4話 昔から言ってるでしょう?物事に選択肢は二つしか無いと。

 ──窓口から見える陽の光が薄暗く変わり、思えば一瞬の様な、実際は数時間も経っていなかった一日がようやく終わる。


 結局あの後姿を見せなかったステラは置いておいて、俺の首と胴体の修復を終わらせたフェリシアは、例の如く俺を鷲掴みにすると押し黙って食卓に座り込むジェラルドに一瞥もくれずにダイニングを出た。


 辿り着いたのは、ベッドと一枚板の鏡がはめ込まれた化粧台が設置されているだけの簡素な造りの寝室。フェリシアの自室であろうその部屋の枕元にそっと置かれた俺は、しゅるしゅるとその身を包んでいた衣服を脱ぎ始め、下着姿になったフェリシアの透き通るシミ一つ無い肌の柔らかな肢体と、平均より大きめな二つの盛り上がりから目が離せないでいる。なんだこの状況は?俺が男だって事は知ってるよな?それともこのぬいぐるみ《からだ》で、もはや男性とすら見られていないのだろうか。


「……いつまで固まって動かないの?シュートはただのぬいぐるみなんかじゃないんだから、動けるでしょ?……シュート?」


 日本こちら側で言うところのネグリジェのえりに首を通しながらフェリシは、魂の抜かれたぬいぐるみの様に身動き一つしない俺にいぶかしむ視線を送ってくる。実際俺はまったく微動だにしていない訳では無く、黒いガラス玉の眼球だけを、たまたま見付けたストライクゾーンドンピシャの二次画像をスクショするかの様な満足感を乗せてフェリシアへと向けていた。


「異世界、悪くないな……」


「……なんだか油断してたけど、今度からはシュートの前で着替えるのはやめよう……」


「ボク、うさぎのぬいぐるみです!」


 ピョコンと両耳を立ててフェリシアを見上げる様に起き上がった俺は、蔑むフェリシアのジトッとした目付きにアピール。超アピール。俺、どこからどう見ても超かわいい愛玩物!中身はもうすぐ三十のオッサンじゃないよ!と。しかしそそくさとネグリジェを着込んでしまったフェリシアは、そんな俺の必死の努力もむなしく軽い溜め息を一つつくと、ガス式?のランプに火を灯して俺の脇に座る。


「ねぇ、シュート。さっき私が言った言葉の意味、わかってる?」


 ランプの火に照らされて薄ぼんやりと浮かび上がるフェリシアの横顔に、どこか遠くの景色を見ている様な浮世離れした儚さを感じた俺は、低俗な思考を一旦押さえてその長い睫毛の瞳を見入る。


「……何の事だか。俺にお前の下僕しもべにでもなれってことか?」


「うん。そんな酷い言い方じゃなかったと思うけど、意味は大体同じ。ちょっと私に力を貸して欲しいの」


「力?俺の?冗談、何をするかは知らないが、この体だぞ?そもそも俺は前世じゃしがないサラリーマンだった訳で」


「そんなことないよ。貴方は貴方の中に眠る途方もないモノを知らないだけ。……本当は今にでも確かめてみたいのだけれど、多分、絶対ジェラルドにはバレちゃうから……出来ないんだけどね」


「……さっきっから、俺がとんでもない力を秘めてる、って話しみたいだが、そりゃお前の検討違いってやつだ。見ろ、この柔らかい腹を」


 フニフニと、俺は綿の詰まった腹を右手で凹ませてやる。この体には当たり前だが骨格は無く、有るのは薄い一枚の布とふわふわの綿のみ。何となく張るような強度を感じる手足の強ばりが唯一、この体を支えているようだがそれがなんなのかはわからない。


「俺は単なるうさぎのぬいぐるみでしかない。……もう何となくわかってるんだ。この異世界の地で、俺は愛玩物として人の手を転々として……最後は燃えるゴミの日に生ゴミまみれになって人生を終える。いや、ぬいぐる生と言うべきか。一度死んだ身だ、こうして意思を持って動けるだけで儲けもんだよ」


 ガックリと肩を落として項垂れる俺は、溜め息をついたつもりだったのだが、実際そのかわいらしい口元からは息はまったく漏れなかった。少し意識を回してみればわかるが、そもそも俺は呼吸をしていない。しなくても息苦しくないのだ。そりゃそうだ。俺は『物』なのだから。


「ずいぶん自己否定の強い人なんだね、シュートさん」


「そりゃそうだろ、見知らぬ世界で、ぬいぐるみになんかになってたら、誰でもそうなるだろうが」


「ん~~そりゃそうか。でも、私はそんなシュートの持ってる可能性を知ってる。だから、私に力を貸して欲しいの。少し、一回だけの良いの。でないと私……」


 そう言ってうつむき加減なフェリシアは、表情に影を落とす。その憔悴しきった顔は、前世の会社で残業にまみれた女性社員の、パソコンに照らされたものに似ていた。時間内に出来なかった業務を、自分プライベートを削って完遂する。フェリシアの表情はまさにそれだ。彼女は自分を削って今まさに俺の存在を求めている。俺は、彼女フェリシアにとって目の前に現れた希望同僚なのだ。俺に、見てみぬふりが出来るだろうか。


