第358話 揺らぐ決意は後悔の予兆
「ったく。中村家であんな目にあったのに、まさか自宅でも酷い仕打ちを受けるとはな」
「反省」
「してますしてます。ですのでもう石畳を置かないでください」
なんで俺は自宅で石抱きの刑を食らっているのだろう。というか、そもそもなんでうちに石畳とか拷問資材があるの。
天気は曇り。心の中では大雨が降っていると言いたいくらい俺の気持ちはブルーだが、天気はそれより控えめに曇りのようだ。
「あの、そろそろ許してくれますかね?」
「まだ反省が足りない」
どうすれば反省してるって伝わるのかな? もう足が限界なんですけど。
「和馬、あんたも女泣かすなんて罪な男ねぇ」
「誰のせいだと思ってる、クソババア。久しぶり帰ってきてすることが息子の拷問とか親の風上にも置けないな」
「葵ちゃん、ベランダに漬物石あるから使っていいよ」
嘘だって。愛してる。ママ大好き。
そう、なぜ石抱きの刑を食らっているかと言うと、未だ拷問を受けている俺の目の前で呑気にコーヒーを啜っている母親のせいだ。
こいつ、なんの連絡も無しに帰ってきたくせに、葵さんに聞かせちゃいけない内容を口にしたのだ。
あのババアのせいでさっきまでの雰囲気が薄れちゃったよ。なんかよくわからないけど、葵さんがバイトを辞めようとする俺を泣いて止めようとしていたのにな。
「その、智子さん? 和馬君が、土日、彼女と遊びに行きたいがためにうちを辞めたいと言ったのは本当ですか?」
「うん、ほんとほんと。せっかく一年も続いたバイトしているのに根性無しだよね」
こいつ!
葵さんはそんなババアの一言に溜息を吐いた。二人は初対面なのにもう慣れ親しんでいる感じだ。
ちなみにお互いの自己紹介は手短に済まされ、その後は迅速に変態野郎への拷問に入った次第である。
「あんたねぇ。陽菜ちゃんはどうするのよ」
「うっ。陽菜には悪いと思っている。でも俺の勝手だ。親は関係ない」
「関係あるでしょうが! 陽菜ちゃんを娘にしたかったのに!!」
「ぐッ?! 石畳に体重乗せないで! マジで死ぬ!」
こんのババア......。
こんなことになるんだったらババアに相談なんてするんじゃなかった。
俺は数日前、珍しくも母親から「最近どうしてる?」と電話をもらい、色々と話しているうちに母親に彼女ができたことなど喋ってしまったのだ。
ついでに今やっている農家のバイトについても相談した。彼女との交際を優先するべきか、バイトをこのまま続けていった方がいいのかをな。あのババアは「陽菜ちゃんは? ねぇ陽菜ちゃんは?!」とうるさかったので電話をブッチしてしまったが。
葵さんは少し俺に近づいてきて口を開いた。
「で、本気なの? うちを辞めたいって」
「......。」
無論、先程葵さんに言った内容に偽りは無い。
実際に陽菜や千沙とそんな曖昧でお互い辛い思いをし続ける関係になるのは嫌だった。なら今のうちに思い切って辞めた方がいいんじゃないかと考えていた。
「......はい」
「そう......。辞めるにしても私の一存ですぐには決められないから、とりあえず父さんたちに相談するよ」
「もちろんです」
そう言って葵さんはバッグから携帯を取り出し、彼女が家に帰ってからではなく、一報として雇い主か真由美さんに俺がバイトを辞めることをここで伝える気なのだろう。
ちなみにそんな彼女の携帯は安定のガラパゴス携帯である。大学生になってもこれだ。周りからイジられないのだろうか。ちょっと心配である。
そんなこと聞いたら石畳が一枚増えちゃうな。
『プルプルプル♪――葵? 珍しいね。どうしたの? 今忙しいんだけど』
「急にごめんね。え、今の時間帯ってそんなに忙しいの?」
『うん。真由美が子どもたちが家にいないからか、珍しく同じソファーに居る父さんの隣で寝ている。肩に頭乗せてきて』
「忙しくはないよね。むしろ寛いでいるよね」
『あの真由美が俺の肩に頭を乗せて』
「二度も言わなくていいから」
『急ぎの用件じゃなければ、今を堪能したいんだけど。真由美起こしくないし』
「ま、まぁ母さんはそっとしていていいから」
仲のいい夫婦だな。イチャコラしやがって。
「実はさ、今和馬君の家に居るんだけど――」
『ぬあにぃ?!! あのクソ野郎! ついに俺の娘に手を出しやがったな!!』
『わ?! な、なにかしらぁ?』
お前が起こしてんじゃねぇか。
しかも完全に怒りの矛先が俺に向いているんですけど。
「ちょっと落ち着いてよ」
『落ち着いていられるか! それで! どこまでヤッたんだ?! 場合によっては高橋家をユンボで壊して生き埋めにしてやる!』
『な、何事ぉ? 葵が泣き虫さんの家に居るの? ちゃんとゴムはしてね?』
「落ち着いて聞こうか!!」
