たべられますか

たべられますか


 気が付いたときには僕は密室に居て、瞬間思ったのは「ああ、そういう」という、どこか人ごとめいた感想だった。


 デスゲーム、というものをご存じだろうか。

 どこで誰が巻き込まれるか分からなくて、意識が戻った時には謎の部屋に監禁されている。そして何かゲーム的なことをやらされて、誰かが死ぬまでという条件だったり、謎が解けないと全滅だったり、全員脱出だったり。

 近年はマンガの題材やゲーム、とくにネットで有志の作者が配信しているフリーゲームにこの類いが多いような気がするのは気のせいだろうか。

 昔というほどでもないが、有名な映画シリーズでもサイコスリラーとしてこのような状況を題材としたものが確立され、何度もその遺伝子を継いだ作品が公開され続けている、らしい。

 ……ホラー映画やなんやかんや、怖い映画は苦手なんだ。怖い物見たさで情報は多少こう知っているような感じだが、あくまで僕はそれを何も目撃していない。

 そのせいなのか、妙な冷静さが逆に僕の体温を下げた。


 名乗るほどでもないが、自己紹介をしよう。アラサーになる、一介の会社員の男、以上だ。

 自分で言うのも悲しくなるが、是といった特徴も地位も守る彼女も家庭もない。ここに来る前の記憶だって、朝の通勤ラッシュの満員電車で世界と会社を心で呪っていただけで、とくにそれ以外はほぼテンプレートな朝の支度をしてきた以外とくにない。勿論痴漢とか低俗な行為はしていないし、誰の足も踏んでいない……はずだ。

 朝着てきたスーツの格好はそのままに、そういえば荷物がない。現代必需品の携帯電話をはじめ、音楽プレーヤーも財布も、会社の資料も勿論カバンごと無い。

 一瞬産業スパイか? などとも考えなくもなかったが、尻側のポケットに保険として入れて置いたUSBはそのまま入っていて、完全に全部身ぐるみ剥がされてものの回収をされたわけでもないらしい。それにそもそも僕の持っているデータなんて平社員の持っているものだから大ニュースになるような、スパイが狙うような代物じゃない。

 でも同僚と取引先は困るだろう。そのための嫌がらせによる誘拐だろうか? それにしては手間がかかりすぎじゃないだろうか。嫌な話、怪我させるなりそれ以上をさせた方が早いだろ。 

 大柄ではないにしろ、成人の男をこの知らない空間に運んだわけだ。手間も時間も、下手すら金もかかる。

 不利益というか、採算が、などと考えてしまうところ、僕もいわゆる社会の畜生になってしまったのだろうか。


 手探りと目視でまずは自分の身の様子を確認する。

 前述した通り、荷物がない。そして最後の記憶の服装であるスーツはそのままだ。改めて身体中の装備品を探ってみたが、USBとポケットティッシュ(使用済みを含む)はそのまま残され、左腕にしてあった、腕時計は無くなっていた。

 怪我などもとくに見受けられず、固い床に居たからの痛みが少しあるくらいで暴力なりを震われた様子は全くといっていいほどに無い。

 それにとくに拘束具などもなく、監禁というよりおそらく軟禁というやつだ。立ち上がれるし、歩いても違和感はない。最低でも脚や腕を切り落とせなどということはなさそうだ。

 ――あくまで、向こうにその気が無ければの話だが。


 この部屋の中に放り込まれていたのは、僕一人じゃない。すぐに襲ってくるも話しかけてくるもなく、数メートル先の反対側の壁に寄りかかって腰を下ろしているだけなので、僕は自分の身自身の状況把握を優先していただけ。

 この部屋、窓も物も全く無かったが広さはあった。といっても、学生時代に過ごした教室とかとおそらく同等という程度。扉はあるが、向こうの男寄りの位置だからすぐに調べるのも抵抗がある。そもそも対話出来る相手かも分からないし、協力して情が湧くとまずいという可能性もある。

