9.不機嫌なお茶会

 ロザリアが案内されたのは春の陽射しが心地よく注ぐ、同系統の白い家具で纏められたサロンだった。壁は薄緑で塗られていて爽やかな印象だ。

 火の消えた暖炉の上には竜王国の紋章が刺繍されたタペストリーが飾られている。


 金糸で花が描かれたソファーにはすでに竜王リベルトが座って、お茶を楽しんでいた。


「お招きありがとうございます、竜王様」


 カミラに先導されたロザリアは、ドレスを摘まんで膝を折った礼をする。不機嫌そうに眉を寄せた表情で。


「時間を取らせてすまないな。妹君は?」

「体調を崩しまして、部屋で休んでいます」

「そうか、あとで見舞いの品を贈ろう」

「ありがとうございます」


 ロザリアがリベルトの対面にあるソファーに座ると、カミラが紅茶の支度を始める。手際よくロザリアの前に紅茶を用意すると、リベルトのカップも新しいものと取り替えた。

 頭を下げ、壁際で控えようとするカミラに、リベルトが声をかけた。


「カミラ、下がっていい」

「ですが妙齢のお二人を……」

「その扉を開けておけ。異変があれば兵が気付く」

「かしこまりました」


 それ以上反論することもなく一礼したカミラは、指示通りに扉を薄く開いたまま退室していく。扉の向こうには兵が二人、槍を手にしているのが見える程の距離感だった。


 ロザリアはソーサーとカップを手にすると、紅茶を頂くことにした。立ち上る香りを楽しんでからカップを口元に寄せる。


「無理強いされただろう。すまなかった」

「それは否定しませんけれど、竜王様も同じでしょう?」

「ああ、そうだ。執務室からルーゲに追いたてられた」


 音を立てずにカップをソーサーに戻し、茶器をテーブルに置いたロザリアは膝の上で手を揃えた。


「……竜王様、言葉を崩しても?」

「構わない、普段通りに話してくれ」

「ありがとうございます。では竜王様もどうぞ普段通りに」


 カップを戻したリベルトは、怪訝そうに片眉を上げる。鋭いその仕草に萎縮する事もなくロザリアは肩を竦めた。


「固すぎるのよ、言葉も仕草も。まるで取り繕っているみたいにね」

「さすがの観察眼だな。玉座に座るまでは傭兵みたいなもんだったんでね、どうもお貴族様のようには振る舞えねぇんだ」

「あたしは魔女よ。変な振る舞いはしなくて結構。それで、竜王様に確認したいんだけど……あたしを妃にするつもりはないのよね?」

「ねぇな」


 躊躇もなく、迷いもなくきっぱりと紡がれた否定の言葉。それを聞いたロザリアは可笑しそうに肩を揺らした。


「それを聞いて安心したわ」


 安堵の息をついたロザリアは背凭れに深く体を預ける。貴族のように振る舞えないのはロザリアも一緒だった。


「俺からも聞きたいことがある。……八年前、俺の命を救ったのはお前か?」

「あたしじゃない」

「てことは妹の方か?」

「あの子は声が出ないから、魔法の詠唱が出来ないわ」


 リベルトは長い足を組み直すと、肘掛けに肘をついて眉を寄せた。


「じゃあ俺を助けたのは誰だよ」

「知らないわよ。夢でも見ていたんじゃないの」

「んなわけあるか。動物達に先導されて、あの子を家に送り届けた。お前達の住むあの家にな」

「でも助けたのは本当にあたしじゃない」


 リベルトはロザリアをじっと見つめた。その天色の瞳に虚偽の揺らぎは見受けられなかった。――この女は嘘をついていない。


 ロザリアもリベルトをまっすぐに見つめた。この竜王が敵になるのかそうじゃないのか分からない。――それでもオリヴィアの事は明かせない。


「一体俺を助けたのは誰なんだ」

「さぁね、動物達に聞いてみたら」

「聞いたさ。俺が王になってすぐの頃にな。だが奴等はその件に関しては口を閉ざす。誰かと約束でもしているみてぇにな」

「……動物達の声が聞こえるの? 竜族ってみんなそうなの?」

「俺は昔から、そういう声が聞こえるってだけだ」

「そうなの……」


 オリヴィアと同じだと、ロザリアは思った。

 妹も物心ついた時には動物達と言葉を交わしていた。そういえば黒竜には動物達が懐いていたと言っていた。だからオリヴィアは黒竜の事を放っておけなかったのかもしれない。


「別に嫁にするために、命の恩人を知りたいわけじゃねぇんだよ。ただあの時の礼を言いたいだけだ」

「じゃあ何であんたんとこのお偉いさんが、あんなにも嫁取りに熱心なわけ?」

「それは……めんどくさかったんだよ」


 気まずげにリベルトが視線を逃がす。

 ロザリアはそんな様子を見ながらカップを手にすると、冷めた紅茶を一気に呷った。


「即位してからずっと嫁を取るよう言われ続けてんだ。めんどくさくなって、ならって口走っちまっただけだ」

「なによそれ、呆れた。じゃあやっぱりその治してくれた子が見つかったらって、下心があったんじゃない」

「ねぇよ! まさか見つけてくるとは思わねぇだろ」


 リベルトは額に片手をやると、苛立ちをごまかすように前髪を力任せに乱した。そのまま後ろに撫で付けると盛大に溜め息をつく。


「あんたの不用意な発言であたし達が巻き込まれたのね。本当に最悪だわ」

「それは悪かったと思ってる」

「妹に近付かないでよ? 手を出したりなんてしたら、魔女の力すべてを使って呪ってやるわ」

「出さねぇよ。冗談に聞こえねぇからタチが悪ぃ。……ルーゲには言ってあるんだが、あいつも俺を心配しての事だと思うと強く言えなくてな」


 リベルトの口から出た名前に、ロザリアは眉を顰めた。

 オリヴィアが悪意を感じている――狸親父。


「……信頼してるのね」

「まぁな。この城にいる奴らも、悪気はねぇんだ。付き合わせるお前達には悪いが、それも俺がなんとかする」


 この状況で悪意の事を、靄の事を話しても信じては貰えないだろう。ただ仕事で訪れただけの魔女よりも、ずっと一緒に過ごしている同族の事を信用するに決まっている。

 それにオリヴィアには悪いけれど、そこまでこの竜王に肩入れするつもりもない。そんな事を考えて、ロザリアは首を突っ込むのをやめた。介入する義理もない。


「あたし達は仕事をするだけよ。さっさと済ませて出ていけるように、気を配ってよね。これからもこんなのに付き合ってなんていられないもの」

「ああ。変な誘いがあったら遠慮なく断ってくれていい」

「そうするわ」


 ロザリアは立ち上がるとドレスの裾を軽く直した。歩きにくいその衣装に内心で悪態をつくけれど、さすがに裾をまくって歩くわけにもいかずゆっくりとソファーを離れる。


「ではお先に」

「ああ、妹に宜しく伝えてくれ」

「はぁ? あんたやっぱりオリヴィアに気があるんじゃないでしょうね」

「社交辞令だ、バカ」


 振り返ったロザリアは、思いきり顔をしかめると舌を出して部屋を後にした。足取りこそ淑女のそれだが、放つ気配が怒りに満ちている。


 残されたリベルトは肩を揺らして笑った後に、ふと記憶の中の少女を思い返した。うすぼんやりとした視界の中に映ったのはピンクの髪。そうだ、赤いリボンが頭の上で揺れていたのを思い出す。見つめてくる瞳は……一体何色だったのか、声は今でも簡単に思い出せるのに、瞳の色は分からないままだった。

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