姉と俺

姉と俺



 俺は、いつか姉に殺されると思っている。

 それはほんの幼少期から植え付けられ、そしてもうとっくのいつかに成人して、それぞれの道に進んで、別の家で生活しててもそう思うのだ。


 姉とは、そこそこ年齢が離れている。

 べつに血が繋がっていないわけでもなく、腹違いとかそういう特殊なことではなく、間にほかに兄弟がいるわけでもなく、単に両親が若いときの子が姉で、少し落ち着いてきてからの弟が俺だ。

 数字としては八歳異なる。俺が産まれたときにはもう姉は小学生だった。


 家族全体の仲は、まぁ特別悪いとは言わない。でもべったりとしてるわけでもなく。

 お金に苦労していたかと言われると、節約してその分年に一回くらいは旅行といっていいくらいのものには連れてってくれていたというところだろうか。

 おもちゃも、同級生たちに引け目はとらないくらいに買い与えられていたし、それは姉もであった。

 父が就職して一年たつかどうかで産まれた姉であったが、両親ともに子供がはやく欲しかったし。それ前提で昔から付き合ってた。高校、大学と随分アルバイトをして貯金していてくれていたようだし、祖父母の力を借りなくても、過不足ない程度には暮らせる程度だった。

 そのわりに俺ら姉弟にべったりしない両親。たぶんその辺は本人らの生い立ちやバイト経験によるものらしい。そこの理由は割愛する、流石に。

 そんな両親にたいして、祖父母はあまり良いとは思ってなかったらしく。今では向こうも俺ら姉弟には優しいが、そういえば昔はお年玉とかももらったことなかったなぁと思わなくもない。

 まぁでもその辺のことは、この話の主ではない。流してくれ。


 そんな環境で育った俺ももう成人式を終え、この年齢より前に両親は結婚してたんだっけと思う。

 現状俺にはありがたいことに彼女はいて、まぁ仲良くやってはいるけど、彼女と結婚するとかしないとか、子供がどうかとは考える気にはなれない。

 子供が嫌いなわけではない。

 子供という定義に罪はない。

 でもあれは。

 あれは。


――眼前に突き付けられた水鉄砲の銃口のビジョンが、もう十数年経っても抜けないんだよ、姉貴。

 それを口に出したことは、ないけれど。


 漠然と覚えてるのは夏の暑い時期で、俺は他の近所の子達と水遊びをしていた。

 エアーで膨らませるビニールプールに、大小用意された水鉄砲。なんか象だかのかたちをしたじょうろ。あとなんかまだごちゃごちゃあった気がするけど覚えていない。

 幼稚園前後程度の年齢の近所の子供たちが、親も含めちょっと庭の大きい家に招待されて遊ぶだけ。親たちは適度に見守りながら、日陰でお茶をしていたらしい。

 囲われている庭じゃなく、細道ではあるが道に面しているようなそんなところで。

 セーラー服姿の姉がいつの間にか俺の前にいて。

 幼稚園にもならない俺の、右側の眼球に向けて銃を構えていた。


「――やめなさい!」


 母の声がして、俺の視界は塞がれたのに、俺の目には焼き付いていた。

 太陽を背にして逆光で、それでもわかる無表情のあの、姉の姿。

 銃といっても勿論この環境下に転がっていただろう水鉄砲のひとつであろう。そこに水が入っていたかは記憶にない。

 でももしあれに実際水が入っていて、そのトリガーが引かれていたら。

 当時の俺は小さすぎて、この光景が理解できてはいなかった。だが、命の危機は感じていた。

 初めて、立っている状態で粗相をしたことも含めて覚えている。


 姉は俺に暴力をふるったことはない。あれを暴力と数えるならその一回だけだ。

 皮肉めいたことを言われたりなり、日常の言い合いなどはあったが、それだけ。

 優しくもないが、いじわるというわけではない。


 でも俺が、あの日のそれ以来、姉の機嫌を損ねないために無意識に立ちふるまっていたようにも思える。

 大事の喧嘩にはとにかくならないようにしていた。

 そして両親もとくに、俺らにそんなに仲良くするようにとは言わなくなった。


 本当に撃たれていたところで、失明なりしていたかどうかなんて考えたところで結果は出ない。

 あの時に母がとめなかったら姉がどうしていたか、それもこの年齢になっても訊けずにいた。

 でも、俺はこれをずっとしこりに生きるのか? 

