第365話 世の中悪いことばかりじゃない

 「はぁ」

 「お? 朝から元気ねぇな」

 「仕事する前に溜息とはどういうこった?」

 「今日のバイト君はシコタリティが足らないみたいだね」


 “バイタリティ”みたいに言うな。


 天気は晴れ。このところずっと晴れが続いている。まぁ、農業という外で仕事する俺にとっては願ったり叶ったりな天気だが、どうにも昨晩のことが気になってしょうがない。


 無論、昨日のこととは陽菜と千沙のことである。二人には完全に嫌われた俺だ。もう中村家に関して考えるのも嫌になってきたのが本音である。


 ちなみに朝6時に仕事開始ということもあって若干のストレスが溜まっている。


 そんな俺は西園寺家が所有する畑――トウモロコシ畑に美咲さんたちたちと居た。


 「もしかしてアレか? 和馬の彼女のことか?」

 「女は面倒くせぇからな!」

 「......まぁ、そんなとこです」


 まさかガチムチゴリラどもに俺の悩みを打ち明けるわけにもいくまい。絶対にバカにされるしな。


 絶対に気づかれたくないと思っていた俺に、会長があることを聞いてきた。


 「もしかしてさ、百合川君から話聞いちゃった?」

 「?」

 「ほら、私がバイト君の写真を持っていること」

 「??」

 「あ、知らないんだったら別にいいや」


 なんの話? 俺の写真? いつ撮られたの? まぁ、そんな写真を悠莉ちゃんに見せてどうしたんだって話だな。


 きっと会長は以前、悠莉ちゃんを生徒会室に呼び出したときに俺の写真でも見せたのだろう。目的や内容は不明だが、考える気力のない今の俺にとって割とどうでもいいことである。


 「ま、プライベートはプライベート、仕事は仕事だぞ!」

 「プライベートを侵食しつつあるバイト開始時刻の激変をする人が言えたことじゃありませんね」

 「よし、じゃあさっそく仕事するぞ!」


 こんのゴリラども......。


 俺は一言言おうとしたが、会長が肩をポンと叩いてドンマイと言ってきたことにより阻まれた。止めなかったあんたにも責任あるからね。


 達也さんは俺の背中を不意打ちで叩いて叫んだ。


 「和馬、アレを見ろ!」

 「え、ええええぇぇぇえぇぇえ!!!」

 「ノリは良いよね、彼」

 「それな」


 とりあえず「アレを見ろ」って言われたら、「ええー」と驚けばいいんだよ。


 達也さんにそう言われた俺はトウモロコシ畑を見た。


 「......。」


 別に普通だ。強いて言えば、以前ここに来たときよりは苗が成長したなってくらい。


 達也さんたちの手によって苗の状態から定植したトウモロコシは、トンネル栽培をしていたということもあり、かなり成長していた。それこそ俺たちが食べるトウモロコシ自体は、若干だが毛が生えて形になってきている程度に。


 「見てわからないか、この農家の恥さらしがッ!!」

 「農家の者じゃありませんもん」


 「ほら見ろ。トウモロコシに毛が生えてるだろ。コレは“雌穂”と言って、見た目通り雌の毛みたいなもんだ。“雄穂”の花粉を受け取って受粉すんのさ」

 「トウモロコシも人間みたいに成長する過程で毛が映えるんですね。エッチです」


 「今日はこの雌の毛に手を加える」

 「なッ?! 犯罪ですよ!」

 「いや、違法合法じゃなくて農作業だ」


 ですよね。さーせん。


 健さんから聞いた話では、どうやら今はまだ黄色いこの雌穂が受粉して実を作り、それが俺たちの食べるトウモロコシになるらしい。またこの雌穂だが、太く甘く良い粒がびっしりと生るトウモロコシ作りのために、複数本あるこの雌穂を1本にまで減らさないといけないのだ。