「……断りずらい雰囲気を作るなよ。こっちはまだこの世界にも慣れてないんだ。その大前提を知る時間をまず放棄した上で、言ってやるよ」


 俺は、長く日本社会の上下関係に浸り過ぎたのかもしれない。十年近い歳月を会社の狭い人間関係の中で過ごしてきた俺は、テンプレートの様に部下が、後輩が、仕事の路頭に迷った時、手を差し伸べる事を魂に染み浸けてしまっていた。この場合は少し意味は違うのかもしれないが、俺の社会人スイッチを入れてしまったフェリシアは、案外日本社会でも上手くやっていけるんじゃないか。そう思わされた。困り果てる右も左もわからない、そんなにかけるの言葉はたった一つ。それは、



「何があった?俺に言ってみろ」



 部下に問題が発生した時、それを経験と知識で格好良く解決しようとざわめき立つ、ちんけな平サラリーマンの先輩風だった。



────────────────────



 ──そこは、中央の噴水から流れ出る清流が四方縦横無尽に細長い水路を形作る、色とりどりの花々が咲き乱れる花園。黄昏色の斜陽が所々に影を落とし、寂寥感と寂寞が徐々に顔を出し始めている。


「……お姉様!」


 そんなもうすぐ店じまい、とでも言いたげな草木の主張を遮る様に一人の少女が噴水に腰掛ける純白の女性に駆け寄って行った。


「あらあらステラ。その顔は上手くいったっていう顔ね」


「はい!今度のは喋れるし、動ける、それも意識の混濁が無くて……!」


「あら!本当に?貴女なら出来ると思っていたけれど、おめでとう。ステラ」


「いえっ、でもっ、まだ魔力の利用までは試していないので……」


「それが出来た出来ないにしても、意思を持った魔導具を作成しただけでも、功績賞モノよ。これでわざわざ『査定』に出なくても良くなったわね、ステラ」


「そっそれは、……まぁ、はい」


 言葉尻を濁して目を明後日の方へ一瞬泳がせた桜色の髪の少女ステラに、柔らかで、それでいて凛とした清涼さを兼ね備えた女性がニコニコと外連味けれんみの無い笑顔を向けながら、その眠っているかの様な細い細い双眸をわかるかわからないかくらいの微妙な隙間を開けてステラに視線を送る。


 女性は純白の汚れ一つ無いドレスにも見紛みまがう、薄生地のローブを身に纏い、その純白の髪色を悠々と腰の方までさらりと流している。その妙齢の女性とも、熟女とも言えない一種次元の違う秀麗な顔付きからは、歳の頃を断定出来ない雰囲気を醸し出していた。


「……異界人とはいえ、人の魂を利用した魔導具が、認められるでしょうか。人道に反しているのは百も承知です」


「まぁ。貴女の今までの話しからすると、死んでしまった人間をもう一度生き返らせたとも言えるこじつけもにもできるわ。善し悪しは転生させられた当人の意見が尊重されるんじゃなくて?……ここまでは私からの意見。そうね、大方おおかた、王宮の魔導士達、特にあの頭の堅いろくでなしは絶対に認め無いでしょうね」


「ですよねーー……」


「だから、変えてしまうの」


 薄っすらと開けた瞼の奥、毒々しい赤を湛えた眼球をステラに動かした純白の女性は、訝しむ様なステラの次の句を待つ惚けた表情に、人道の全てをぶち壊す様な、狂気を入り混ぜた声音で口を開いた。


「転生者の人格を、貴女のしもべと変えてしまえば良い。『洗脳』では物足りないと思うから、四重魔法、『糸繰人形』辺りで縛り付けるのはどうかしら?」


「……なるほど。それは間違いないですお姉様。でも……」


「でもじゃない。昔から言ってるでしょう?物事に選択肢は二つしか無いと。あれこれ模索するよりも、やるか、やらないかしか無いと。……ステラ、私の言っている事、わかるかしら?」


「は、はい。エルヴィラお姉様」


 その低めの声色にビクリと肩を震わせ俯いたステラは、目の前の穢れ無き純白の透明さに恐る恐るゆっくりと顔を上げる。


「よろしい。貴女はとっても賢くて、可愛くて、妹の、いえ娘の様に思っているのよ。──百年も、ずっと」


「……はい。エルヴィラお姉様は、私の最も尊敬する、誰よりも偉大な私のお姉様です。今までも、──これからも」


「おいで、ステラ」



 広げた両腕に吸い込まれる様に抱かれた桜色の髪の少女は、エルヴィラと呼ばれた純白の女性の胸の中で一瞬強ばった顔付きを見せたが、即座に安堵しきった表情に変え、なされるがままにエルヴィラの体温に包まれた。


「私の可愛いステラ・サーシャ……」



 ──抱き締められたステラは、自分の体温が急激に落ちていくのを感じていた。


 

 純白の女性エルヴィラには、およそ体温と呼ばれるものが、まったく無かったのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る