第64話 葵の視点 どどどどーしよ?!

 「私何してんのぉ」


 私は夕食を終えてから自室に籠ること1時間が経つ。籠る原因は先ほどから感じる気まずさである。


 「うぅタイミングがわかんなかったよぉ。ごめんね、高橋君」


 この場に彼はいないのについ謝ってしまった。枕に顔を押し付けて唸っている私。


 「正直、胸を揉んだことはもういいんだけど。なんて声を掛けたらいいかよくわからないよ」


 あれは事故だ。胸を少し揉まれたくらいでそこまで気にしない。い、いや気にしないっていうか、恥ずかしいは恥ずかしいけど、ちょっと驚いたってくらいでそこまで嫌じゃな...ってなに考えているの私!!


 「それにあれは私にも非はあるよ......」


 そう、そもそも私にも悪いところはあった。


 彼、高橋君は物覚えが超が付くほど良い。だからなのか、私が指示したことをあんなに真摯に受け止めて頑張るんだもん。たいしてミスもせずに。


 間違いを期待しているわけじゃないけど、時々何でも難なくこなす彼を見ていると「あれ? この仕事ってそんな簡単だったけ?」って不思議に思っちゃうことがある。


 だからなのか、今日、高橋君と一緒に仕事しているときに、彼が軽々しく鉄製パイプを運んでいるのを見て、「これなら私でもできるのでは」と錯覚したのは。


 案の定、私は重すぎて碌に足元すら安定しなかった。転びそうになった私を彼が支えてくれたから、こうしてケガもせず済んだというのに、私は本当に馬鹿だ。


 「だって......だってもっとたくさん頼ってほしかったんだもん。最近、私ってばなにかと高橋君を頼りすぎている気がして落ち着かないよぉ」


 なんて我儘な私。従順で便利な彼をこき使っているのに、もっと甘えてほしいとか、お姉さん気取りでもしているのだろうか。


 「はぁ......高橋君気にしてるよね、絶対」


 なにも揉まれたことだけで怒っていたわけじゃない。私を支えてくれた時の彼のあのだ。


 あんなに心配そうな表情で私を見つめて......なんかもう、これから私を頼ってくれなさそうな、私自身が足手まといのように思えてしまったから、つい便乗して責めてしまった。


 「たしかに胸をわざと揉まれたのは嫌だったけど! ......あの顔は今でも思い出しちゃう。だからさっき気まずい空気にしちゃったのかな」


 はぁ。勝手に失敗して、心配させて、不安にさせるなんて先輩として失格だよ。


 「で、でも初めて男の人に揉まれたなぁ」


 私はあの時に彼が強く揉んだことを思い出す。再現しようと、右手で左の胸を掴んでみた。


 「んっ......もっと強かったかな? さすがにあの握力は再現できな―――」


 「葵ぃ。ちょっといいかしらぁ」

 「ひゃいっ?!」

 「ひゃい?」


 部屋の向こうから母さんの声が聞こえた。私はあわててドアを開けた。


 「ど、どうしたのかしら? 大丈夫?」

 「う、うん。それでどうしたの?」


 わざわざ私の部屋に来てまで聞く理由なんかわかっているのに、私はつい母さんに聞いてしまった。


 「さっきのことよ」

 「......。」


 「なにがあったかは(彼から聞いているし)聞かないわぁ。また明日も顔合わせるんだから今のうちに仲直りしてきなさい」

 「で、でも!」


 「はいはい、言い訳は結果報告と一緒に聞くから。これお願いね」

 「え、これって」

 「会う口実ついでよ」


 母さんはそう言って、私に彼の着替えを渡してきた。これを渡すついでに話をつけてこいってことだよね。


 綺麗に畳まれたツナギ服の上には、黒のインナーシャツと白タオル、下着、靴下の順で積まれてあった。


 「こ、こここれ下着っ?!」

 「ノーパンなわけないでしょ」


 「そうじゃなくて!」

 「あなた本当にないのね...」


 「普通気にしない?!」

 「そう? 陽菜なんか夜な夜な彼の洗濯物を.....おっとこれは話しちゃいけないんだったわぁ」

 「姉としてすごい聞き逃せないこと聞いたんだけど!!」


 夜ってことは、ひ、陽菜は彼の洗ってない服で何してるのぉ。


 彼は今、住み込みバイト中で、こういった彼の洗濯物は中村家の方で父さんの服と一緒に洗うことにしている。だから仕方がないことなのだが...。


 「いっそを彼にあげてくればぁ?」

 「ちょっ母さん!!」

 「おほほ、冗談よ、冗談」


 母さんの悪乗りはあまり身体に良くない。


 「はぁ......わかったよ、彼のところに行ってきます」

 「ええ、行ってらっしゃい」


 私は彼のところに行って「今日のことは気にしてないから、高橋君も気にしないでね」くらい言おうと思う。


 玄関に行き、サンダルを履く。


 「葵ぃ」

 「ま、まだなにか?」

 「彼のを怖がらないで」

 「......。」


 母さんはすごいなぁ。私より彼と仕事している時間は少ないのに、彼が私に必死にをもう見抜いている。


 「...それは彼のセクハラかなんかかな?」

 「......。」


 実の母にさえ本音を言わない、ずるい私。できないよ、今はそんなこと。


 私は南の家を出て、中庭を通り、彼が寝泊まりしている東の家に向かう。


 「お邪魔しまーす」


 返事はない。さっそく彼のいる部屋に向かう。


 少し歩いたら彼の部屋が見えてきた。部屋は明るい。良かった、まだ起きているよぉ。でもなんで戸を開けっ放しなんだろう? トイレにでも行ってるのかな?


 「高橋君います―――」

 「ふっ! ふっ! ふっ!」


 彼は短パンだけ履いて、半裸で筋トレをしている最中だった。私が買ったダンベルを両手に持って。


こちらに背中を向けて、布団の上に座っている彼の耳から白いコードが垂れている。イヤホンをしているんだね。


 私は死角にいる。彼は目視できず、声も聞こえない。


 「.......。」

 「ふっ!ふっ!ふっ!」


 しばらく筋肉ウォッチの時間である。


 「わっ、背筋の影すごっ!」


 なお、多少感想を言っても、気づかれない至福の時間と化した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る