 もったいない気がするが、この間引いた雌穂はヤングコーンとして食されるので決して無駄にはならない。


 というか、ヤングコーンってトウモロコシの間引きだったんだな。始めて知ったわ。野菜のフードロス精神に関心するバイト野郎である。


 「そして今日は害虫対策を行う」


 ゴリラ親子の説明に飽きたのか、今度は会長が割って入ってきた。


 害虫......トウモロコシに限らず、やっぱどこの野菜にも出るんだな。


 「“害虫対策”ですか?」

 「ん」


 会長から渡されたのは片手でギリ持てるような重さの紙袋である。袋を開けて中身を見れば白い粒がぎっしりとあった。


 「アワノメイガって言ってね。蛾の一種なんだけど、それがよくトウモロコシを食べるに来るんだ」

 「へぇ。ということは、アワノメイガって蛾は幼虫の段階から侵入してくるんですか」


 「“アワノメイガ”ね。卑猥な蛾みたいじゃないか」

 「なんで卑猥って決めつけるんですか。まん――アワビに謝ってください」


 「どうせさっきの“雌の毛”どうのこうので連想しちゃったんでしょ」

 「ぐうの音も出ませんね」

 「虫にまでセクハラしたらもう末期だよ」


 いや、セクハラではありませんよ。虫にセクハラするとかどうかしてます。


 ふむ。そういえば中村家でもやったことはあるが、害虫対策としてこの白い粒もとい殺虫粒剤を振り撒くんだな。


 毎回思うが、こんな粒で虫が殺せるという科学の頼もしさを感じるわ。


 「本当は動力噴霧器どうふんでばーっとやりてぇんだけど、故障しちまって中々エンジンがかからねぇのよ!」

 「ぶん殴ったら更に悪化したぜ! 農協に修理任せてっから今日は手作業だ!」

 「「がはははははは!!」」


 脳みそに筋肉がつまってるゴリラどもは科学の頼もしさにもっと感謝すべきだ。


 「じゃあトウモロコシの上から振りかけていって」

 「了解です」


 こうして俺は西園寺家の3人と一緒に作業を着々と進めていくのであった。



*****



 「さてと、今日はもう引き上げっか」

 「え、もうそんな時間ですか?」

 「いや、まだ11時くらいだな」

 「まだ時間ありますよ?」

 「とりま、一旦家に帰るぞ」


 いつもはあと1時間ちょい仕事するのに、今日はいったいどうしたんだろう。


 バイトを早く始めて早く終わらせるとは何がしたいんだこの人たち。そんな碌な説明も無しに勝手する健さんたちに従い、俺たちは畑から家に戻った。そしてそのまま連れてこられたのが西園寺家の車庫である。


 今度はこの車庫の中で仕事なんだろうか。そう思った俺に、達也さんは車庫の奥にあるシートが被せられた何かの機具のところまで行った。


 「和馬、これを見ろ!」

 「ええぇぇえぇえぇええ!!!」


 とりあえず驚いておくバイト野郎である。


 達也さんの手によってバサッとシートを取られたそこには――


 「......え、バイク?」


 普通自動二輪車ことバイクがあったのだ。


 車種はネイキッド。燃料タンクは黒光りに輝いていて、金色のラインが通っている。そのシンプルなデザインは若干の年季を感じさせるとともに、カウルの無い車種ということからエンジンがむき出しになっていてより重量感を魅せてきた。


