閑話 陽菜の視点 譲りたくないモノ

 「はぁ」

 「なぁ。いい加減帰ってくれないか? もう17時だぞ」


 私は今、保健室にある真っ白なベッドで寝ている。どこか身体に異常があるわけじゃない。心の問題である。


 「熱があるわけでもない。怪我もしてない。何しに来たんだ?」

 「......さっきから言っているじゃない。体調が優れないのよ」

 「メンタルの問題だろ。ここにいたって治りゃしないって」


 こ、こいつ本当に保健室の先生かしら? もう尊敬の念が薄れて敬語を使う気になれないわ。


 今日一日、私は学校に来てもぼーっとしていた。理由は言わずもがなってね。


 ぼーっとしすぎて1限の授業から6限まで同じ教材を机の上に出しっぱだった。私の膀胱を心配した桃花が時々お手洗いに連れて行ってくれたり、お弁当を食べさせてくれた。


 完全に介護である。


 「そういえばお前、以前もここに運ばれてきたよな。よくわからない理由で」

 「“よくわからない理由”ではないわ。好きな人が他人から告白受けたのよ。そりゃショックで倒れるでしょ」

 「いや、そんなことで気絶する奴いねーから」


 終いには面倒見きれなくなったと言わんばかりに、桃花は私を保健室に放置した。


 完全に介護放棄である。


 「私だって暇じゃないんだ。この後予定あんだよ」

 「予定って? 田所先生はたしか独身で――ぐえッ?!」

 「そうだよ! 独身だよ! だからこの後頑張って異性と予定作ったんだよ!」


 保健室の先生が生徒の胸倉を掴んで激しく揺さぶってくる。どうやら私は地雷を踏んだらしい。


 婚活中の田所先生は今日も必死に生きているのね。でもそんな理由で仕事を疎かにしていいものかしら。


 「異性って、数学の教師の?」

 「な、なんでそれを?! もしかして高橋から聞いたのか!」

 「いえ、恋する乙女の顔は意中の相手を前にしてこそ表れるものよ」

 「こ、“恋する乙女”って年齢じゃないぞ、私」


 ものの例えよ。それに恋に年齢は関係ないわ。


 「しかしすごいわね。どっちから誘ったのかしら?」

 「私からだ。今夜食事でもどうですかって」


 お、おおー。職場恋愛に戸惑いとか無いのねぇ。この調子ならこれからも遠慮なしにグイグイ行く気がするわ。


 「そんでもって最後はホテルに行く!」


 本当にイク気だったわ。


 「そ、そう。まぁ、順調に行けばいいわね」

 「そこなんだよなぁ。藤沢先生、私のことどう思ってんだろ」

 「さぁ? でもほら、田所先生は美人だから、少なからず惹かれるところはあるでしょ」


 田所先生は超が付くほどの美女だ。黒髪ロングで清楚さがあり、おっぱいも大きい。外見で言うならば、なんで彼氏ができないんだろうって疑問に思えるくらい。


 そんな彼女は人差し指を左右に振って、私の発言を指摘した。


 「わかってねぇなぁ。これだから若いもんは」

 「な、何よ」

 「見た目なんて若いうちだけだよ。三十路近くになれば外見は重要視されねぇの」

 「あらそう。じゃあ重要なのは性格なかみだって言うの?」

 「それもあるな。でも他にもある」


 まだ他にも?


 私は和馬の容姿も性格も含めて愛してるけど、それ以外に重要な部分って何かしら?


 「ほら、私みたいな年齢になっていくと人生のパートナー探しをしなきゃだろ。だから異性に求めんのは“経済力”があんだよ。所詮この世は金で全てが成り立っていると言っても過言じゃねーからな」

 「......。」


 とてもじゃないけど、先生が言って良いこととは思えないわね。


 「お? なんだ、先生だからもっと綺麗事言えって顔してるぞ」

 「別に」

 「綺麗事を言うのもいいが、もうお前らも子供じゃないんだ。現状の世の中ってもんを多少なりとも知っておいた方がいいだろ」


 そうかもしれないけど、言い方ってものがある気がする。


 というか、経済面で言うのなら藤沢先生ってクリアしているのかしら? ほら、失礼だけど、教師って儲けとか無縁そうな職じゃない。私は疑問に思ったので彼女にそれを聞くことにした。


