最終章 エトワール・プティ

#5-1

 いつも通りの上機嫌に、すこしだけ緊張をにじませた面持ちでサフラン家にやってきたノワールは、家からでてきたオペラに向かって、「結婚しよう、オペラ」と持ってきた白い花を手渡した。

 ノワールは微笑みながら、オペラの様子を伺っていて、オペラはといえば、そんなノワールの目をじっと見つめてから、稍々間を置いて、寂しそうに笑った――「わかったわ、ノワール」

「最後に、私とデートして頂戴」

「最後に」という言葉と、ノワールの手を取ったオペラの冷たい指先が気になったけれど、ノワールはあっさりとしているが一世一代のつもりだったプロポーズをオペラが受けてくれたことに気を取られて、「婚前最後のデート」という意味だろう、と勝手に結論づけてしまったのだった。

 ノワールは、「婚前最後のデート」の場所に、ドレスコードがあるような場所での食事を選んだ。

 いままで庶民的なデートばかりだったから、一等良いものにしようという気遣いではあったが、ノワールはすこしだけ「こういう場所は大丈夫だろうか」と心配している気持ちや、オペラの出方を見てみたいという婚前の大切な確認の意味もあったのだ。

 だが、オペラのほうも、さすが番付にはいる資産を持つサフラン家の娘であった。かしこまった席も慣れたもので、食事中やもろもろの作法を完璧にやり遂げたオペラに、ノワールはますます「やっぱりこの子は、俺の奥さんに相応しい」と心から満足していたのだが、「じゃあ、あんまり遅くなるとお義兄さんが心配するから、家まで送るよ、オペラ」とノワールが言った時、オペラが体を固くしたのだ。

 一抹の不安を覚えても、まだなおノワールは自分の考え過ぎだろう、とオペラの頬に手を添えた。しかし、途端、オペラはぼろっと大粒の涙をこぼしたのだった。「えっ、オペラ!?」

 ぼろぼろと次から次に落ちる涙を拭って、オペラは下手くそな、歪んだ笑顔を見せる。「お嬢さん、どうかしたの?」と慌てているノワールに、オペラは小さな声で、「ごめんなさい、ノワール」

「やっぱり私、ノワールとはこのままでいたいわ」

 オペラの言葉に、ノワールは天国から地獄に突き落とされたのだった。

◆◆


 妹が落ち込んで帰ってきたことについて尋問していたはずなのに、実はものすごく面白いことが起きていたんだな、とブルーノ=サフランは腹を抱えて笑っていた。

 目の前で背中を丸めて落ち込んでいるノワールがじろりとブルーノを睨んだのを境に、「まあ、仕方ないな、それは」とやっとこの兄も真面目にノワールに取り合う。「なにが仕方ないって」とノワールが言い返したことに、ブルーノは鼻を掻いた。

「オペラが昨日なんて言っていたか、教えてやってもいいんだぞ」

「俺のどこがだめだったんだろう……、お嬢さんもすこしは俺のこと、って自惚れていたみたいだよ」

「なあ」とブルーノはノワールに己の顔を近づけて、真面目な声で言う。「本当に、自分のなにがいけなくて、オペラが断ったのかわからないのか?」

「そうきくって言うことは理由を知っているの、お義兄さん。ヒントだけでも良いから教えてくれない?」

 弱りきり、ブルーノにでさえすがりつくノワールに、ブルーノは深いため息を吐いた。「とりあえず、自分を好きになってもらうためのデートでもすれば良いんじゃないか」

「デート?」と意外なブルーノの言葉にノワールは目を丸くする。「お前たちは公園だなんだとか言って、デートらしいデートもしてなかっただろう。いっそ断る気が起きないくらいべろべろに惚れさせたらいいんだ! まあ、お前たちの結婚を、俺が祝福する約束はできないけどな!」

「解決法になっているの? それ……」と思いながら、しかしブルーノの言うことももっともな気がして、ノワールは渋々頷いた。ノワールのほうも、ブルーノの案にすこしだけ、一理あるかも、と思ったのだ。

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