「誰がそんなことを言った」

 二日あった休暇日が終わり、レイシアは寮の前で一人佇んでいた。それというのも、レオンが迎えに来るかもしれないからだ。


(来ないなぁ)


 だが中々姿を見せない。婚約破棄を突きつけてからの数日間だけとはいえ、レオンは毎朝レイシアを迎えに来ていた。

 そのため先に行ったら機嫌を損ねるかもしれないと粘っていたわけだが、そろそろ時間が怪しくなってきている。

 遅刻したら教師からの心象が悪くなり、成績に響くかもしれない。


 レオンの恋が冷めた後もレイシアの人生は続く。修道女はできればなりたくないが、貴族の家に嫁ぐことも難しい。

 そうなると、平民の商家や学者に嫁ぐのが一番現実的だ。だが貴族との繋がりを作るためだけの愛のない結婚は虚しいものだということはレイシアも知っていた。

 夫となる相手に少しでも貢献し愛を育むために、レイシアはなんとしても好成績を修めた状態で卒業したかった。


(寮母さんに伝言を頼んでおけば平気かな)


 少なくとも時間ぎりぎりまで待っていた証拠にはなるだろう。くるりと踵を返そうとしたレイシアに、なにかが激突した。


「ごめんなさい! 大丈夫?」


 受けた衝撃により尻餅をついてしまったレイシアの前に手が差し出される。

 女性から優しくされたのは、レイシアにとって久しぶりのことだった。学園に入学したばかりの頃は話しかけてくる者もいたが、次第に数を減らしていき、ここ最近は嫌味以外言われなくなってしまっている。


「あ、はい。大丈夫です」

「ならよかった。ねえ、あなたのお名前は? 私はレイチェル・リディスよ」


 悪い意味で有名な自分を知らないことに、レイシアは目を瞬かせた。もしも名乗ってしまったら、彼女は毛虫を見るような目で自分を見るかもしれない。

 そう思うと、どうしても名乗るのを躊躇ってしまうが、名乗らないわけにもいかない。


「私は、レイシア・フェルディナンドでございます」

「あら、フェルディナンド家の子なのね。そうだわ、ぶつかってしまったお詫びに今日のお昼をご馳走させてくれないかしら」


 にっこりと笑うレイチェルに、レイシアはぱくぱくと口を開閉した。


 もしもレイシアが噂話に詳しかったら、レイチェルがアルミラの従兄であるエルマーととても親密だというだということがすぐにわかっただろう。


「わ、私でよければ」


 だがレイシアには噂話をするような友達は一人もいなかった。




 レイシアが学園で初めての友達ができそうになっている間にレオンがなにをしていたのかというと、寝ていた。


 レオンは元々朝に弱い。しかも寝起きの機嫌がすこぶる悪い。

 学園に入学したばかりの頃は寮で働いている使用人が気を遣って起こしに来ていたのだが、そのたびに怒鳴り、しまいには魔法で攻撃されかけ、いつしか使用人たちは必要以上の世話を焼かないようになっていた。


 それでもこれまで遅刻せず登校できたのは、毎朝アルミラが起こしに来ていたからだ。女人禁制の男子寮なのにレオンを起こすときだけは入室が認められるほど、レオンの寝起きは悪すぎた。


 婚約破棄をアルミラに突きつけてからの数日間は心境の変化によるものなのか起きることができていたのだが、休日を挟み緩んだ状態で起きれるはずもなく、レオンはすっかり夢の住人と化している。




 渦巻く魔力は本人の意思を無視して周囲に傷をつける。

 平時ならば難なく制御できる魔力も、寝起きのレオンではうまく制御できない。そのため王城にいたときも、無理に起こされることはなかった。


 だがその渦の中をかいくぐり、寝台に足を運ぶ者がいた。


「朝ですよ。起きてください」


 やんわりとした声で覚醒できるなら苦労はしない。わずかに意識はあるものの、瞼は重く、うなされるように呻くのみ。


「ほら、起きろ」


 ガツン、と額に受ける衝撃でようやく目を覚ます――それがいつものやり取りだった。


「……そんな恰好をして、お前に女心というものはないのか?」


 ずきずきと痛む額に顔をしかめ、馬乗りになりながら胸倉を掴み、額を突き合わせている自分の婚約者に苦言を漏らす。体勢もそうだが、頭突きで起こすという荒業からしてもはや女がどうかすら疑わしくなってくる。


「私に女心を学べとおっしゃるのですね。かしこまりました」


 襟を掴んでいた手を離して、粛々とかしこまる姿に、レオンは深い溜息を零した。


「誰がそんなことを言った」

「女心がないとは、つまり女心を知れということでしょう。ご命令つつしんでお受けいたします」

「いい加減歪曲して受け止めるのをやめろ!」


 髪を切れと言った覚えもなければ、男装しろと言った覚えもない。そう取られてもおかしくはないことを口にはしたが、そんな発想になるとは思いもよらなかった。

 痛む額と頭痛に頭を押さえていると、体に乗っていた重みが消える。


「そんなことよりも、早く支度してください。遅刻しますよ」

「ならば早く出ていけ。それとも着替えを見ているつもりか」

「ご冗談を。レオン殿下のお体には微塵も興味はございません」


 婚約者にあるまじき発言だが、レオンはこれはもうこういう奴だと認識しているので、余計なことは言わず溜息をついた。

 余計なことを言えば歪曲して受け止め、おかしなことになるのを何度も経験しているのだからなおさらだろう。


(もしも興味を持てとでも言ったら、解体しようとしてくるかもしれん)


 レオンは自分の婚約者のことを正確に理解していた。



 それからというもの女子生徒を紳士のようにエスコートする姿を見かけるようになり何度も眉をひそめた。これまでにも女子生徒と話している姿をよく見かけはしていたが、紳士然と振舞うことはしていなかった。間違いなく先日のやり取りが原因だろう。


(ああくそ、どうしてそうなる)


 それはこれまでに何度も抱いた感想だった。奇抜な振る舞いに苛々と舌を打つと、小さく袖を引かれる。


「どうされましたか?」


 心配そうに見上げる姿に、レオンはなんとも言えない表情を浮かべる。

 こちらを小馬鹿にしながら奇抜なことしかしない馬鹿力な婚約者と、ちまちまと愛らしく心配してくれる女性――どちらに心を寄せるかなど、考えるまでもない。





「……夢か」


 痛まない額に手をやりながら薄らと目を開ける。レオンがアルミラに婚約破棄を突きつけてからの数日は、額が痛むことなく朝を迎えていた。

 レオンの視線が傷のついた家具と、壁に掛けられている時計に向く。時計の針はもうすぐ昼を差そうとしていた。

 慌てたところでどうしようもない時間に、レオンはレイシアの姿を一瞬だけ脳裏に描く。


(迎えに行ってやれなかったな)


 もっと他に心配するべき点があるのだが、レオンにとって学園生活も学業もどうでもよいことだった。

 学園に入学したばかりの頃は多少は頑張ろうという意識はあったのだが、それも今となっては消えうせている。


 だがここで行かないという選択肢は取れない。たとえ遅刻だろうとなんだろうと行かなければさぼりとみなされ、王に報告がいくだろう。


 それだけはどうしても避けねばならなかった。

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