「似合うか?」
授業を受け終わり、帰宅の準備をはじめていたアルミラの肩に手が置かれた。アルミラが眉をひそめ視線を巡らせると、そこには満面の笑みを浮かべるエルマーが立っていた。
「昼のことについて聞かせてもらおうか」
「そうか。ずいぶんと耳が早いな」
「あれだけ目立っていたら嫌でも噂になる。まあそれだけが理由ではないが……」
支度を終えたアルミラの隣の席に座る男性が立ち上がり、椅子をエルマーに譲る。
エルマーはそれにお礼を言い腰を下ろすと、楽しくてたまらないといった表情をアルミラに向けてきた。
「俺の従妹は今度は何を企んでいるのかな」
「企むとは人聞きの悪い。ただミハイル殿下との親交を深めていただけだよ」
「林檎を握りつぶして育まれる親交とは、ろくでもないな」
「おや、いたのか?」
「憩いの時間を過ごしたいと誘われたもんでね」
「どんな憩い方だったかは聞かないことにしておこう。ついでに相手の女性のことも」
浮名を流しているエルマーだが、なぜかそれでも寄ってくる女性がいる。顔はそこそこ整ってはいるが、目を奪われるほどの美男子というわけではない。だというのに、健全な付き合いから不健全な付き合いにまで誘われることが多い。
アルミラはこれを世界の不思議の一つだと考えている。
「それで、あの風見鶏王子に近づくなんてなにを考えているんだ?」
「日和見だなんだとは聞いていたが、風見鶏とまで呼ばれているとは初耳だな」
「お前の婚約者……ああいや、元婚約者を組合が五歳で手放した話は知ってるだろ?」
レオンは四歳で魔法の才を顕著させ、それから組合で指導を受けていたが、一年ほどで匙を投げられたのは有名な話だ。
アルミラが頷くと、エルマーは神妙な口振りで話を続けた。
「組合預かりの者を王にするわけにはいかないから、その一年の間にあの王子は王に必要な教育を受けていたんだよ」
「私の元婚約者はそんな教育を受けていないはずだが」
「まあ、それはほら、あの性格だからな。いや、それは今はいいんだよ。……あれが魔法の才を発揮するまでは正式に決まっていたわけではないが、正妃に気を遣って元婚約者が王に相応しいと言う奴が多かった。だがいざ組合預かりになると第一王子しか王の資格を持たないからと第一王子を担ぎ上げ、元婚約者を組合が手放したら手放したで今度は陛下自ら元婚約者を王にすると言い出したわけだ」
「中々目まぐるしいな」
「担ぎ上げられたかと思えば、一年でお払い箱になった……普通は文句の一つでも言うところを、当時七歳のあの王子ははいわかりましたと二つ返事で頷いたんだよ。聞き分けがよすぎるってことで付いたあだ名が、信念のない風見鶏王子だ」
「その話を聞いても、大人は身勝手だという感想しか浮かばないな」
腕を組み不快そうに眉をひそめるアルミラに、エルマーは苦笑を浮かべた。
話はこれで終わりではない。顔をアルミラに近づけ、周囲の様子をうかがいながら声を落とす。
「だからあいつを王に担ぎ上げたいなら、少なくとも陛下の決定が必要だ。でなきゃ頷かないだろうな」
「……彼を王にしたいとお前に言った覚えはない」
「婚約者をやめるんだろ? だったら、婚約している意味をなくすのが一番手っ取り早い」
アルミラとレオンの婚約は、レオンを王として確固たるものにするためだ。
レオンが王にならないのなら、嫁いだところで意味はない。だからそうなのだろうと探っているのだろう。それに対して、アルミラは肩をすくめるだけに留めた。
「さて、それはどうかな」
「おいおい、俺はお前の従兄だぞ。信頼して話してくれてもいいんじゃないか?」
「信頼はしているとも。だから信頼の証として、頼みごとをしただろう?」
アルミラの視線がエルマーの鞄に向く。エルマーもアルミラの視線を追い、行き着いた先を見て苦笑を浮かべた。
アルミラがエルマーに頼んだのはつい昨日のことだ。一朝一夕で用意しろという無理難題だったが、女性限定とはいえ付き合いの多いエルマーはその頼みごとをしっかりと遂行していたようだ。
「これをなにに使うつもりか知らん……いや、予想はできるが、本気でやるつもりか?」
「そろそろ我慢の限界がくるはずだからな」
エルマーが鞄を漁り取り出したのは、真っ白な装飾もなにもない、一枚の仮面だった。
アルミラはそれを受け取ると、一切の躊躇なく自分の顔に当てる。
「似合うか?」
「そんな仮面に似合うもくそもあるかよ。時間がなかったから素っ気ないものしか用意できなかったが、もう少し装飾が付いているものがよかったらまた仕入れるが……どうする?」
「当面はこれでいいさ。急場をしのげればそれでいい」
仮面の奥でアルミラが笑うのと同時に、教室の扉が荒々しく開かれた。
「アルミラはいるか!」
暴君横暴我儘で知られる王子のお出ましである。
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