 次の一手を迷いながら、僕は相手と同じように、自分に近い壁に寄りかかり、腰をそのまま落とした。


 あまりじろじろ観察させてもらうのも気が引けるが、状況が状況、情報戦だ。何もしてこないうちにこっちも相手を少しでも把握したい。何せこっちのほうが目覚めるのが遅かった。向こうはたとえ数分、数秒であっても僕より有利になっている可能性が高いと踏んだ。

 向こうの人物はすべておそらく、に過ぎないが、自分より少し年上の男というふうに見られた。

 ガタイ、そして服装からして僕のような職というより、土建屋なりその類いだろう。金色の髪をしたその風貌は、こっちを睨んでいるわけでもないのに威圧感を放っているように思える。

 ――勝てない。

 常に上司、取引先、大家さんに。その他不特定多数に低い腰を更に落として謝罪してまわっている、この万年敗北男があの人に対して勝る物があるというのか。もしかしたらタイピングとかプログラムとかなら、とも考えるがこの場でそれが活かせる場面なんて100に近いパーセンテージあり得ないだろう。それにその挙げたものさえ特技とも言えるレベルに達していない。腕っ節も自信が無い万年文化部人生。

 もし死ぬなら自室のパソコンは何も言わずに廃棄してほしいし、遺品整理は先に親友に頼んで諸々処分してもらってからがいいいな。あと引き継ぎ資料を、なんて考えるところに俺の人生が虚しい。

 最後に食べたいものだって、近所のそば屋のカレーライスだ。それでも薄給の俺としたら、数百円のそれは割に贅沢で。

 ああ、そんなことを考えていると腹が減ってきた。

 腕時計も携帯電話も、その他時間がわかる機械が全部はぎ取られて時間の感覚が分からない。勿論壁に時計なんかも無い。

 今日がいつで、最後の記憶からどれだけの時間が経過したか一切分からない。

 最後の食事のことを考えるとまた腹の音が主張を強めて、脱出のことより空腹の思考が脳内を占めてくる。

 少しでも意識を逸らそうと、天井の簡素なライトを見ながら気を紛らわす。

 すると少し遠い場所から、コトッ。というような無機質な音が聞こえる。何だろうか。気にはなるが、少しでも消費カロリーを抑えたい僕は音の方面を向く気力がない。

 でもその音から少ししたあと、僕の脚に明確に何かが当たる感覚があった。流石の違和感に目線を向けると、それはよくホームの売店でもよく見る、ブロック型の総合栄養食の紙箱だった。未開封で、中の重さもちゃんとずしりと感じる。

 

 飛んできた方向からして、と顔を上げると、向かいに座る男は既に同じものの中身を囓っている。そして僕の視線に気が付くと、ただ一度ドアの方向を指した。


 推測に過ぎないが、おそらくあのドアからこれは放り込まれたのだろう。さっきの音はおそらくその音だ。 

 箱を念入りに確認するが、先ほども確認したように開封の形跡はない。同時に、何かを混入させたりするような穴なども見受けられない。

 でも分かったのは、この食料を放り込んだ存在、もしくは人じゃなかったとしても何かのシステムが作動し、おそらく僕らは誰かの監視下にある。カメラはすぐに目視出来ないけれど、どこかに仕込まれているんだろう。

 素直に口にしていいのかという疑問がありつつも、食料を確保出来た安心感からかまた思考がまわる。

 でもそんな僕に対してあの男は食べたあとのゴミをその辺に散らし、もう寝転がっていた。その様、休日にだらけながらテレビをながら見していると同レベル。

 危機感はあの男にはないのか? 

 それとも何かを知っているのか? 

 そして何故僕に食料を分けた?

