第88話 熱
この世界はゲームでは無い。
そうつくづく実感させられる。
ゲームだったら強敵の前にはセーブポイントや回復エリアが設置されていたりして、いかにも出そうな、エリアの一番奥とかに鎮座しているものだ。
イレギュラー的に乱入してくる強敵だって、ボス戦の直後とかに入ってきて、回復の間を与えず連戦になるというのがベターだろう。
しかし、この世界はそんな台本通りに描かれる造られたものではない。
セオリーなんてもので世界は回らない。レギュラーもイレギュラーもない。
起きたことだけが、現実となる。
常軌を逸するような大敵が、心構えも何も無い状況でいきなり目の前に現れることだって、有り得ないなんてことはない。
それを今、俺は嫌というほど実感させられている。
「ふ……ククク……フハハハッ!!」
女はギラギラと目を光らせ、耐え切れないといった様子で笑い声を上げた。
なんなんだ、この女は。
気味の悪さ、得体の知れなさ。
それらすべてをひっくるめてもお釣りが来そうなほどに漂ってくる、圧倒的な死の気配。
この女は、俺が出会ってきた何よりも強い。
それはもう、サリアに迫る姿から容易に想像がついた。
矢を放てば躱されただろう。
サリアを盾にされたかもしれない。
斬りつけに行っても同じこと。
この女は僅かな殺気でも感じとり、呼吸をするようにサリアを処理して俺を迎撃しただろう。
一瞬、ほんの一瞬セラに気を引かせ、ただ割り込むしかなかった。
無様に姿を晒すしかなかった……!
おかげでセラを1人にしてしまった。もしもコイツがそちらに気を向ければ――
「ふふ、そう気を散らすな。あの少女には手を出すような無粋な真似はしない」
「っ!」
ほんの一瞬、セラの方へ意識を向けたのを気取られたらしい。
この女は手を出さないなんて言っているが、正直信用なんかできない。
「ふふふ。疑う理由など無いと思うが。剣士であればほんの僅か剣を合わせ、目を見る程度でその相手の本質が幾何か把握できるものだ。貴様は悪人ではない。その貴様が守るその少女も、気に掛けている別の少女も、おそらく悪ではない。私は善人だからな。悪でなければ斬る道理もないだろう」
「…………」
冗談で言っているのか、本気で言っているのか全く分からない。
つい先ほどまでサリアを殺そうとしていたくせに……
「だが、」
「……っ!」
「善人である前に私は剣士だ。善であろうが、悪であろうが、強者を前にすれば血を滾らせずにはいられない。貴様もそうだろう?」
「……さぁな」
こいつの言ってることなんかさっぱり理解できない……とは言い切れない。
俺にも自分の力を試したいという、バトル漫画の主人公みたいな妙な欲求はある程度存在する。
ただ、だからこそ、こいつのそれが余計に異常だと分かる。
「なんだ。その気にならないか? ならば貴様が守ろうとしている少女達の命を奪えば、少しは本気になってもらえるかな」
反射的に地面を蹴っていた。
この女の首を取らんと振るった刃はあっさりと防がれはしたが、動きは封じられた。
「フフフ、怖い怖い」
「テメェ……安い挑発しやがって……!」
「だが、おかげで少女達も少しは安心できただろう?」
そういう彼女の笑みに敵意が浮かんでいないのが恐ろしい。
どうやら俺とこいつの思考はどこか似た部分があるようだ。
今、俺が咄嗟にこいつを切りつけたのは、もちろん本気でこの女を“殺る”つもりでもあったが、別の意図もあった。
――この女は俺が抑える。だから、“ビビるな”。
そうこの女の圧に身を竦ませた2人へ伝える。
「ジル……!」
「悪い、セラ。サリアを連れて、頼む。そいつには言わなきゃいけないことがあるんだ」
鍔迫り合いながら、俺はセラにサリアを託す。
彼女には予め伝えていた。万が一の時は、セラがサリアを連れて町まで逃げろと。
とてもそちらに顔を向ける余裕はない。
しかし背中を向けながらでも、セラが息をのみ、目を見開くのは分かった。
「今、この場に鞘は必要無い」
「っ……! 分かり、ました。ジル、お願い……必ず帰ってきて……」
セラはそう泣きそうな声で言い残し、サリアの腕を引いて走っていく。
それを女はみすみす見逃した。言葉通り、もうサリアに興味は無いらしい。
「ふふ、仲睦まじいな」
「……ああ。あの子を泣かせたくないんだ。ここで剣を引いてくれないか」
「それは無理だな。偶然とはいえ、初めての熱なのだ。もしかしたら私は貴様に惚れているのかもしれない」
「笑えない冗談だな……!?」
互いに刃を弾き、再び距離を取る。
そして空気が変わる。
「貴様はジルだったな。あの少女が呼んでいた」
「ああ」
「私はフレア。ふふ、自分から名乗ろうと思うのは初めてだ」
女、フレアは右手に持った剣――刀を俺に突き付けるように向ける。
「さぁ、始めよう」
その言葉を合図に、俺達は共に地面を蹴る。
そして……
サリアに向けられた刃に割り込んだ時、そして挑発に煽られ切りかかった時――
それらのどれよりも激しく、鋭い、刃がぶつかり合う音が樹海に強く響き渡った。
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