第106話 先生

「……んぅ」

「あ……おはようございます」


 目を開けると真っ先に、茶髪の、優しい雰囲気の女性が上から声を掛けてきた。

 どうやらいつの間にか眠っていたらしい。そして、どうやら俺は彼女に膝枕をされているようだ。後頭部がやけに柔らかく、暖かい何かに包まれている。


「あ……悪い、セシル」

「い、いいえ。気にしないでください」


 セシルはそう苦笑する。無理をさせていたのは明らかだろう。

 ていうか、別にそういう関係でもないのに膝枕をさせるのはセクハラなんじゃないだろうか。

 そう思いつつ、すぐに左腕をつき、身を起こす。


「先生!」


 と、すぐにセシルとは違う、少年の声が飛んできた。


「素振り終わった! だからさ、今日も勝負してくれよ!」

「終わったって本当か? 適当にやってないだろうな」

「やってないって! だって、ちゃんとやらなきゃ先生に追いつけないからな!」


 彼はツンツンとした赤毛を揺らしながら、自信満々に笑う。爽やかに歯がきらっと輝いた気さえした。

 闘志を感じさせる深紅の瞳が煌めき、俺の姿を真っ直ぐ映し出す。


「レイジ、後にしたら? 先生、疲れているみたいよ」

「え、そうなの?」

「いや、大丈夫だ。少し眠ってただけ。おかげで元気になったし……半人前の相手なら、寝ぼけているくらいがちょうどいい」

「あ、言ったなぁ!?」


 地面に置いていた木剣を拾いつつ、立ち上がる。

 「もう、男の子は」とセシルが呆れるような声を漏らす。

 その男の子に弟であるレイジだけでなく、俺が含まれているのは間違いないだろう。


「レイジ、何本勝負にする?」

「もちろん、俺が一本取れるまでッ!!」


 セシルを巻き込まないよう距離を取りつつ、突っ込んできたレイジの剣を受け流す。


「おお、速い速い」

「って言う割に、簡単に受け流してくれてるじゃんか……!」

「まぁ、先生だからな。まだまだお前には左手一本でも負ける気はしないさ」

「いいや、今日は俺が勝つ!」


 そう怖気づくことなく突っ込んでくるレイジに、俺はつい笑みを浮かべた。



 この村はビギンズという。

 始まりを意味する村の名前は、この村の近くにある『はじまりの森』という場所に由来するらしい。

 はじまりの森という名前の由来は……分かっていないが。


 そして、このビギンズに住む姉弟、セシルとレイジは幼い頃に両親を亡くし、小さい頃に祖父母が住むこの村へとやってきたという。

 セシルは手先が器用なので手芸品を作って売ったり、時に宿屋のキッチンで料理を作ってなんかとか生活費を稼ぐ苦労人だ。

 祖父母も健在とはいえ、生来の農家として、畑を耕すには肉体的に厳しくなってきているらしい。

 畑の手伝いをしているのはレイジのほうだ。若くて体力もあるし、肉体労働にはうってつけの人材だ。


 でも、そんなレイジは外の世界に興味があるらしく、


――俺、剣士になって世界を冒険したいんだ!


 なんて、ことあるごとに口にしている。

 

「てぇやぁ!!」

「っと」


 考え事をしていたら、つい気を抜いてしまった。

 鋭く振りぬかれた木剣を、なんとか顔スレスレのところで躱す。

 

 さすがに直撃を喰らっていれば危なかっただろう。

 そう思うと、レイジも初めて出会った時と比べて随分と強くなった。


 彼と初めて会ったのは半年ほど前だ。

 その頃はまだとても剣士とはいえない有様だった。それっぽく研いだ木の枝を振っているただの子どもだった。

 けれど、流石というべきか、彼は才能の塊だ。

 少し方向性を定めてやるだけで見違えるほど伸びた。それこそ、“本来彼があるべき状態よりも、数段上”にいるのは間違いない。


「ここだぁ!」

「まぁ、それでもまだまだだけどな」


 ここ一番、強い踏み込みと共に襲いかかってくるレイジだが、その剣は俺を捉えることはない。

 俺は彼を飛び越すように跳び、回避する。


「な……あれ?」

「はい、俺の勝ち」


 彼から見れば突然俺が消えたように見えただろう。

 そんな、キョロキョロと周囲を見渡すレイジの頭を木剣で軽く叩き、これでおしまい。


「これで今日は10、15……いや、20……? まぁ、俺の勝ちがまた広がったな」

「あ、ぐ、う……! 今度は勝てると思ったのに!」

「ははは、確かに強くなったし惜しかったけど、経験の差はそう埋まらないよ」


 なんて、まだまだ半人前のレイジ相手に自慢しても仕方ないけれど、そう遠くない未来に抜かされるかもしれないのだ。

 そう思えば、この余裕もある種の嫉妬なのかもしれない。

 

 けれど、レイジを鍛え上げることは俺にとってもメリットが大きい。

 細かなリスクも多いとはいえ、それを遙かに勝るメリットが。


「そこまでね。レイジ、それに先生も、いい加減お昼にしましょう?」

「はーい……」

「先生の分もお弁当作ったんです。食べてくれますよね?」

「ああ、もちろん」


 軽くタオルで汗を拭きつつ、俺達はそこはかとなく圧を発するセシルに頷いて返した。

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