第101話 信仰と殺意

 虚神の姿は、最初に現れた時より幾分も親しみやすい。

 いくら身体からボコボコ顔が浮き出いているにしても、動物の身体から人間の首が生えているものよりは、二腕二脚を持った今の姿の方が、人間に近しいのだから。


 そう考えて、しかし、別の疑問が生じる。

 なぜわざわざ、虚神は人を模した姿を取ったのだろう、と。


 喧嘩は相手を圧した方が勝つ。

 これは命のやり取りだが、しかし、ジルの身体を奪うのが目的である虚神にとって、ジルの身体を必要以上に痛めつけ死に至らしめることは本懐ではない。

 当然、ジルの身体ではなく心を折ることが最善の結末といえる。


 そんな中、わざわざ人の姿をとり、ジルと同じ場所に降りてきた。

 恐怖や嫌悪感を煽るよりも、この姿を取ることがジルを圧することに繋がると。


(あいつは、俺を恐れている。だから俺に近づくことで強くなれると思っている。まぁ、無意識だろうけれど)


 今の自分自身も決して人間といっていい見た目をしていないと、普段だったら笑ったかもしれないが、笑顔が虚神の死に1ミリたりとも関与しないこの状況に置いて、ジルの表情は一切動かなかった。


 全ては命を持たず、潰す心臓を持たない虚神を殺すためだ。

 全身に毒と闇を流し込み異形のような姿に成り果て、狂気とも呼べる殺意を振りまいているのは、その想念をもって神と呼ばれる存在を呪い殺すためだ。


 神は人より信仰を集める。そこには神にとってのメリットが存在するからだ。

 しかし、信仰も、悪意も、時に一つに重なることがある。

 想いというものは普遍的ではない。人が名前を付け区別していても、見る者の立場や感情によって簡単に移り変わるものなのだから


 だから、信仰ではない殺意であっても、目の前に堕ちてきた神相手なら通用する――これはジルの希望的観測ともいえる、根拠に乏しいものではあったが、今現実として目の前に顕現している影響を見れば、これ以上ない正解だったのだろう。


「はあっ!!」


 凄まじいスピードで飛び掛かり、刃を振るう。

 当然のように、刃は虚神の身体をすり抜けるが構わない。

 既にこれは精神的な戦いに切り替わった。諦めず、攻め続け、その先に必ず敵の死があるという確信を容赦なくぶつけることがダメージになるとジルは理解していた。


『愚劣なる人間がっ!』


 虚神が棒を振るう。しかし、ジルは易々と躱す。

 大と小が戦う時、必ずしも大が勝るとは限らない。小さいものを狙うのにはそれなりの集中力を必要とするからだ。

 人間が蜂に怯えるように、手で払っても易々と躱されるように、今の乱れた虚神には到底ジルを捉えることは敵わない。


(やはりな……)


 視線を虚神の払った棒が通過した先を見て、ジルは敵の攻撃の本質を見極める。


 最初、木々を薙ぎ倒したときとは違い、今虚神が棒を払ったルートにあった木々は無傷だ。当然倒れる気配などない。

 先ほどジルを攻撃しようと、地面を穿った時もそうだ。一切地面が削れた痕はなかった。


(恣意的に、狙った物だけに干渉する力か……? そしておそらく本体に攻撃が届いていないのもそれだ。あくまで虚神の思考に基づくものなら、やりようはある)


 最初に木を切り倒してしまったのが、虚神の失敗だった。

 あれがなければ、ジルは棒の持つ力を推理できないまま戦うことを強いられただろう。


 虚神の攻撃が限定されているというのも、虚神の力を測らせる要因となってしまっている。

 仮に全知全能の力を持つ存在であれば、いとも容易く人間如き踏みつけにするだろう。

 しかし、攻撃対象は限定され、そもそも最初に現れた時は雑魚魔獣とも思える程度の力しかなかった存在だ。


 そしてなにより、ジルという器を求めている。

 その一連の発言の中で、程度が知れてしまっている。


(こいつはただの味噌っかすだ。なんらかの理由で力の大半を奪われ、こんな場所に囚われているだけの)


 荒々しい攻撃を続けながら、極めて冷静に、ジルは格付けを行う。


 この虚神では、眷属を従え、さらに魔人に力を分け勢力を広げる魔神には敵わない。

 ジルと彼の復讐相手の力量差を確かめる試金石にはなり得ない。


「お前の攻撃など掠りもしない。図体だけの木偶の棒め、ちっぽけな、ただの人間も殺せないお前が神を名乗るなどおこがましい……!」

『ぐ……!』


 わざわざ虚神が使うような、大仰な言葉遣いで叫ぶジルに、虚神はただ呻き声を上げる。

 お前がただの人間であるものか、と主張するように。


 しかし、虚神がそう、ジルを特別視するほどに、彼の干渉度は上がっていく。


「ッ!」


 刃から伝わる、僅かな抵抗に、ジルは目を見開く。


『ぐ……ぬぅっ!?』


 そして、苦悶に呻く虚神の嗚咽にはっきりと口角を上げた。


「どうした、随分と気持ち良さそうな声出して」

『何故、我が……』

「なぜって、俺にも分かるぜ。お前が俺にビビってるってよっ!」


 虚神の雑な攻撃は一切ジルの肌に触れることはない。

 しかし、対するジルの攻撃は全て通る。すり抜けていた斬撃は、確かに肉を切る感触と共に、虚神の身体へと裂傷を刻み込み始めていた。


(勝てる……!)


 虚神の怯えは本物だ。

 この状況は虚仮などではない。この先に、虚神の死がある。


 そう確信したジルは――ほんの僅か、気を緩めてしまったのだろう。


『我は……神だッ! 虚ろなる存在に堕とされたとて、我に死は無いッ!!! 』


 生物ではありえない不規則な運動。

 どの瞬間からでも振り下ろされる棒撃に、ジルはいままで驚異的な嗅覚か、魔に飲まれた故の副作用か、尋常ならざる反射を以て対処し切っていた。


 しかし、勝利への確信に僅か意識を向けた今の彼は――その予兆を掴むことができなかった。


「っ……!?」


 僅か遅れて彼の、人間の戦士としての直感が身体を突き動かす。


 僅かな気の緩み。僅かな遅れ。

 堕ちたとはいえ、相手は神だ。それを想念で圧するなどという綱渡りをしてきたこの状況において、その僅かが許されるほど、現実は甘くはない。


「な……」


 ジルはそれを見て、間抜けな声を漏らすことしかできない。

 虚神の振るった棒撃によって切られ、力なく宙を舞ったのは――すっかり漆黒に染まったジルの右腕だった。

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