9話 屍喰らう異形の棲家

 途中の壁には、各国の軍隊がつけたと思しきメモが残されていた。

 当然英語がほとんどだ。破壊されていたり、文章が途中で途切れているものもある。そのうちのいくつか――特に道順に関するものは、いまでもちゃんと役に立ってくれた。中には家族への愛を綴るものもあったが、その下には骨ひとつ残されていなかった。

 古びた地下アーケードの通りは、ほとんど破壊されていた。中にあったと思しき商品は、略奪と暴虐の限りを尽くされている。


 通路を進むと、今度は煌びやかなドームに続いていた。アーケードの中央広場だろう。天井からは現役時代に付けられていたとおぼしき某かの宣伝幕が垂れ下がっている。片方はびりびりに破かれ、もう片方も劣化して汚れきっていた。床は破壊と汚れの影響で元の模様がわからない。真ん中には噴水のようなものがあるが、水は出ていない。


「ホントに、そのまま沈んだみたいね……」


 足を踏み入れようとした深月がぴくっと止まった。

 噴水の近くで、べちゃべちゃと何かの音がする。


 ロマンが先に足を踏み入れ、そこで蠢くものを見つめた。


「餓鬼?」

「いや……」


 地上によく出てくるようなのと違うのは確かだ。

 皮と骨しかない身体という意味では餓鬼に似ていたが、手足が異様に細長く、禿げていて、顔には口しかなかった。目のあるはずの部分は膜で覆われていて、鼻も突起があるだけで穴は開いていなかった。耳も小さな穴があるきりで、頭はのっぺりとした印象を受ける。

 そいつらが三匹、転がった死体に群がっていたのだ。

 一匹がずるりと心臓を引っ張り出し、喜ぶように笑った。他の二匹が喰らっていた臓物を落とし、たちまちに奪い合いが始まった。


「ひゃひゃ、ひゃっ」


 最初の一匹がピタピタと足音を立てながら下がると、先に心臓に食らいついた。ぷしゃっと小さな血しぶきをあげて、ぷりぷりとした赤黒い塊が口の中に消えていく。そいつを奪おうと、二匹がじりじりと迫る。

 だが、そいつらが不意に振り返った。その後ろでごくりと心臓が呑み込まれていく。しかしもう知ったことではなかった。

 耳や目がないにもかかわらず、異形たちは二人を見つけたようだった。猿のように四つ足で歩き、ひたひたと二人の方向にのったりと顔を向けた。

 深月は何も言わずに後ろへ下がり、ロマンは逆に一歩前に出た。


「おおおおぉぉっ!」


 声とともに、貪っていた死体から離れて、新鮮なエサへと標的を改める。

 三匹ともほとんど体つきは人間にそっくりだったが、どれも獣のように四つ足で近づいてきた。長い腕を曲げて歩いてくる様は蜘蛛にも似ている。だが速さは人間のそれではない。

 ロマンは自分のほうに引きつけるように、壁際へと走った。

 黒刃は抜かず、転がりざまに破壊された壁から突き出ていた鉄パイプを手に取る。ガキンと音を立てて折ってやると、四つ足で迫ってきた異形めがけて振りかぶった。


「ぶぎゃお」


 折れた鉄パイプは顔を潰しながら頭蓋骨に分け入り、脳味噌をかき混ぜながら向こう側に貫通した。そのまま勢いに任せて地面へと固定してやる。これで一匹目。

 振り返りざまに襲いかかってきた四つ足の頭をひっつかみ、もう一匹の頭を勢いよく蹴りつけた。頬を歪ませながら、向こうのほうへ飛んでいく。

 頭をひっつかんだほうは唾液を撒き散らしながら噛みつこうとしてきたが、ロマンは無表情に見返した。掴んだ頭の後頭部を、近くの壁へと叩きつけてやる。


「ぎょおっ」


 一瞬身体が弛緩したものの、腕がロマンを掴もうとしてきた。その腕をひっつかむ。肩のところに力を入れると、骨を勢いよくへし折ってやった。


「ぎゃおおォォっ!」


 その腕を、ぶぢぶぢと音を立てながら引き千切る。ちょうど折ったところから骨が露出し、肉を突き破ってきた。

 ちぎった腕を放り投げる。腕はその場で大きくバタバタと蠢いてから、次第に動かなくなった。目もくれずに、残った身体を今度は先程の鉄パイプへと叩き込んだ。人形のように振り回された下半身を掴んで、ぐっと押し込む。血しぶきがあがり、鉄パイプの先端が肉を突き破ってあらわれた。ついでに内蔵も少し引っかかっている。醜く細い足がばたばたと逃れようともがいた。

 これで二匹目だ。


「ロマン!」


 深月の声はおそらく、さきほど蹴り飛ばした三匹目への警戒だろう。声の必要は無かった。ロマンはゆらりと後ろを向くと、腹に向けて飛びかかってきた四つ足の口の中へ靴の踵を突っ込んだ。がりがりと牙が固い靴底に当たっている。無駄なあがきだ。ロマンは押し返すように体重を移動させ、上顎ごと頭を踏み潰した。


「ごびゅっ」


 脳味噌を潰してやったからか、しばらくびくびくと筋肉が痙攣していたが、やがて動かなくなった。靴先を足から抜くと、だらりと手足が垂れた。その足を掴む。先程の鉄パイプに腹から突き刺してやる。

 これで三匹。

 全員殺した。


 広がっていく血だまりが、もがく手足によって醜くかき混ぜられている。

 ひとまず脅威が無くなったことを確認すると、そろそろと深月が物陰から出てきた。足早にロマンのほうへと近寄ってくる。


「……うええ」


 鉄パイプに突き刺さっている不気味な団子を見ると、顔を顰めて小さく声をあげた。つくづくどうやって生きてきたのか不思議だ。おそらくは『太陽の子』のおかげだろうが、いつから生贄として保護されていたのかは謎である。


「どうせそのうち泥になる」

「そりゃそうだけど……」


 生命力を失った異形は、他の異形の餌となるか、しばらくするとその場でどろどろに腐って泥のようになっていく。海を覆った汚泥と同じものだ。

 それから先程まで四つ足の異形が食い散らかしていたものに目をやる。行儀というものがまるでなっておらず、引き千切られた腹の中身はことごとく破られ、食い散らかされていた。先程まで生きていたようだ。確実に人間だったが、どこからやってきたのかまでは不明だ。


「……もう、さっさと行きましょ。正直気分がいいものじゃないし」

「そうか」


 そう答えるしかなかった。

 周囲を見回すと、奥へ進む道が一つと、左側のそれぞれの角に上に向かって伸びている階段が二つあった。現役だった頃は地上に通じていたのだろう。深月が何段か上がって上を見たが、歪んだシャッターがこじ開けられているきりで、地上に通じているわけではないようだった。

 あたりを見てみると、矢印がひとつ、奥へ向かう道に向かって描かれている。二人は顔を見合わせた。

 どちらにせよ奥へ向かうしかなさそうだった。

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