5-5「奇妙な老人と多すぎる隠し事」

 滑志田霜太郎氏の書斎は立派なものだった。小さな窓に取り付けられた茶色いブラインドからかすかに光が漏れており、それを背に滑志田宗太郎氏が椅子に座っていた。両壁には大きな本棚があり、何やら難し気な本が所狭しと並んでいる。


 ノックをしてから返事を待ち、「どなたかね」という声がした後私たちの名前を答えると、「入りたまえ」とすんなり通してくれたのだった。


「何かご入用かな」


 厳格さは損なわず、しかし、一先ず遺産周りの了解が双方取れた安堵感からか、微かな笑みを見せていた。

 益子美紗が返事をする。


「実はいくつかお聞きしたいことがございまして……。私というより、彼がなんですが」

「弟さんがですか」

「はい。あ、まずは謝らないといけないことがございまして」


 益子美紗はここで霜太郎氏に、私たちが実の姉弟ではないことを明かした。霜太郎氏は、薄々そうじゃないかと考えてはいたらしいが、まさか本当だとは思っていなかったようで驚いていた。


「なるほど、これまでの経験で助けになるのではないか、と」

「私が無理に、彼らにお願いしたんです」

「ふむ。ええまあ、別に彼らが同席したところで遺産がお二人に渡るわけでもあるまいに。気にしてはおりませんよ」

「寛大なお言葉ありがとうございます」

「うむ。さて訊きたいことがあるそうだが、その前に私から、君に質問していいかね」


 そういって霜太郎氏は私の方を見て言った。


「君にとっては全く縁のない我々滑志田の人間と、少し面識があるとはいえ他人様の遺産相続の話について、どうして同行しようという気に?」

「遺産相続に関してはあまり興味ありませんでした。あったのは、どうして互いに知らない家同士が相続人になっていたかでしたので」

「ふぅむ。それでも君は無関係な立場であることに変わりはないのだが?」

「え。だって気になるじゃないですか。どうして滑志田さんの遺産相続に、無関係でありそうな瓢さんが入って来るのか。たとえそれが、非嫡出子で正当性があったとしても」


 私の「気になったから」という答えが意外だったのか、ご老体は目をぱちくりさせたあと大笑いした。


「ハッハッハッハ! そうかそうか、いやあ、構わない構わない。何事にも恐れない探究心は若さの特権だ。時にそれが首を絞めることはままあることだが……、今は気にせず進むがいい。八十を迎えようとする老いぼれからの助言だ」

「はあ、ありがとうございます……?」

「さて、私の話が長くなってしまったな。して、聞きたいこととは何かね」

「あ、ええ。聞きたいのは二つあるんですが、順番に。まず例の暗号についてなんですが……」


 そういって『きみがため 衛士のたく火の夜は燃え 置き惑はせる あふ坂の関』の暗号に解釈について霜太郎氏に説明した後、庭に隠せそうな場所がないかを訊ねた。


はざま弁護士の仰っていた通り、隠されている残りの遺産というのが、あくまでも滑志田文代さんの思い出の品々であれば、金銭的価値は見込めない。であれば、滑志田家と瓢家が協力して探し出した方が効率が良いと思っています」

「ふむ。隠し場所か。そうだな。ひとつ言うなら、母は隠せなかっただろう、ということだ」

「というと」

「晩年はもう足が動かんようになっててな。腕を動かしたり飯を食ったり、話をするのは問題なかったんだが移動は出来んかった。だからそれを晩年に本人が隠したとは思えん。勿論、足が悪くなるもっと前に隠していた可能性もあるが、父が生きていた間そんな妙な事をしていたら、酷く詰め寄っていただろう」

「というと隠したのは大旦那様が亡くなられた後で、その頃にはもう?」

「全く歩けないってわけではなかったが、頻繁に立ったり座ったり、警戒にそんなことは出来んかったはずだ。よく手紙を出しに外出することがあったから散歩程度ならともかく、物を隠した、というのならなおさら難しかったろう」


 実のご子息である霜太郎氏が言うのだから間違いはないだろう。そして霜太郎氏は続けて言った。


「一人、隠せる人がおるとしたら、父が亡くなった後に頻繁に来るようになった男だろうな」

「!」

「実は私の父も母も、自分たちの若い頃の話をしたことがなかったから、交友関係などは全く分からんのだが、父が亡くなってから、母の友人と名乗る男が、そう、つい十年ほど前までよく来ていたんだ。ぱったりと来なくなってしまったんだが、歳は母と同じくらいだったし、大方十年ほど前に亡くなってしまったんではないかな」

