恋する自動販売機

もり ひろ

恋する自動販売機

 私は飲み会が苦手である。学生の頃からこの手の名を冠するものへの参加は消極的で、仲間に半ば強引に連れていかれなければ顔を出さないどころか、参加、不参加の意思すら表明しないことが多々あった。

 嫌々ながら参加すれば最初は隅っこで極力会話に加わらず食事に専念するが、周囲から勧められる酒を断れずにあっさりと酩酊する。それからは私の中で張りつめていたものがぷつんと弾け、大いに羽目を外した。

 盛り上がっている会話の骨を折り、ホッケの骨を繋いでリュウグウノツカイを生み出し、下戸な者のソフトドリンクに焼酎を注いで回った。時には物を落とした振りをして、卓の下から女性のスカートの中を覗き見た。挙句の果てには、その場で一番立場の弱そうな人間に喧嘩を売った。大概は周囲が私を取り押さえ、私が少しだけ多く会費を払うということで落ち着く。

 社会人になってからは上司の目もあるので、大羽目を外すことはなくなった。やはり飲み会の楽しさは、わからないままであった。できるだけ静かに、隅で小さく過ごす。それが私の飲み会での定位置だった。

 しかし、今夜の飲み会は違った。

 上司に連れられて他部署との交流会に参加した私は、会場に着くや否や胸に何かが迫った。ドクンと強く脈を打ち、気持ちが高揚した。いつもなら上司に勧められなければ飲まないような酒も、次から次へと己が腹中に収めていった。盛り上がっている卓に移動して他人に話を振りつつ、自分のこともよく喋った。気が付けば促されるままに前に躍り出て、自己紹介を兼ねて小噺をした。

 珍しく、飲み会を楽しいと思った。

 帰路に就きながら、今宵の宴を思い返す。何が私をこうまで変えたのか。それは、もう、愚問だ。

 私は自宅近くのコンビニの前で足を止めた。私の偏食に加担している憎き存在だが、なければ日々の食事に支障を来す。コンビニとは、悪友のようなものなのだ。普段は仕事帰りに立ち寄り、弁当、タバコ、缶コーヒーを購入してさっさと帰るのが常だ。

 今宵は寄らず、向かいにある公園へ踏み入った。冬の夜風で酔いを醒ましたかったのか、はたまた今宵の宴会の延長線上にまだ立っていたかったのかどうかは、自分でも不明だ。

 薄暗く淀んだ空間に、色鮮やかな原色の遊具が浮かび上がる。コンビニの明かりと、公園内の自動販売機を除けば、一切の発光体が存在しない。私は、夏の虫が如く、自動販売機の光に吸い込まれていった。

 煌々と輝く自動販売機の盤を眺める。いつもコンビニで購入している銘柄の缶コーヒーを探しつつ、財布から小銭を探す。酔いが回っているせいか、二月の厳しい寒さのせいか、うまく小銭が摘まめない。

 思うように動かない指で小銭と格闘しているうち一枚の小銭が指間をすり抜け、落下。そのまま自動販売機の下へと転がっていき、消えた。

「嗚呼、ちくしょう」

 私は呟きながら下を覗き込む。

 小銭の姿は見えないが、何やら生々しいものがだらりと垂れ下がっていた。私はコンビニからの明かりが自分の影にならないよう体勢を変えて屈み直す。

 そこに垂れ下がっているもの。何となく、わかる。いや、はっきりと。

 要するに、この自動販売機はオスだったらしい。

 何が何やらわからないとばかりに、へなへなと隣にあるベンチへ腰を下ろした。そうか、ジハンキにもセイベツがあったのか。そんなわけあるか。一人二役で戯言を吐いた。

 少し冷静になったつもりで再び覗き込むと、やはりソレは垂れ下がっていた。先ほどより少し大きくなっていた。

 屈んだまま自動販売機を見上げ「お前もオトコだな」と呟いた刹那、誰かに見られていないかと不安に襲われて周囲を見回す。幸い、人っ子一人いない。

 代わりに、コンビニの店先に置かれた二台の自動販売機と目が合った。

 何も考えずそこへ歩み寄り、それぞれの下を覗き込む。一方はオスで、もう一方はメスだった。オスの方は、公園内の彼よりも立派だった。

 立派なのは下だけではない。盤はタッチパネル式、取り出し口が少し高い位置にあって取り出しやすく、ICカードやスマートフォンを使った決済にも対応している最新型だった。物理的なボタンが配置され、小銭しか使えない懐かしい形をした公園内の彼とは雲泥の差だった。