 色んな考えが渦巻く僕は、溜息をつきながら諦めたように包装を解いて食料を囓る。

 冷静になったからか見えたのは、あの男が今まで背面にしていたところに、扉がもう一つあることだった。


          ○


「……」

「……」

 腹を少し満たし、半分はポケットに入れて残す。水分も欲しいところだが、まだ今は我慢出来る範囲だった。

 そう思ったからか単純に少し安心したのか眠るまではいかないんだろうが、少しうとうととしていたようだ。

 だってすぐ目の前に来ていたあの男の存在に、僕は一切気が付かなかったのだから。

「……な、なんですか」

 とにかくすぐにでも逃げられるようにと体勢を変えて構える。

 だがそれに対して、向かいあう男はボリボリと自らの頭を掻いて、小さく溜息をついただけだった。

「べつに。ただ、俺が投げたそれで死んだかと思っただけだ」

「殺すつもりだったのか!」

「は? 何のことだよ。てかお前ここからの脱出知らねぇか? 流石に戻らねぇと、親方に流石にぶん殴られそうだ」

 目の前に立たれると、体格差を改めて感じる。その腕で締められれば、僕くらい簡単に……と、嫌なことが頭を過ぎる。

 でもこの男はそこまで真剣にもことを考えていないらしく、一つ欠伸をしただけだった。

「ま、死んでねーならいいや。出られないのに死体があっても嫌だしな。とりあえず俺が背にしてたとこあるだろ、便所と手洗いだ。お前がやべー奴ならとも思って何となく塞いどいたけど、便所の前にずっと居るのも気持ち悪いし、その辺でクソされても嫌だし」

「水場があるのか」

「おー。お前が覚めるより先に見れるとこは全部見た。水も出るし、毒入ってたらそれこそ俺が死んでる」

 既にこの男は得体の知れないところの水を口に含んだのか。

 虚言で僕に飲ませようということも無い話ではないだろうが、それ以前に、この男が思ったより対話が可能ということに驚いていた。

「背にしていたのではないドアも調べたのか」

「あっちはびくともしねーよ。ただ、さっきの食い物はあれのとこにちっさいドアってかがあって、そっから投げ入れられたんだよ」

「そう……か」

 説明をされても、実際のことが気になって、自分としても二つの扉を調べる。

 確かにトイレのスペースは一つの個室にトイレと手洗い場があるだけだったし、もう一つの扉は、まるで独房のとでもいうかのように、小さな扉があるだけだった。

 嘘は、つかれていない。


「何か、ああしろこうしろと指定する紙とか、何か放送は聞いていないか?」

「ねーな」

「此処に連れてこられるような心当たりは」

「あ? あー……。喧嘩とかは散々したしなぁ。何お前、刑事?」

「ただの一般サラリーマンだ」

「だろうな」

 指で耳をほじくりながらそう言われる経験なんて、今後一度も経験しないだろう。

 生還すればの話だが。

「そもそも何だ、指定の何たらっていうのは」

「……こういうの、殺し合いみたいなものの題材だとよくあるんだよ。ゲームとか映画とかで」

「知らねぇなぁ。格闘とかのやつしかマンガだって読まねーのに」

「……だろうな」

「あ?」

「いえ、何でも」

 この感じ、デスゲームという言葉も、ジャンルも知らないのだろう。でもその方があのガタイでパニックなんか起こされなくて助かっているのかもしれない。

 本当に、僕らに対しての指定は何も見つけられず、また時間の経過の後に、食料が投げ込まれる音がした。


          ○


 犯人は、俺らを飼ってでもいるつもりなのだろうか。

 あれから何度か食事というには抵抗があるが、食料が入れられている。

 ただそのまま切られてもいない林檎。飾り気の何も無いパン。この前のような固形の栄養食。

 食には困らされていないけれど、以外は十二分に不足していた。

 そしてやはりどうにも違和感が拭いきれない。

 風呂にも入れず、ヒゲも剃れず。僕らは徐々に見窄らしくなっている。

 いったいあれから何日が経過したのだろう。昼も夜も何も分からない、何も出来ない。投げ込まれる食事と、時間だけがある環境のため、色んなことが頭を過ぎるが、実践する体力も気力もない。

