6話 これが俺の、脱サラだ。

 ──結構早足だな。


 案外このぬいぐるみの肢体でも普通に歩く事が出来た俺は、ザクザクと林道を下へ下へと歩いて行くフェリシアの背中を必死に追いながら独りごちる。


 長話もここまで、とフェリシアが制して、いよいよ山を下り王都へ向かって歩き始めた俺達だったが、目の前のフェリシアの歩く速度が異様に速い。ナニかに追われている様な、ナニかから逃げている様な、もはや駆け足と言って良いスピードで彼女はどんどん先へ行こうとしていた。いやちょっと待て。このぬいぐるみの体に付いている二本の足は10cmあるかないかの短さだ。一般的な成人女性であろうフェリシアとは歩幅が違う。幸いどれだけ俺が足の回転を上げても息が苦しくならないのは、やはり俺が物だからなのであろう。


「ハァッハァッ」


「おいフェリシア。いくらなんでも急ぎ過ぎだろう。急いては事を仕損じるとも言うしな。一回スピード落とせ」


「……ごめんシュート、忘れてた。ついて来れないなら私にくっ付いて。急ごう。多分今頃、『ともしび』が消えてる。……それに、おかしい、の」


「なにがだ!?くそっ!」


 言いながらまったくスピードを緩めてくれないフェリシアの肩になんとか手を掛けられた俺は、周囲に気を配る余裕も無くただ一刻も早く前へ進もうと必死の形相のフェリシアに危機感を募らせる。掴んだ肩のヌルリとした汗が、熱を持った体温が、冷静なフェリシアの声音とは裏腹に彼女の焦燥を物語っていた。


「ジェラルドの……魔力が離れない。ここまで距離をとったはずなのに、山小屋に居る時と、変わらないの!──違う、近付いてる!?これは!!」


「おいおいフェリシア……確かあのいかついオッサンが現れたらやばいみたいな事言ってたよな……そりゃフラグだ、フラグってヤツだよお前……!」


「──っ!!」


 全力で林道を走り抜けていたフェリシアが突然止まった。彼女の背中に押し付けられた俺は、小刻みに震えるフェリシアの肩に猛烈に嫌な予感がした。固まって動かないフェリシアにようやっとしがみついているだけの俺は、揺れる木立の中にぼんやりとたたずむ、ソレを見る。


「じぇ、ジェラルド……」


 パクパクと口を、壊れた玩具おもちゃの様に開閉させているフェリシアが、その視線の先の白髪痩身の男に青ざめた。


「……結構足、速いんだな。オッサン」


 硬直するフェリシアの脳天によじ登った俺が、まるで親の仇を前にした人間の様に眼光に殺気と剣呑さを乗せて射抜いてくるジェラルドと呼ばれた白髪痩身の男に素直な感想を溢す。眉一つ微動だにさせないジェラルドは、ゆっくりと流れる様な動きで、その手に持った木の杖を俺達に構える。


「──どこへ行く?ヴァルトルート」


 低く低く重たい声音。ヴァルトルートとはフェリシアの事か。問われたフェリシアは、拳銃を突き付けられたかの様に身動きが取れない様だ。声にならない声音を繰り返す彼女の痴態に痺れをきらせたジェラルドは、


「その風体。お前の望みに異界人を使う腹積もりか。──独り善がりなエルフが」


「────っ!」


 その双眸に涙を滲ませ始めたフェリシアを見て、俺は悟った。彼女にとって今のこの場でジェラルドは天敵なのだ。絶対に遭遇してはいけなかった存在なのだ。フェリシアは、ジェラルドにこの一連の行動を悟られ無い方に自身の全てのチップをかけていたのだ。それが、破綻した。彼女フェリシアはすでに賭けに負けている。……なら。