 私はまだ酔っている。間違いなく、酔いのせいで自動販売機の性器の幻覚を見ているのだと決めつけた。

 公園内に戻り、古風な彼からホットの缶コーヒーを購入した。ベンチにあぐらをかきながら、プルタブを起こす。

 夜空にはいくつもの雲が並び、速く流れていくものもあれば、ほとんど止まっているものもあった。それぞれがくっついたり、重なったり、小さく分離したりしながら、月明かりを煌めかせる。

「なあ」

 私は空を仰ぎながら、話しかけた。

「お前、何て呼ばれているんだ。何って、ジハンキはジハンキだよなあ」

 一人で自虐的に笑う私に、ジハンキはぶいんと唸った。

「なあジハンキよ。お前も男ならわかるよな。俺、恋したよ。上の階の部署の女性でな、笑うと左頬にだけエクボが出るんだ」

 私は「あのエクボはずるいよな」と呟いた。ジハンキは何も言わず、私の言葉に耳を傾けている。男というものは、時にはこうして何も言わずに話を聞いてくれる存在が欲しくなるものだ。そういう相手だからこそ、胸中をさらけ出すことができることだってある。

「中村さんって人なんだけどな。華って書いてハルって読む、少し変わった名前の人なのよ。ほんでな、たぶん今年入社した子なんだけどな、その子に惚れたよ」

 遠くでサイレンの音が聞こえる。それ以外には私の小さな声と、ジハンキの唸りだけがここにある。

「一目見て惚れたね。その子に話しかけたかったけど、話しかけられなかった。チキンだったよ、俺。だからな、目立つように振舞って、向こうから話しかけてくれないかなって思ったんだけどな、なんだか空回りだったよ。きっと、うるさい先輩社員としか思われていないだろうな」

 私はポケットからタバコを取り出し、火を点けた。「お前も吸うか」と問うても何も答えない。ジハンキは寡黙さと適度な距離感を持ち合わせた紳士らしかった。

 しばらくは無言で煙を吐き続けた。頭がぼんやりしてきて、酔いの回りが加速していくように感じた。ふうっと息を吐くと、白い煙が流れていく雲と重なって、ふわりと消えた。

「つらい。俺はつらいのよ、ジハンキよ」

 幼い子が喚くように、天に向けて咆哮した。

「何がつらいのかって。よくぞ聞いてくれたな、ジハンキよ。今日出会ったばかりの女性に恋をして、想いを伝えることもなく玉砕したことなのだよ。彼女な、来月、結婚するんだて。うちの部署の先輩と。最後の最後に発表がありますなんつって、二人が手を取り合って立ち上がっちゃってさ」

 ジハンキの唸りがトーンダウンした。私は二本目に火を点けた。結婚を報告する中村さんと先輩の姿が、なんだか妙にキラキラして見えた。その姿を思い出し、私の薄ぺらい胸を締め付ける。あれからあの二人はどうしているのだろう。二人で同じ場所に帰り、どんな時間を過ごすのだろう。

「こんなことなら、飲み会になんか参加しなければよかった」

 と、小さく呟いた。だから飲み会が嫌いなのだと付け加えた。

 視線を天から前方に移すと、先ほどの二台の自動販売機に焦点があった。二台は寄り添ってそこにあった。無機質なそれらが仲睦まじく見えた。彼ら二台はどんな時間を過ごしてきたのだろうか。

「お前はいつもこうやって、彼女のことを眺めているのか」

 私は自分に言い聞かせるよに、それでも体裁はジハンキに向けたように言葉を紡いだ。

「向こうがどうなってたって、お前の気持ちを伝えちゃいけないってわけじゃなかろう。向こうはお前のこと、まだ何も知らないんだ。お前だって相手のこと、見つめているだけで何も知らないのだろうに」

 私はスチール缶を握りつぶすように力を込めて続けた。缶は酷く硬かった。

「略奪しろとは言わないけど、想いを伝えてみたらどうだ。それで結果ダメだとしても、それもまた良し、だ」

 私は握りつぶせなかった空き缶をごみ箱に投げ入れ、公園を去った。

 近いうちに彼女に話しかけてみよう。先輩には悪いけど、結婚したら言えなくなってしまうから、その前に伝えておこう。

 それで、最初で最後にしよう。


   ◇


 翌朝、昨夜みたアレが何だったのかと公園に立ち寄ってみた。闇に消えたはずの小銭がジハンキの後ろに転がり、少しだけ何かを引きずったような跡があった。ほんの少しだけ、彼は前進した。

 翌月に行われた中村さんと先輩の結婚式はつつがなく進行した。二次会で私は大いに羽目を外した。酔った勢いで先輩にシャンパンをかけた。中村さんはそれを見て、左頬にエクボを出していた。

 今日の宴は、少し楽しかった。

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