前日談 コゼット
コゼットの世界は嫌いなもので溢れている。
その嫌いなものの筆頭として、学園に入る直前に決まった婚約者が挙げられる。
婚約者とは旧知ではあるものの、好きになれる要素はどこにもない。
なによりも、自分よりもはるかに高い身長が目障りだった。
「なんであんな男が私の婚約者なのよ!」
そう憤って枕に八つ当たりしたこともあった。
「学園でドレス姿は感心しないな」
「私がどうしようと私の勝手でしょ!」
我儘な婚約者をたしなめる、善人のような仮面を張り付けた相手に喚き散らしたこともある。
自分の顔も、顔に似合わず低い身長や慎ましい体つきも嫌いだった。
きつい顔立ちに似合うのは、豊満な肉体や高身長だ。
顔に釣り合うように、ヒールの高い靴を履き、胸に詰め物を入れたりもした。
しかし学園の制服にヒールのある靴は似合わない。そのため、制服ではなくドレスを着ていた。丈の長いドレスならば、靴を隠すこともできる。
「学園なんて嫌いだわ」
制服も、授業も、知っているくせにわざわざたしなめる婚約者も、全部全部嫌いだった。
嫌っていながらも甘んじて受け入れ生活している自分も嫌いだった。
コゼットがいつものように丈の長いドレスで階段を上っていると、間違えてドレスの裾を踏み、つんのめった。慌てて手をついたので階段に激突するような無様を晒すことはなかったが、階段を上らないといけない環境に苛々と舌打ちする。
「大丈夫ですか?」
降ってきた声に、コゼットは自分の醜態を誰かに見られたことを察し、不機嫌を隠そうともせず顔を上げる。
「立てそうにないのでしたらお手を……」
目の前に差し出された手を払いのける。同情もコゼットが嫌いなものの一つだった。
「同情なんてごめんだわ」
「いえ、そういうつもりでは」
「ならどういうつもりなのかしら。私の醜態を皆に広めて笑うつもり? ああそれとも、媚でも売りたいのかしら?」
ぎゅっと唇を固く結ぶ姿に、コゼットはいい気味だと心の中であざ笑った。
だがその後に彼女の取った行動は、コゼットには予想外なものだった。
「失礼します」
いまだ階段に這いつくばっていたコゼットの体を支え、ふらつきながらも踊り場まで運ぶと、肩で息をしながらも柔らかな笑みをコゼットに向けた。
コゼットは同性にすら簡単に持ち上げられるような自分の体が恨めしくて、同時にあそこまで言われても引き下がらないことに苛立つ。
「ああ、やっぱり。足首が腫れていますね。あまり合わない靴を履かないほうが――」
「なによ、うるさいわね。あなた、自分が私よりも大きいからっていい気になってるの?」
彼女がコゼットよりも背が高く、女性らしい体つきだったことがコゼットの機嫌をさらに損ねる。
「目障りよ。さっさと消えなさい」
しかもヒールの高い靴を履いていたことまで指摘されたのだ、苛烈な性格の持ち主であるコゼットが黙っていられるはずがない。
そんなことを言われると思っていなかったのか、丸い目をさらに丸くさせて言葉を失っている彼女に向けて、一方的に言葉をぶつけていく。
「あなた、二度と私の視界に入らないでちょうだい」
瞳を潤ませ、なにも言わず去っていく背中を見ながらコゼットは溜息を零した。
(どうせ、婚約者を心配してとか言って、あいつが迎えに来るんだわ。ああもう、本当、嫌い嫌い。全部嫌い)
コゼットの予想どおり、いくらかしてから授業に出てこないコゼットを心配して探しにきた婚約者によって医務室に連れて行かれることになる。
軽々と抱えることや、張り付けたような笑みを浮かべて心配する善人を装う婚約者に対して、心の中で何度も嫌いだと呟き続けた。
(目障りね、あの子)
それから何度も彼女が視界に入った。ちらちらとこちら――正確に言えば、コゼットのそばにいる婚約者を見ている。
それなのに話しかけようとはせず、ただ見つめているだけだ。
(あんな子、私の視界に入らないところで勝手に結婚して孫にでも囲まれて死ねばいいんだわ)
コゼットは常日頃から色々なものが死滅すればいいと考えている。
それは学園を卒業してからも変わらず、婚約者と結婚しても変わらなかった。
(背の高い人が全員死滅すれば私が一番背が高いことにならないかしら)
そんなささやかなものから、
(王家なんて滅びてしまえばいいんだわ)
わりと本気なものまであった。
(この人が今死ねば、王家は絶えるわよね)
そして自分の前で一緒に食事をしている夫を見る。彼以外の血筋は全員いなくなった。もしかしたらどこかで生きているのが一人や二人くらいはいるかもしれないが、表舞台に出てくることはないだろう。
(毒とかいいかしら。いいえ、駄目ね。どうせすぐ気づかれるわ)
コゼットの様子がおかしければ、なにかしでかしたとすぐ気づくだろう。コゼットの夫は目敏い人だ。
「あの子はこんな男のどこがよかったのかしら」
ふと、学園でこちらをちらちらと見るだけだった彼女のことを思い出し小さく呟く。
(こんな人でなしのことなんて忘れて、まともな男と家庭を築いて死ねばいいんだわ)
まだコゼットが十にも満たないとき、とても可愛がっていた小鳥がいた。
ある日、コゼットが部屋が戻ると、猫にでも襲われたのか、血のついた鳥かごだけが残されていた。
隣に立つ、そのときまではそこそこ親しかった
ふと隣を見上げたのは、なにか予感がしたからというわけではない。小鳥を贈ってくれたのが彼だったから、彼もまた傷ついているだろうと思ってのことだった。
だがそこで、気遣う表情の奥に隠された愉悦に、コゼットは気がついた。
それ以来、コゼットの世界は嫌いなもので溢れた。
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