第134話 最後ハ

 「こ、ここここんなに貰って良いんですか?!」

 「ふふ。落とさないようにねぇ」


 天気は晴れ。台風であんなに荒れていた天気も予報より早く良くなり、今日は最高に良い天気だ。


 この様子なら花火大会は予定通りに行われるだろう。良かった良かった。


 住み込みバイトは昨日で終了した。今はまだ朝で、本来ならこれから仕事をするはずなのだが、バイト野郎を気遣ってくれたのでこの後は変えるだけだ。


 「うっわ。これ諭吉何人よ」

 「に、兄さん、この札束でビンタしていいですか?」

 「なんで俺が稼いだ金でビンタされなきゃなんねーんだよ」


 俺たち三人は目の前の札束に驚きを隠せない。理由はバイト野郎の“住み込みバイト代”があまりにも多すぎるからだ。現金でこの札束の重みがすごいのなんの。


 「に、21万......」

 「です、。それだと兄さんが強盗をしたレベルになってしまいます」

 「21万も......。て、手が震えてきた」

 「だ、大丈夫かしら?」

 「はは。大袈裟だなぁ」


 学生にとっては大金も良いとこですよ。いくら住み込みバイトだからってこれは貰い過ぎなんじゃないだろうか。


 「あ、あの、自分この一か月お世話になりっぱなしで、本当にこんなに貰って良いのですか?」

 「金額に不満かしらぁ?」

 「め、滅相もありません!!」

 「一応、封筒の中に明細入れてあるから、確認しといてちょうだい」

 「は、はひ!」

 「『はひ』って......」


 明細とか言われても俺そこんとこ毎日記録つけていなかったからこれが多いのか少ないのかわからない。まさか真由美さんが金額を偽っているとは考えられない。「これだけ働いたんだ」って実感するしか現実を受け止められる術はない。


 「高橋君、ナイトクラブに通わないでよ」

 「そんなことに金使いませんよ。せいぜいを買うくらいです」

 「うっわ。最低」

 「ドン引きです。お金返してください」

 「給料あげて後悔することってあるのねぇ」


 どいひー。しょうがないじゃん。男の子なんだから。


 「とりあえず、これから家に戻ります。今まで大変お世話になりました」

 「お疲れ様ぁ」

 「高橋君、祭りのときは頼むよ! スタンガン貸すから!」

 「なんで持ってるんですか......」

 「和馬、ドタキャンしたらタダじゃおかないから!」


 はいはい。俺だってお前ら二人と行くのが楽しみでしょうがないよ。きっと二人の浴衣姿に悩殺されちゃうんだろうなぁ。我が人生に一片の悔いなし。


 いや、素直に喜べないな。本来なら葵さんも一緒に行けるはずなんだから......。


 「......葵さんは、やはり今日一日家で安静にしてるんですか?」

 「......そうねぇ」


 俺は朝に挨拶した後、葵さんのことを聞いたのに、ついまた聞いてしまった。俺の悔しさなんかより、葵さんの方が悔しいに決まってるのにね。


 「葵姉、あんなに楽しみにしてたのに....」

 「風邪が悪化しても困りますからね......」

 「俺はできれば千沙と陽菜にも行ってほしくないかな」

 「あなたは娘の見方をしてるようでしてないのねぇ」


 このクズ親父め。いい加減子離れした方が良いぞ。


 「私、やっぱり今年はやめとこうかな」

 「何を今更.....と言いたいところですが、姉さんを置いてくのも気が引けますよね」


 以外にも姉想い妹たちだ。やっぱり風邪で寝込む姉は放っておけないか。


 「まぁ葵には今年は諦めて、また来年もやるんだから今日の分を存分に楽しんでもらいましょう。千沙も陽菜もせっかくなんだから行ってきなさい」

 「ママ......」

 「そう....ですね」

 「さ、高橋君、行った行った! 今日は久しぶりに晴れたんだ。遅れた分の仕事をしなくっちゃね!」


 仕事があるなら手伝わせてくれればいいのに。本当に優しいですよね。俺にも、娘たちにも。


 変にそういうところがあるから雇い主のことを恨めない。


 もう「お義父さん」って呼んじゃダメかな。まだ名前わからないし。


 「じゃあ、和馬。また後で」

 「兄さんの友達とやらに仕返しをしましょう」

 「? おう」


 俺は中村家を出て歩き出す。家まで10分かかるか、かからないかの距離だ。


 パンパンに荷物が入ったボストンバッグは重いけど、全然苦じゃない。もうここを離れるんだって思うと少し寂しさを感じてしまう。どうせこれからも土曜日と日曜日はここに来るのにね。