 ああ、また今も音がした。

 よろよろと食料の投げ込まれた位置を確認すると、今までと傾向が違う物が入っていた。

「……カニ缶……?」

 予想外過ぎるものに、僕はつい声に出していた。

 しかもそれも一缶ではなく、何缶もある上にご丁寧にオープナーも箸も入っている。

 期限こそ近いものの、すぐに食べるには問題ない。

 でも何故に。

 そう思いながらも、僕は分けようと等分し、男の分を抱えていった。

「要らん」

「え」

 男は缶に見向きもしなかった。

「カニ、嫌いですか」

「嫌い、ではないけれど……」

「まぁ、これだけそのまま食べるっていうのも違和感ですよね」

 僕はそう言って缶を置いて離れ、自分の分を開ける。 

 実家時代、たまにお歳暮で見たかどうかのそれを、まさかこんな形でまた食べることになるとは。

 流石にこれだけ食べるのはと、残して置いた他の食料を織り交ぜつつ口に運ぶ。

「……」

 そしてあの男は、結局缶に手をつけていなかった。


          ○


 ことの起こりは突然だった。

 あのカニ缶の時からおそらく数日。あの缶の時以外はまたパンなりの食料が続いていたが、投げ込まれるものの量が突如減った。

 死にはしないが、成人男性二人には明らかに不足する量。

 そしてそれなのに、あの男はそれを食すことを拒んだ。

「お前が全部食え」

「和菓子、嫌いか?」

「……」

 男は一瞬何か言いかけたようだったが、唇を噛んで僕から距離を取る。

 僕の手に残されたのは、いくつかのまんじゅうだった。言い換えると、まんじゅうだけだった。

 古典落語に、「まんじゅうこわい」という作品がある。それは怖い怖い言ってもそれは言葉の遊びというかの騙しの技。あれは怖いと言いながらに、己の食べたいものを寄越すように誘導していたという話。

 ではさっきの態度は何だったのだろうか。

 もうすっかり与えられる食事に警戒の無くなった僕は、素直にそれを口に入る。

 そしてそれは最近のものの中で一番美味しかった。


「本当に食わないのか。今、これしかないぞ」

「……要らん」

「次いつ何が来るか分からないぞ」

「……」

 僕も痩せたとは思うが、元々そこまで肉付きの良い方では無い。

 でもこの目の前で横たわり壁を見るこの男の身体の縮小っぷりは、明らかだった。

 健康体の僕であったら、この状態のコイツとならそこそこ渡り合えるのでは、と思ってしまうほどに。

「僕もさぁ、独占してやれって思わなくもないけどさ。でも最初に分けてくれただろ、独り占め出来るのに」

 僕は一つだけ男の視界に入るようにそれを転がし、いつもの定位置に戻る。

 ここで餓死されても困るから。

 あの男は結局、そのまんじゅうも口にしていないようだった。そして次の食料はまだ来ない。

 僕はなんやかんや節約して食べているから数日とするなら余裕がある。だが、あの男は。

 トイレついでにその背中を見ると、丸くなって歯をカタつかせているように見えるが気のせいだろうか。

「食べないと体温を保てずに結局死ぬぞ」

 僕はそれだけ言い捨ててしばらくトイレに籠もった。

そして籠もったあと、僕が見たものは。 

 喉を押さえてもだえる男の姿だった。


          ○


 何が起きたか分からない。分かったのは、あの男がもだえ苦しんでいる様と、少しだけ囓られたあの菓子だった。

 毒でも入っていたか? でもそれなら僕の方が圧倒的に引き当てやすかったはずだ。

 それに何故この男は警戒していた? 

 多分僕が状況を把握するのに数秒とかかっていなかった。でも、どうしたらいいか分からず、反射的に己の首を掻きむしっていた手を外してやる。

 血が出るほどに爪を立てられたそこにたじろいだが、何がどうしたことか僕には理解出来ない。

 呼吸が荒いと同時に浅い。 

 水を飲ませてやりたいがコップも備え付けられていない。手で掬ったってたかがしれている。

 

 ……そうか、やっぱりここに僕らを連れてきた存在は、やっぱり僕らを殺すつもりだったんだ。

「なぁ! おい! 誰かいるんだろ! わかってんだろ! どういうことだよ!」

 どんどん目に生気がなくなってくる男の傍で僕は叫ぶ。

 食料の出てくる扉も叩いてみるが、扉は固く閉ざされ、何も反応がない。

 ……時間の問題だった。

「どういうことだ」

 ごくりと唾を飲み込み、僕は男が囓ったそれを手に取った。

 やはり色も何も、僕が今まで食べていたものと変わりない。

 