「隠せるとしたら、その人」

「友人の頼みでどこかに隠すのを了承した、という可能性は、ある」

「あ、あの、もしかしたらそれ……」


 そう言いかけたところで、コンコンコンと三度ノックした後、一人の女性が入ってきた。滑志田師世だった。


「あら……。瓢様方がいらっしゃってたのね」

「ああ構わんよ師世。茶か」

「ええ。気を利かせて皆様の分も淹れてくればよかったわね」

「ああいえ、お気遣いだけでもありがたいです」と益子美紗。

「そうだ、師世、少し彼女たちと話をしてておくれ。ちょっとな、思い出したことがあるから物置から取って来る」

「それなら私が行きますが……」

「いい、いい。それじゃあ父みたいじゃないか。それじゃあ大変申し訳ないが、少しだけ席を外させてもらうよ。なに、すぐ戻って来る」


 そう言って霜太郎氏は淹れたてのお茶をぐいっと一気に飲み干すと、書斎を後にした。


「……改めまして、霜太郎の妻、師世でございます」

「ああ、どうも……瓢やよいです、改めまして」


 二人があいさつを交わした後、香織が横から問いかけてきた。


「あのーおばあちゃん。さっきの『父みたい』っていうのはどういうことなんですか?」

「亡くなられた、義父ちちの葉平様のことですね。それがなにか」

「いえ、さっきおじいちゃん、自分の両親は若い頃の話を全くしなかったって言ってて、なんかひかっかるんですけど、なにがひかかってるのか自分でも分かってなくて……。全然まとまってないですけれど、何か意味あるのかなーとか」


 一理ある。というのも、遺産を残した滑志田文代の経歴が一切不明だし、『思い出の品々』という曖昧で不明瞭な物品を遺していることも気になる。とすればその『思い出の品々』が、滑志田文代の人生を物語る大事なものなのではないだろうか。


 しばしの沈黙の後。正確には何かを思考してから、滑志田師世は口を開いた。


「義父の葉平様は、霜太郎さん以上に厳格な方でございました。不徳に反することを嫌い、常に頭に血が上っているような方でした」


 何やら恨めしそうな物言いだが、霜太郎氏の器の大きさは、自分の父親を反面教師にした結果ではないかと思えてきた。


「すでにお聞きになったかもしれませんが、義父も義母も自身について深く話すことはございませんでした。なので、お嬢さんが引っかかっているものがあるというのは、『思い出の品々』を遺したとするにしては肝心の、当時の思い出話が伝聞されていないからだと思います」


 なんて聡い人なのだと思った。その通りだ。思い出の品々を遺しているのに、思い出話を聞いた人間が誰一人いないのである。

 そしてまた、香織の着眼点にも驚いた。私は『何故滑志田家の遺産相続人に瓢家が入っていたか』に気を取られてしまい、『何故滑志田文代は思い出の品だけを残し、思い出話をしなかったか』に気付かなかった。完全な第三射視点だからこそ出た違和感だったに違いない。悔しいが、着いてきてくれていてよかった。


「ああ! それですおばあちゃん! 思い出話でも遺せばいいのに、どうして物だけで遺したのかなーって」

「関係あるかはございませんが、まだ私たちも若かった頃、この家には葉平様のお知り合いも良く訪ねていらっしゃっていましたが、その度に『おにいさん』と呼んでいたのを記憶しております」

「おにいさん?」

「はい。兄弟がいたという話も聞きませんので、兄のように慕われていたから、とは思ってはおりますが、何分その人数が多いので……」


 そうしていると、先ほど離席した滑志田霜太郎氏が、なにやら大荷物を持って戻ってきた。どうやら剣道具のようだった。それも二つある。


「やあ待たせて済まない。母の頼みで捨てずにいたのを思い出したんだ」

「剣道具ですか?」

「ああ。重要なのは防具そのものではなくて、この垂れネームよ」


 垂れネーム。今では単に名札、あるいは垂れゼッケンなどと言うこともあるようだが、これがかなり意外なものだった。


「一つは父の……滑志田葉平の『滑志田葉』が縫われているんだがね。このもう一つに『滑志田長』とあるんだ。我々の親戚に『長』から始まる名前の人はおらんかったはずなんだが、例えばこの人が瓢さんと関係がある可能性があるんじゃないかと思い出したんだ」


 『長』。これが瓢長介さんのことを表しているのだとしたら。

 あとは、核心に迫るなにかがあれば。私たちは霜太郎夫妻に礼をし、再び『思い出の品々』探しを始めたのだった。

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