 でも最後くらい葵さんに会いたかったなぁ。風邪で寝込んでるからしょうがないけど。次はいつ女神に会えるんだろうか。


 「私たちの浴衣姿を見て、は、ははは“発情”しないように気を付けなさいよ!!」

 「そうですね。怖いんで、きてくださーい!」

 「ちょっ! あなたたち、ここ外よ?!」

 「娘が......うつっちゃったよ」


 少し歩いたところでまだ後ろにいる陽菜と千沙が、女の子としてヤバめのことを口にした。きっと今日の花火大会が楽しみで興奮しているんだろう。


 だから雇い主。俺のせいみたいに言うのやめろ。







 「あ、そろそろ時間か」


 待ち合わせの時間まで俺は久しぶりの自宅でくつろいでいた。いや、帰ってきたらほとんど掃除しかしてなかったな。理由は俺が留守中に帰ってきたであろう母君のせいだ。缶ビールそのまんまとか親の自覚はあるんだろうか。今度、問いただそう。


 「浴衣あるけど、さすがになぁ。普通に私服で行こう」


 俺はそう呟いて、掃除で汗をかいた服を洗濯機に放り投げ、新しい服に着替える。


 「行ってきまーす」


 誰も居ないのにバイト野郎はそう言い残して家を後にした。 花火大会の方向は自宅から徒歩20分だ。中村家からだと30分ってとこかな。


 「はぁ......俺んちから祭りに向かった方が近いんだけど」


 俺は一回中村家に千沙と陽菜を迎えに行かなければならない。遠回りなんだけど、どうしても俺に来させたいらしい。


 まったく。“先輩”だとか“兄”だとか関係なく、ちっとも遠慮しない図々しい奴らだ。でも文句なんてバイト野郎には許されない。結局、“年上”も“兄”も、“男性”というレッテルの前では意味をなさないので、女性を優先にしなければならないのだ。







 「お邪魔しまーす」


 俺は中村家に着き、中庭に入る。今朝もここに居たのに、なんだかすっごく久しぶりな感じがする。とりあえず南の家に行こうかな。皆そこに居んでしょ。


 「あ、和馬。遅いかったわね。レディーを待たせるとは良い度胸じゃない」

 「AT......兄さん、お疲れ様です。ちゃんと“諭吉”は連れてきましたか?」


 と、まさかの予期せぬ後ろから二人の声が聞こえた。後ろって言うか、東の家の方からか。俺は話しかけてきた二人が居る方を振り向いた。


 「あ、東の家そっち? てっきり南の家こっちに居るかと思ったよ。っていうか兄をATM扱いするんじゃな――――っつ?!!」


 そこには、浴衣姿の二人が立っていた。


 「ああ。浴衣は東の家こっちの家にあるんですよ。着付けはお母さんにしてもらいました」


 千沙は赤色のインナーカラーに合わせたのか臙脂えんじ色の浴衣を着ていた。染めてある髪は三つ編み状になり、円を描くように巻かれていて綺麗なかんざしで止めてあった。


 「去年は白だったかしら? 綺麗な浴衣がたくさんあるから迷うのよねぇー」


 陽菜は黒色の浴衣で、千沙とは違った華やかさがあった。やはり女の子が浴衣を着ると決まって髪型は後ろでお団子のようにまとめてある。そんなありきたりなのは予想が容易にできるのに、陽菜のは特段に大人のような色気もあって、いつもとのギップがすごい。


 二人共超可愛いんだけど。なにこれ予想以上だったわ。袖をちょこっとつまんで見せる仕草はまさに可愛さの暴力である。


 「に、兄さん? どうしたんですか?」

 「な、なによ。開いた口が塞がってないわよ?」


 二人が心配そうに俺を見てくる。


 結婚してください。子供は10人欲しいです。


 「結婚してください。子供は10人欲し――――くない!! なんでもない!!」

 「「っ?!」」


 やばい、心で思ってたことがつい出ちまった。


 「今なんて言った?! いや、言質取ったわ! コレ完全に取ったわッ!!」

 「きょ、きょきょきょ兄妹で結婚はできないのでまずはこ、恋人からに...ごにょごにょ......」

 「何でもないって! 嘘だから! アレ、超嘘だから!」


 二人が顔を赤くして俺に言う。片やは興奮気味で、もう片やはもごもご言って何言ってるかわからない。


 なんてこった。千沙はともかく淫魔にも言っちまった。くそう。


 「ほらほら、祭りが終わっちゃうわよぉ」

 「高橋君、後は頼んだよ! 110番の前に電話寄越して! そいつら耕しに行くから!!」


 娘二人に続いて東の家から顔を出したのは真由美さんと雇い主だ。二人は家に残るらしい。あと雇い主、そんなことしたらあんたが110番されんぞ。


 「行ってきまーす!」

 「兄さん、疲れました。現地までお姫様抱っこを許可します。運んでください」

 「早ッ!」

 「ちょズルいわよ! するなら私にも後でしなさい!!」


 バイト野郎とひきこもりと淫魔の3人は祭りに向かうことにする。


 思わず俺はこの場に居ない葵さんがいるであろう南の家の2階をここから見つめた。明かりは点いていないから寝ているのだろう。本当にこれで良いのか。そんなわだかまりを残したまま俺はこの場を後にした。

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