 おそらく、もうあの男は助からないだろう。

 少し考えてから、僕はあの男が囓ったの反対側を食べた。

 ……とくに何も変化はない。

 結局僕は残りの全部を胃に収めたが、この目の前の肉塊のように死ねなかった。

 もう、こいつのように死んだ方がきっと楽だった。


 悲しいというより、絶望に近い虚無というのか。心臓の停止を確認して一度手を合わせてやったが、僕はこいつの名前も何も知らない。

 そしてまたカタッと、扉に何かが入れられる音がする。

 正直、今更なんだという気持ちが先だ。でも、その入れられたものでここから出られるかもしれないし、僕を殺す何かがあるかもしれない。

 鉛のようとはこういうことかと思う身体を引きずり、投げ入れられたものを手に取る。

 また、あの携帯栄養食。

 だが今回は一枚、新聞の切り抜きが貼り付けられていた。

 ――いじめによる死亡事件か。○月某日、都内某所で――。

 僕は、そこに載る知り合いの名前に、箱を床に落とした。


 その亡くなった人物は、僕の小学校時代の同級生の女子生徒だった。簡単に言えば、好きな子だった。

 でも、彼女は食べることが出来ないものがとても多かった。

 アレルギーがひどかったのだ。

 給食も僕らと共に食べられるものなんてほとんどなく、彼女は彼女用のメニューを食べる日々。

 それでも彼女は笑っていた。そして僕はそのアレルギーというものを理解していなかった。

 だから、あんな風に苦しそうにする理由は分からなかったのだ。

 僕は善意だった。一緒にいつも食べられない彼女の笑顔が見たくて。でも、彼女は苦しそうな顔をして肌の色を変えるばかりで。 

 結論からすると、彼女はその場では助かった。入院と転校をすることにはなったけれど。


 そしてこの新聞記事。彼女の名前の下に書かれた年齢は二十歳を超えていて、大学生と表記されている。

 あのあと彼女は大学生にまでなった。だが、それ以降の人生は絶たれてしまっていた。

 サークル内でのトラブルで、と書かれているが、あまり大きな記事ではないためすべての把握は出来ない。

 そして僕がここに連れ込まれた理由、それは彼女に関してのそれなのか? そしてこの男は。

 気が付くと、あの扉に紙だけ新たに挟まれている。

 そしてそれは、僕とあの男のアレルギー検査の結果の紙。

 何でここにそんなものが? 

 そして僕のほうには突出した結果は書かれていなかったが、あの男のものは。

 重度の蕎麦アレルギーと甲殻類アレルギー。警告文を要約すると、気をつけなければ死ぬと書かれていた。

「……蕎麦か!」

 和菓子には、それが含まれているときがあると、確かあのときの彼女は言っていた。だから、この男はあれを食べるのを拒んでいたのか。

 そしてまたアレルギーのものを僕はまた勧め、食べるように促した。

 ……殺したのは、僕なのか? いや、いやいやいや……。


 頭が痛い。それは偏った栄養のせいでも、今の状況のためでもあるだろう。

 僕はあの子がサークル内で何があったかは分からない。そしてこの男は勉強というより職人だった。サークルの内部の人間というわけではなく、喧嘩どうこう言っていたからその類いの輩で、誰かとつながりがあったのかもしれない。

 もう、紙は入ってこなかった。食事は入れられたのかもしれないが、僕はただ大の字になって、天井を見た。

 あの子に兄妹はいたのかな。大学生のとき、彼氏はいたのかな。親友といえる存在もいたのかもしれない。

 でも彼女はもう何年も前にこの世からいない。そして、僕の罪から何年も経っていても、誰かから恨まれ続けていた。

 平凡なサラリーマンとして、僕は終えるつもりじゃなかったのか。正直、あの時のことなんて日々のそれに追われ、記憶の片隅にも残っていなかった。

 

 僕は目を閉じた。

 次に開けたとき、またこの天井なのか、誰かに保護されて施設の中なのか。はたまた、もう僕もここにはいないのか。

 意識せず、床に一筋の涙を零した。


            

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