伝えしても?」
ディーターの言葉にオリヴィアは何度も頷いた。お礼の言葉を伝えて貰えるなら有り難い。
「かしこまりました。では失礼致します。お食事中、お邪魔しました」
朗らかな雰囲気を纏ったディーターは一礼してその場を後にする。それを見送ってからロザリアは静かに扉を閉めた。
「良かったわね。あの竜王様も律儀なところがあるじゃない」
ロザリアの口元も綻んでいる。オリヴィアはひとつ頷いてから部屋を見回した。
どこにこのお花を飾ろうか。枕元だと香りが強いかもしれない。鏡台だと少し存在感がありすぎる?
悩んだ結果、オリヴィアは出窓にその花を飾ることにした。薄手のカーテンが日中は掛けられているから、花が痛んでしまうこともないだろう。
ロザリアが結界を張り直してから二人はテーブルに戻り、食事を再開する事にした。
【お茶会はどうだった?】
魔法黒板にそれを紡ぐと、白墨をフォークに持ち変えたオリヴィアはサラダを口にする。パンを千切って口に運んでいたロザリアは、咀嚼して飲み込んでから口を開いた。
「どうって言ってもねぇ……特別な事は何もなかったわよ。ああ、でも竜王があたし達をお妃に迎えるつもりはないって、はっきりとした言葉を聞けたのは良かったかもね」
ロザリアの言葉にオリヴィアは頷いた。話を振ると、あとはオリヴィアは聞き役に回る事が多い。食事をしている時は殊更に。
「命の恩人を探しているのは、お礼を伝えたいからって言ってたけど……どうする? あの時の事を話す?」
問いかけにオリヴィアは首を横に振る。
スプーンでポタージュを口に運んだ。青臭さはなく滑らかでとても美味しい。見れば豆料理が得意ではない姉も好んでいるようだ。家でも作ってみようか。
「あんたがそう言うなら、それでいいわ。助けたのは妹かって聞かれたけれど、あたしは妹は声が出ないとだけ言っておいた。……まぁ嘘はついていないわよね。いつから声が出ない、なんて聞かれていないもの」
肩を竦めて見せるロザリアの様子に、オリヴィアは声無く笑った。
それだときっと竜王は、生まれた時からずっとだと思うことだろう。
お茶会の話題はそれで終わりになった。
明日の仕事の内容を確認しながら、二人は食事を楽しんだのだった。
ふわりと花の香りがする。爽やかな香気が部屋を満たしていた。
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