 「か、かっけぇ」


 思っていたことと口から出る感想とは別なものだ。俺はそのバイクに心打たれていたが、それしか言葉にできなかった。


 「がははは! だろうだろう!」

 「買ったんですか?! いいですね! 男のロマンですよ」

 「いや、随分昔のだな。最近本腰を入れてメンテし始めたんだよ」

 「ああ、通りでデザインに今のとギャップがあるわけですか」


 すごいな。昔乗っていたバイクを手入れしたと言っていたが、それでも金属部位に錆などが見受けられないところから、日頃から定期的にメンテナンスをしていることがわかる。


 「何が良いんだかワタシにはわからないな。原付で良くない?」

 「ま、女にゃわかんねぇよ。バイクってのは男のロマン細胞を刺激するもんだ」

 「ロマン細胞ってなに」


 俺の後ろで健さんと会長が何か言っていたが、俺はそんなことより眼の前のバイクに釘付けである。


 「しかし急にどうしたんですか? 昔乗ってたのをメンテしたということは、また乗り始めるんですか?」

 「いいや。俺も今じゃ家庭を持つ身だ。バイク乗ってウィリーするほど馬鹿じゃねぇ」

 「ウィリーしなければいいのでは?」


 なぜウィリーに拘るのだろうか聞いても「駄目だ。秒でしちまう」というかなりの重症者であった。


 以前、達也さんは自ら昔やんちゃしていたと言ってたな。彼の不良経歴が関わっているのだろうか。深く聞くことをやめたバイト野郎である。


 というか、理由はどうあれ乗らないのならなんで俺に見せたんだろう。


 「和馬、このバイクの魅力に気づいたお前に良いことを教えてやろう」

 「?」


 なんだなんだ。もしかして買わせようと? 正直、超かっこいいし免許も持っているから乗りたい気持ちでいっぱいの俺に30万出せと言われても買っちゃいそう。


 いや、それでも買わんが。


 「このバイクのメンテをしていたのはな............お前にこれをやるためだ!」


 ..............................え?


 「?!?!?!」

 「いいか、もう一度言うぞ。このバイク、SAKIKAWAのゼハァーって言うんだけどな、これをお前にくれてやる!」

 「え、えぇぇぇぇえぇええぇぇえええ!!」


 過去一で声が出た気がする俺は、達也さんのその冗談でも笑えない一言に驚愕していた。


 え、くれ、くれるって、え? これを? 俺に?


 「お、お高いんでしょう?」

 「金取んねーよ」


 マジか。


 「さっきも言ったが、定期的にメンテはしていても乗る機会が無くてな。見た目が古い上に、ちゃんと走り続けられる保証もできねぇから売らんかった。思い出も詰まってたし」

 「な、なるほど?」

 「で、お前を見て、『和馬ならあげてもいっか』と思ってな」


 なんで? 俺そこまでのことした? 理解に追いつけない俺に達也さんは肩を掴んで言う。


 「お前も免許持ってんだろ。乗りたくねぇか?」

 「い、いや、乗りたいですけど......」

 「この先ずっとコイツに乗らねぇのも可哀想だと思わねぇか」

 「お、思いますけど」

 「なら腹決まってんだろ」


 で、でもそんな急に......。たしかにお金は要らないって言ってるし、俺も乗りたいけど、バイクって維持費がかかるって言うしなぁ。


 今の俺は中村家のバイトを辞めたから西園寺家で働いた収入と貯金で生活しているもんだ。


 それに悠莉ちゃんと遊び行くことを考えたらしばらく節約をしなければ――


 「和馬、とりあえず跨ってみろ」

 「え。乗っていいんですか? 作業着のままですよ?」

 「んなもんどうでもいい」


 ......。


 ま、まぁ、乗るだけなら別にいいよね。うん。


 俺はそう思ってSAKIKAWAのゼハァーに跨った。


 しかし俺は安易に跨ったことを後に悔いることになる。


 黒光りに輝くタンクの曲線。革製のシートから伝わるクッション性。乗ったことで少しだけ沈んだ車高。ハンドルを握るのに体勢はやや前へ。自分にしか見えない各種メーター。


 「で、どうだ?」


 俺の顔を覗き込む達也さんの顔はニヤついている。なんて人だ。こんなの無理だ。抗えない。


 だって――


 「これください」


 ――バイクって魅力の塊なんだもん。跨ったらお終いなんだよ......。


 嬉しいのか悲しいのかわからないバイト野郎であった。

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