4-10「誘い」

 夕方を過ぎて事情聴取が終わり、一応の健康診断を香織は受けた。診断結果は良好。暴行の痕も見当たらず、異常なしとのことだった。私は一安心した。


「あーあ、遂に初めて講義サボっちまったな」そう友久が呟いた。

「そうだな」と私は返す。


 午前だけの講義だけだったとはいえ、そんな冗談が言えたのは、香織が無事だったからに他ならない。一月も一週間が過ぎた今日、辺りがすっかり暗くなった警察署の前で、他愛のない雑談ができるほど、私たちの肩は抜けていた。


「さて、もうかなり暗くなっているし、私が家まで送ろう」この警察署まで全員を運んでくれた白のレガシィをバックに、益子美紗が微笑みながら言う。


「あー、じゃああたしと柴乃は大学の正門までお願いしていいですか。チャリ停めてるし、柴乃とは同じアパート住まいなんで、そこからなら二人で帰れます」

「え、いやいや鳴瀬センパイ! 女の子二人で夜道は危ないっすよ!! だったら、オトコ代表で俺がついていくっす!」

「……まあ、安達コイツは変な気起こすような奴じゃないしいいか……」


 十数分後、鳴瀬小夜子、犬養柴乃、そして安達友久の三人は、東正大学の正門前で降車した。まだ正門は開いており、今からならギリギリ自転車を取りに行くことが出来そうであった。


 鳴瀬と友久が先に駐輪場へ向かった。犬養柴乃は一人そこへ止まり、車内に残っていた私たち……特に香織に対して声を掛けた。


「……今日は、本当に大変だったね」

「柴乃さん……」香織が呟いた。

「香織ちゃん。今日は帰ったら、ゆっくりお風呂に浸かって、ゆっくり寝てね。無事でよかった」

「うん……うん、ありがとう柴乃さん」

「お礼なら小春くんたちに言って? 私は……たまたまおばあちゃんが滑志田さんと知り合いだっただけだから……。場所を見つけられたのはみんなのおかげ」

「でも、ずっと電話繋げててくれて、安心しました」


 香織にそう言われて、優しく柴乃は微笑んだ。そうしているうちに二人が自転車を引っ張りながら正門に戻ってきた。「おまたせ」と鳴瀬が言うと、柴乃は「それじゃあまたね」と小さく手を振った。香織も小さく手を振り返した。



 後部座席にて香織は、今日の疲れからかまだ午後七時を迎えていないのにぐっすりと眠ってしまった。余程の緊張感から解放されたからだろう。


 助手席に座った私は、無言のまま帰路につく。益子美紗……もとい瓢やよいが、何故見ず知らずの家の遺産相続人に選ばれているのか。それ自体は確かに疑問であり、興味は個人的にある。しかし、遺産相続という極めて繊細な内容ゆえに、第三射が踏み込むのは野暮だろうと考えていた。


 しかし、その道中益子美紗は意外な提案をした。


「なあ四谷くん、君、明日の遺産相続の場に出ないかい?」

「……は?」

「明日、私は滑志田家の邸宅に顔を出す。何故私が……いや、正確には何故の祖母が遺産相続人になっているのか。これは私の家系としても知っておきたい」

「それは分かりますけど、どうして私を?」

「ん? 興味ないかい?」

「え、いや……。無いと言ったらウソになりますけど……」

「かなり前に、君は私の性質によく似てると話したことがあったね」

「あー、不法投棄の時ですね」

「君はあの時こう言った。『不法投棄された理由が知りたかっただけで、その先はあの家族の問題』だと」

「えーっと、言いましたっけ? よく覚えてますね……」


 赤信号で止まった時、助手席に座る私の方を益子美紗は、香織の救出に駆け付けた際に見せた、あの力強く美的な表情の顔を向けた。


「これは、私から君への、いわば依頼だ。この謎に君も立ち会ってほしい。真実が明らかになった後、その先は私たちの問題だ。だから、そこまで君に協力してほしい」

「協力……ですか?」

「結局のところ、数か月に及ぶ調査でも理由ははっきりわからなかった。だから私は、その理由を知るために滑志田邸へ行かなければならない。だが場所は完全なアウェー……。まさか滑志田家の人間が協力的になってその理由を追究してくれるとは思わないだろう?」

「ま、まあこんな騒ぎを起こすくらいですし」

「だから、アウェーなりに私も協力者が欲しい。そして私は君を適任者だと考えた。もちろん……、当日はもう明日に迫っている。急な話だということは承知しているし、難しければ断ってもらって構わない」


 信号が青に変わり、再び三人を乗せたレガシィは発進する。


 私はひそかに、益子美紗の眉間が下がっているのを見逃さなかった。益子美紗なりに不安を抱えているのではないか。そう感ぜざるを得なかった。


 あの公園前に着いたのは、午後七時半を迎えようかとしている頃だった。


「香織ちゃん、到着したよ。さあ起きて」

「ん……おはよ……」


 寝起きの香織は、座席にもたれかかっていたにも拘らずやや髪の毛が乱れていた。寝惚け眼をこすりながらリアドアを開ける。私も同様、シートベルトを外してフロントドアを開けた。


「それで、どうだい?」


 話を一切知らない香織は、益子美紗のその問いかけにキョトンとしていた。益子美紗の表情は真剣そのものであった。


 振り返ってみて、益子美紗の協力があって解けた謎もあったような気がする。恩返し……ではないが、無碍に断るのもどうなのだろうか。なにより益子美紗は、『依頼』と、そう言ってきたのだ。


 私は一言だけ返事を出した。


「行きましょう」

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