 「藤沢先生はな。実家は大きな家で、土地も持っているらしい。農業をやってんだとよ。んで公務員だろ。どう転んでも食っていくのに困らなさそうな人じゃん」

 「う、うわぁ」

 「それに子供思いで優しそうだし」


 不誠実さと本音が混ざった理由ね......。まぁ、好きになる基準なんて人それぞれだし、私が口出しするのはおかしい話だけど。


 「まぁ、それはただの第一関門みたいなもんよ」

 「“第一関門”?」


 「そ。次に“性格”だ。どんなに財力があろうとクソみたいな野郎だったら長続きしない。相性というか、性格もそこそこ必要だってことだな」

 「まぁ、わからないでもないわね......」


 「最後に“容姿”だな。これはついでと言ってもいい。夫婦になったら結局はお互いしわくちゃ老夫婦になるまで一緒にいるんだ。見た目なんかあんま気にしねぇよ」

 「そうね。そこはついでかも」


 以上の理由から田所先生は“経済力”、“性格”、“容姿”の三要素を満たしている藤沢先生を狙っているとのこと。


 なんというか、異性を分析して“好き”という気持ちを解くことに少し違和感を感じてしまう。まだ私が子供だからなのかもしれないけど。


 というこで、今日は藤沢先生とよろしくやるから早いとこ帰宅したいようだ。


 そんな先生を邪魔するのもなんなので、私も教室に戻ることにした。保健室を出ようとした際、


 「ああー、そういえばもう一つあったな」

 「?」


 まだ何か言い残したことがあるのか、田所先生は私の足を止めた。


 「最後の最後で大切なことがある。“自分を選んでくれる人”を見つけることだな」

 「はぁ......」


 「ピンとこないか? 経済力を求めんのも、相性が良いかどうか探るのも、外見を評価するのも全部こっちの“都合”だ。相手が選んでくんなきゃパートナーが成立しないんだよ」

 「......なるほど」

 「だからこっちも女を磨かなきゃいけねぇの」


 言わんとすることはわかる。結局は相手が自分を選んでくれないと二人は結ばれないという至って当然なことだ。そしてそれが一番の難関である。


 「......。」


 和馬はどうなのかしら。正直、経済力なんてあいつには求めていないけど、私は彼に“自分”を押し付けすぎているところが多い気がしないでもない。


 本当に和馬が望んでいるものを、言葉を、私はまだ彼にあげていないのかもれしない。


 うちを辞めた理由がもしそれなら............謝るべきなのかしらね。


 私が聞いてもママたちは和馬が辞めた理由を教えてくれなかったけど、原因が私にあるのなら少しは考え直さないといけない。


 「失礼しました」

 「ん。気ぃつけて帰れよ」


 こうして私は保健室を出て、荷物を取りに教室へ戻るのであった。



*****



 「げ。百合川」

 「な、中村さん」


 教室に戻ったら、まさかの恋敵である百合川が誰も居ない教室に一人で居た。私と同じで帰宅する支度をしていたみたい。


 ......桃花のやつは私を置いて帰ったみたいね。ったく。


 「あら? なに、泣いてたの?」


 百合川の顔をよく見ると目元が赤くなっていたことに気づいた。百合川はそれを慌てて隠すようにゴシゴシと腕で乱暴に顔を擦った。


 「な、泣いてません。中村さんは調子どうですか? 今日一日ぼーっとしていましたけど」

 「ああ、もう平気よ。たぶん」

 「さいですか」


 なんで泣いていたのかしらね。もしかして和馬に泣かされた?


 泣きたいのはこっちだっつーの。


 「あの、中村さんに聞きたいことがあるんですが」


 私に聞きたいこと? 嫌がらせで無視しようかしら? でも和馬にチクられたら嫌だし。


 「先輩――高橋さんとは前からお知り合いなんですよね?」

 「......そうよ。1年くらい前からね」

 「その、先輩は...........や、ヤリ――異性との経験が豊富なのでしょうか?」

 「......。」


 こいつ今、和馬のこと“ヤリ○ン”って言おうとした?


 ヤリ○ンの和馬って、それもはや和馬じゃないわよ。


 あ、そういえば以前、桃花からそんなことを聞いたような......。どういう訳だか、和馬が周りの生徒からヤリ○ン野郎認定されるという奇妙ないじめ問題が発生したらしいわね。それのことかしら?


 どっちにしろ和馬がヤリ○ン野郎なんてありえないわ。それどころか未だ童貞よ。


 「なわけないじゃない」

 「でもある人がそう言ってましたし」

 「どんな噂や話を聞いて、それを鵜呑みにしているのか知らないけど、一つだけ言っておくわ」


 こんなこと言っていいのかわからないけど、私の好きな人のことを勘違いされるのはたとえ百合川でも許せない。


 「周りになんと言われようとも、彼氏のことくらい自分の目で見た部分だけを信じなさいよ」

 「っ?!」


 確たる証拠もないくせにまぁ好き勝手思い込んじゃって......アホらし。


 「で、でも本当に悪い方だとしたら――」

 「なら自分で探りなさい。気づかれないようにしたり、もしくは堂々と聞いたりと納得のいくかたちで探りなさい」

 「うぅ」


 結構キツい口調をした自覚はある。けど今のこいつにはそれくらいがちょうど良い気がする。


 「あとついでに言うけど、和馬は童貞だから」

 「え゛」


 私のその一言に、百合川は鳩が豆鉄砲を食ったように固まっていた。もう話の続きが無さそうなので、私は自分のバッグを取って教室を出ていくことにした。


 その際、「はは、まさか......」と彼女が呟いていたが、私にとってはどうでもいいことなので何も聞かなかったことにしたのであった。

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