「何の気紛れで、お前の様な傲慢な女を引き入れたのか。ステラにも思うところは有る。……だが」


 握った杖をフェリシアに突き刺す様に白髪痩身の男は、三行半みくだりはんを彼女に渡す。


「我らの行く手を阻む小賢しいコバエとなった貴様を、叩き殺す事に何の疑いもあるまい!!」


「──ひぃっ」


 ジェラルドの怒号に、フェリシアは頭を抱えてうずくまってしまう。目線がだいぶ下がった俺は、殺気立つジェラルドを見上げながらフェリシアの頭を撫でてやる。


「──びびるなフェリシア。こんな時のために俺がいるんだろうが。さぁ俺を使え。どうする?俺は何をすれば良い?あんなオッサン、俺達で何とかしてやろうぜ。さぁ!」


「~~~~~~っ」


「……おい、フェリシア」


「やだ、やだよ……怖いよ……お母さん……」


「おい!フェリシア!」


 思わず声が荒ぶる。なんだこの女は。あれだけ意思を固めた様な言葉をのたうち回っといて、想定した最悪の状況になってコレとは。少なくとも、俺に秘められたナニかの正体ぐらいは事前に教えておけよ……。


 ほとんど呆れた侮蔑に近い感情をフェリシアに抱いてしまった俺は、こんな時の対処方法としてはあまり好ましくないやり方を知っている。それは、


「ったく……しょうがない。次、気ぃつけろよ。まったく」


 先輩が全てのけつを持って拭ってやることであった。しかしながらソレは、部下の成長の妨げにもなる。……ナニ思ってんだ、俺は?


 フェリシアの頭から飛び降りた俺は、重苦しそうに起き上がると、そのいかつい風貌の男を愛くるしいガラス玉の瞳に映して押し黙った。こんな威圧感を向けてくる取引先のジジイには幾度も当たった事はある。そういう奴等は少しでも交渉が有利になるように意識的にそうしているのだろう。ソレは、社同士の交渉の本質以前に、一個人同士の代理戦争ということだ。負けたら会社全体に損益を与えてしまう。誰にも見られていない密室での応酬なのだが、会社運営の肝はそこに有るのかもしれない。俺は前世の会社で営業に配属されて七年になる。この異世界の地で、異世界人相手に、前職営業で今はぬいぐるみの俺が使える手札カードは──穏便にこの場を納める言葉ワードは──。



「──この度は、まことに申し訳ございませんでした!」


 だった。



「……的外れだな、異界人。お前の言葉などどうでも良い。そこを退け。そこの虫けらとまとめて刻まれたいのか」


「……やれやれ、こういう時は平謝りで後は時間が何とかしてくれる……ってマニュアルは通用しないか。ここ、異世界だもんな」


「飄々と軽口を良く叩く。ステラに教えられた己の宿命も受け入れずに、女にかどわかされ、その傲慢不遜な態度。もう一度、身に刻む必要がある。この世界フェスティリアでのお前の在り方を」


「結構です。やめてくれ、縛り付けるのは。何だか未だにわからんが、俺は一度死んだんだ。そして、今この異世界でここに居る。……なら、俺は一体何者なんだ?」


「知れたこと。お前は我々の悲願成就のための一員として──」


「黙れよクソジジイ」


 顔色は、変わらない。表情も、読めない。


 今の俺はただのうさぎのぬいぐるみでしかなく、それ以上それ以下でもない。


 だがそれは、外面の話だ。中身はれきっとした、日本人、柊柊人ひいらぎしゅうとであり、それ以上それ以下でもない。変わらない、俺は。あの後輩いたがきと無為に過ごして来た給料を貰うだけのルーティーンとも言える繰り返しの日々。終わったそんな日常。


 ──悪いな板垣いたがき。俺は一足先に行かせてもらうぜ。



「俺は、俺だ。名乗ろう。俺の名は、世界フェスティリアがぬいぐるみの体を持ち、人の言葉を操る、動ける無機物。俺は──異世界ぬいぐるみ、シュートだ」



 夢、だったのかもしれない。変わらない毎日にどこか破天荒な生活への憧れがあったのかもしれない。それでも、食い繋ぐためにサラリーマンをやっていた自分に、『仕方がない』とストップをかけていたんだ、俺は。


 こうして自分の立ち位置を明確に発言したことで、どこか俺の中の前世への繋がりが、切れた様な気がした。


 ああ、サラリーマンを辞めて自営業へと独立した人達は今の俺の様な気分だったのだろうか?だとしたらコレは、もっと早くにやるべきだったかもしれない。



 ──じゃあな、板垣後輩


 死んで異世界に来ちまったけど、ようやく俺も踏ん切りがついたよ。


 

 ──これが俺の、脱サラだ。

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