 そう思ったら色んな感情が渦巻いて、部屋着に上着を羽織った程度で外に出ていた。


「お出かけ?」

「うん」

「気をつけてね」

「ああ」

 

 いつも思う。いったい何に気をつけるんだろうか。

 そんなことを浮かべながら、実質二十年以上ぶりの場所にいるあの人に会いに行く。

 でも俺はその場所にふさわしい顔を、しているだろか。


「……」

「……」


 母から連絡は貰っていた。でも母は今不在だった。そりゃあいつでも付き添ってられるほど、あの人もヒマじゃ無い。


「……」

「……昔の父さんに似すぎて、恐怖を覚えたわ」

「ホラーにするなよ」

「病院は多いわよ」

「妊婦が産科で言う話じゃないだろ……」

「でも、ホラーに繋げたアンタのほうが悪いわ。タイムスリップファンタジーで、デロリアン案件かもしれないわよ」

「あれって過去にいくんじゃ」

「そうだったかしら」


 ベッドに腰をかけて外を見ていた姉は、いつ以来かのすっぴんで、俺の見た覚えが無い体つきになっていた。

 過去の、あの日の姿が強烈に焼き付きすぎて。歳月の経過で変わっていく姉が更に別人な心地になっていく。


「……旦那は?」

「仕事よ」

「ふぅん」

「興味ないのに、訊くようになったのね」

「興味より、事実確認だ」


 姉の結婚式には、行っていない。

 そもそも、招待もされていない。

 でも向こうが気にして会いに来たのは、もう二年も前の話だっけ。


「逃げられない私に、何か用なの」

「……」

「殺しにでもいらしたの?」

「そういうところが気にくわない」

「弟に気に入られようと思ったことなんて、一度も無いわ」

「……っ」


 今の言葉は、おそらく本気の言葉だった。その前の言葉は、からかいと冗談で形成されていたのに。

 本当に、本当に何なんだ。

 俺は、俺はこの人が絶対的に理解出来ない。

 

「……まぁ、あの時にそうだと思ったから、もう俺としても好かれようとかとも思ったことは無いし」

「いつの話?」

「……さぁな」


 被害者には鮮明な記憶も、加害者は何も覚えていないということはザラだ。

 こうなことも予想していたはずだ。

 だけど、すがすがしいほど俺に興味がない顔をしているから、もうそれ以上何も言う気が無くなった。

 染めて傷んだ髪をかきまわす。


「まぁ……せいぜい殺すなよ」

「殺したくはないわ。でも未来のことなんて、私に知るよしも無い」

「そうかよ」


 俺は溜息を吐いた。その時目を瞑っていた。

 俺は、瞬間気が付かなかった。

 手で作った銃の形。

 人差し指の銃口が、俺の額に突きつけられているのを。


「何なんだよ」

「何なのかしらね」


 煙なんて出るはずも無い人差し指の先を吐息で撫で、姉は少しだけ目を逸らした。


「貴方を殺してたら、私は貴方を産めたのかしら」

「は?」

「それだけ、私は貴方のことが可愛くて仕方が無かったの」

「意味わかんねぇ」

「分かられようと思ってないわ。でも、久々に会って、やっぱり愛しいわ」

「言うな、それ以上何も言うな」


 本当に子を宿しているからだろうか。その慈愛の含まれた表情に嫌悪がとまらない。

 脳天から冷や汗って出るんだな。

 心のとこかで冷静にそう思っている自分がいる。


「――今からでも、遅くないのかもしれないわね」


 すれ違う看護師に廊下を走るなと怒られた。

 転びそうに何度もなった。

 呼吸の仕方がよくわからないのに、どこ走っているのかも分からないのに、気が付いたらちゃんと家にたどり着けていて。

 ひどい顔色をしていた俺を、彼女は抱きしめてくれていて。

 気が抜けた俺は情けなくも涙を流してしまっていたというのに、あのとき銃口を見てしまった片目はもうそれすら枯れていて。

 あの時のもの以上にもう何かを、鮮明にうつしてくれることはもう、ない気がした。


 俺は、いつか姉に殺されると思っている。

 だからあの子が生まれる前に、俺は――。




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姉と俺 @kagari_kazari

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