第73話 準備はそれなりに
夏季休暇に入り3日が経った。
最悪夏季休暇の殆どを費やす可能性もあるクエストだ。準備は念入りな方がいい。
といっても、大体のものは現地調達だ。食い物を持って行っても腐るし、着替えも魔法で浄化できるから不要。精々サバイバルキットの見直しと――
「はい、ジルくん。セラちゃんの服。言われた通り、それなりに丈夫で地味な、冒険者用の服。サイズも測った通りぴったしのやつ」
「サンキュ、ルミエ」
何故か不機嫌そうなルミエから紙袋を受け取る。外に出るのなら制服は目立つし、そうでなくても美人なのだから注目を集めてしまう。
それなりに地味な恰好をして目立たないようにするというのはマストだ。
「ジルくん、他の女の子の服を買わせに行くなんてどうかと思うよ?」
「悪い、手間をかけた」
「何が悪いのか理解して無いでしょ」
ルミエは呆れ、責めるように溜息を吐く。随分と勿体ぶった、深いタイプだ。
「はぁ……あの後すぐに呼び出してくるから、何かと思ったら。このお代は高くつくよ?」
「ああ、勿論代金は――」
「この服代だけじゃなくて、人件費も後で請求させてもらうから。そうだなぁ、今度お買い物に付き合ってもらおうかな?」
「買い物?」
まるでデートだな、と口にするほど自意識過剰でもないが、なんだか厄介なことを押し付けられそうな気がする。
「……分かった」
「うわ、嫌そう」
「嫌じゃない」
嫌ではないけれど、乗り気ではない。なんだろうこの複雑な感じ。
「分かった、買い物な」
「約束だからね」
ルミエはそう言って小指を差し出してくる。言わずと知れた“指切り”。
ゲームの中にもちゃんと文化として存在していたものだ。
俺も同じように手を差し出し、自身の小指を絡める。
「約束だからね?」
「ああ、分かってる」
屈託の無い笑顔。
だからこそ恐怖を感じるのは何故だろう。
まだセラのことはオープンではないとはいえ、事情を話してミリィかメルトに頼んだ方が良かったかもしれないと、ほんの少し後悔をする俺だった。
「わぁ、これが旅装というものですねっ」
早速、ルミエの買ってきた服を届けるとセラは嬉しそうに中身を広げた。
全体的にベージュや茶色を基調として地味なデザインだが……正直、これで彼女のオーラを仕舞い込めるかは微妙なところだ。
ちなみに、今回の服を買うためにルミエが採寸したため、サプライズではない。にしても、随分嬉しそうだけれど。
「出発は明日だ。制服も、私服も目立つからそれを着てくれ」
「はいっ」
笑顔で頷くセラを横目に彼女が用意したであろう旅用のリュックに目を向ける。それほど大きくないそのリュックは、ほんの数時間、近所にお出かけすると聞いても納得できる程度のものだ。
「そっちの準備は大丈夫そうか?」
「はいっ」
セラには予め持っていくものは指示してある。なんでも彼女は殆ど王都を出たことが無いというし、彼女の感性に任せると必要以上に準備をし過ぎてしまうことは明らかだったからだ。
「でも、なんだかワクワクしてしまいますね。冒険なんて初めてですし、一生縁がないと思っていましたから」
「大袈裟じゃないか? ていうか、この間の一件なんか冒険以上に冒険らしいことしてたと思うけどな」
この間の一件とは当然、学外実習における対魔人・魔物戦のこと。
流石に今回の旅だって、あれを超えるようなハプニングには見舞われないだろう……なんて思うこと自体、一種のフラグなんだけれど。
というかセラの奴、ゲーム序盤と比べても明らかに強くなってるよな。俺の死亡フラグ的に考えると順調にゲームの未来へと向かっているように思えるが、彼女に関してはここからどうにかして弱くならないと整合性が取れなくなる気がする。
「ジル?」
「ん……ああ、いや。何でもない」
急に黙り込んだ俺の顔をセラが心配げに覗き込んでくる。
そんな彼女に悟られないよう、俺は咄嗟に笑顔を浮かべた。
「ていうかセラ、楽しみ過ぎて眠れませんでしたとか言うなよ?」
「う……そう言われるとドキドキしてくるんですけど……」
「明日からはぐっすり眠れるとも限らないからな。今日くらいベッドの感触を楽しんどけよ」
「はーい……って、ジル? もう帰っちゃうんですか?」
何故か残念そうな声を漏らすセラ。
そもそもこうして彼女の部屋を訪れたのは服を届けるという必要があったからだ。そしてその目的が達された以上、無理に留まる理由も無いのだけれど……
「もう少しゆっくりしていけばいいのに……」
「この後、エリックと打ち合わせなんだ。ただでさえこっちの都合で出発待ってもらってる状態だしな。機嫌損ねたらルミエみたいに変に交換条件つけられるかもしれないし……」
「え? ルミエさんがどうしたんですか?」
「いや、どうしたって程じゃないけれど、その服、ルミエに見繕ってもらったんだ。その手間をかけた分、今度一緒に買い物に行くことになって――」
「買い物!?」
セラがその場で飛び跳ねる。
驚いたというには少々オーバーすぎないだろうか。
「ちょっと待ってください。ジル、まさかですが、ルミエさんとお二人で買い物に行くということでしょうか?」
「ああ」
「むむ……それはつまり、デートというものですよね」
「デートって言うのは大袈裟じゃないか? まるで俺とルミエがそういう関係みたいだろ」
この世界におけるデートはやはり前世と大差無い、男女の逢引き的な意味だ。
そして当然ルミエとはそういう関係ではないので、デートというワードを使うのは失礼だろう。
もちろん、彼女は魅力的な女性だ。サキュバスの血が放つフェロモン的なアレも相まって、相当モテると聞く。それこそクラスゼロの落ちこぼれというハンデを背負っているにも拘わらず。
そんな彼女と俺がデートしているなんて周囲の耳に入れば、相当数の男子を敵に回すに違いない。
風評被害で炎上なんて、目も当てられないぞ……
「はっきり断言しておく。俺とルミエはただ2人で買い物に行くだけだ!」
「……それ、女の子の中なら十分デートだと思うんですけど」
なぜか半目――否、ジト目で睨んでくるセラ。怒っているというより呆れに近い。
「……そんなに疑うならセラもついてくるか? 別に2人きりなんて指定はなかったし」
「ジル……」
セラは深々と溜め息を吐く。完全に呆れられたっぽい。
「ジルは強くなる前に女の子に対するデリカシーというもののを学んだほうがいいと思います」
「うぐっ」
「ルミエさんとの”デート”に私がついていくというのは有り得ないので、そちらは是非お二人で楽しんでください」
「は、はい……」
なんだろう、笑顔なのに怖い。
ルミエとはもちろん、セラとだってそういう仲じゃないのに――
「ジル」
「は、はい!」
「それで、私とはいつお買い物に行きます?」
「……はい?」
セラからの謎の提案は、「今回の旅の中で二人で買い物に行くなんてこともきっとありますよ。あはは」という何とも要領を得ない理論でなんとかゴリ押した。
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