雇い主の口からとうとう“耕す”ではなく、明確な殺意を持った“生き埋め”が出てきた。あんた、個人でユンボなんか所有してたのかよ......。
それに真由美さんの爆弾発言もヤバい。そんなに娘たちの性事情が気になるならもういっそ孫の顔見せてやろうか。
駄目だ。俺には悠莉ちゃんがいるんだった。
「あのね、今日は和馬君と話がしたくて彼の家に来たの」
『もしかしてもう既にお腹にいる子とか将来のこととかかしらぁ?』
『生まれてくる子に罪は無いからね』
「本当に最後まで人の話を聞こうかッ!!」
怒鳴る葵さんの声は普段じゃ滅多に耳にできない。
あの、期待か怒りかわかりませんけど、俺、まだチェリーボーイです。
「実は和馬君がうちを辞めたいらしくてね......」
『え? どうしてかしらぁ?』
『......。』
すごいな、普段なら雇い主の頭の上に浮かぶはずの“?”が今日は珍しくも真由美さんの方だ。
いつものパターンだが、沈黙は察している奴がすることだ。いや、真由美さんのことだ。あの人もわかっていることだろう。
『その場に泣き虫さんがいるのでしょう? とりあえず彼に変わってくれる?』
「あ、うん」
え、真由美さんと話さないといけないの? 電話で? こ、こういうのは直接会って話した方がいいと思うんだけど......。
そんなことを言ったってしょうがないので俺は葵さんから携帯を受け取った。
ガラケーを(大切なことなので二度言いました)。
「お、お電話代わりました。高橋です」
『泣き虫さん、ごめんなさいねぇ。そこまで私たちが追い込んでいたなんて』
会話一番でそれは有罪ですよ、この人妻が。
「い、いえ。そんな大したことじゃありません」
『そう? じゃあどんな理由があって、うちを辞めたいの?』
「そ、それは......」
『もしかして今お付き合いしている彼女と遊びに行きたいだなんて寝言―――ふふ、泣き虫さんに限ってはあり得ないわねぇ』
「......。」
こっわ。マジ怖ぇ。
俺は完全に電話先の人が普段の何倍増しで冷徹になっていることを悟った。これは言葉を選ばないといけないぞ......。
『でも困るわぁ。泣き虫さんには契約内容の一つに“終身雇用を確約する”って条件があったのだけれどぉ』
「初耳です」
『そんな感じだったじゃない?』
どんな感じですかね。そこら辺詳しく問い質したい。
『真由美、ちょっと変わってもらえる?』
『......はい』
あ、今度は雇い主が真由美さんと代わるらしい。
『やぁ。高橋君、元気かい?』
「はい。お陰様で」
『今更だけど電話でするような内容じゃないね』
「今週のバイトの日にまたお話させていただく次第です」
『......君には苦労をかけてばっかだね』
「やっさん......」
『きっとこれからも辛い思いをさせてしまうかもしれない。これからは俺も味方になるよ。真由美たちも叱ろう。......それでも辞めたいかい?』
「......はい」
『そうか......』と雇い主は相槌を打ってそれから黙り込んでしまった。今回の件に関しては雇い主に非なんて無い。
いや、周りの人間が悪いなんてことないんだ。全部俺が悪い。俺が強くないから、誰とも向き合おうとしないからこんな結末を招いたんだ。
「すみません、でもすぐ 辞めたいって訳じゃなくて......」
『いいよ。別にいつでも』
「へ?」
『事前に連絡して来月バイト辞める気だった? 人間関係でギスギスするんだったら来月まで我慢しなくていい』
「そ、そんな自分は――」
『いいんだ。高橋君は今までよくやってくれたよ』
雇い主......。
雇い主の声はどこか寂しそうだ。勝手な俺を責める訳でもない。むしろどちらかといえば俺のことを一番に考えている気がする。それなのに、俺は自分がこれ以上辛い目に遭いたくないからって理由でバイトを辞めようとしている。
このまま流れに任せて辞めた方がいいのだろうか......。
俺は目の前に居る葵さんを見た。彼女は俺と目が合っても何も言わず、俺の返事をじっと待っているだけだった。
「......今まで、大変お世話になりました」
「......。」
『......うん。今までありがとう』
揺らいでばかりの俺は、この選択を後悔するとわかっていても選んでしまったのであった。
*****
〜その後〜
*****
「ただいまー......って、二人共どうしたの?! 死んでるわよ?!」
「泣き虫さんがうちを......このアルバイトを辞めたのよぉ」
「まぁ、俺たちも彼に甘えていたところは少なからずあるから――」
「なんでッ?! もしかして百合川が和馬に何か吹き込んだの?!」
「私にもわからないわぁ......」
「......彼はここを辞めて正解だったのかもしれないね」
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