第50話 息苦しさ

「ジル」

「よっ、ファクト」


 夜、宿屋の外でボケーっと立っていると、Aクラスに所属する唯一の友人、ファクトがやってきた。

 やってきたというのは変か。最初から待ち合わせていたのだから。


「薄着、だな?」

「え、あぁ……まぁな」


 しっかりブレザーまで着込んできたファクトに対し、俺はワイシャツ姿だ。

 ブレザーはルミエに取られた。いつの間にか彼女が握り込んでしまっていて、離してくれなかったのだ。きっと今頃生娘の柔肌というやつを堪能しているに違いない。


「……すまなかった」


 雑談も一瞬で、ファクトは深々と頭を下げてくる。何の件を指しているのかは流石に俺も分かるが――


「おい、ここではやめておけよ。誰かに見られるかもしれないし。少し移動しようぜ」


 クラスゼロの生徒とAクラスの生徒が親し気に話しているというのでもやっかみを受けそうなのだ、その上Aクラスの生徒が頭を下げたとなれば、俺はどうでもいいがファクトの立場が無くなってしまう。


 そんなこともありファクトの手を引っ張って宿場町の外へ出る。流石に離れすぎると魔獣が出るので、魔獣除けの松明の近くの柵に腰を下ろした。

 

「どうだい、初日のそっちの様子は」

「きっとお前の想像通りだ。そっちは……聞くまでもないか」

「ああ。大変だった。死ぬ――とは思わなかったけど」


 妙に顔を暗くするファクトに対し、俺は大袈裟に笑う。


「本当に死にそうになったら貴族も平民も無い。お前らを囮にして逃げさせてもらうさ」

「おいおい」


 そんな俺のジョークにファクトは少し笑みを零した。まぁ、ジョークと受け取られたかは分からないけれど。


「そうなっても、お前だけは助けてやるさ。こんなくだらないことで死なすのは勿体ないからな」

「随分高いところから評価してくれる。僕も入試の時と同じだと思ったら大間違いだぞ?」

「そんなこと分かってるさ。だって俺がパートナーに選んだ相手だぜ? 伸びしろがあることなんか分かってるさ」

「っ……!」


 一瞬虚を突かれたように目を丸くするファクトだったが、すぐに顔を反らすと「うるさい」と小さく文句を返してきた。


「照れてる照れてる」

「照れてないっ! まったく……元気そうで安心した」

「心配頂きどうもありがとう。明日もゆっくり馬車での旅をお楽しみいただければ幸いでございますよ」

「ああ、そうさせてもらう。それじゃあ次の心配事だ」


 彼らしくない少し意地悪な口調。

 それに妙に嫌な予感がしたが、逃げる前に彼は次の話題を切り出してしまった。


「王女殿下のこと、どうするつもりだ」

「はい? 変なことを聞くなぁ。俺は別に王女殿下なんぞと関わり合いになる関係にはありませんが? なんたって只の一小市民なもんでね」

「ふふっ、随分と饒舌になったな?」

「ぐう……」


 人は不安になるとお喋りになる。

 ファクトにこの話を振られた動揺か、話題自体への動揺か……まぁ、どちらもだろう。

 あれから3か月も時間が経つというのに、俺は未だにセラのことをリセットできていない。


「ここ最近の王女殿下は見ていられないくらい消沈していてな。元々周囲に壁を作りがちだったが、最近は特に――人を寄せ付けようとしないんだ。まさか知らないとは言わないだろうな?」

「まぁな」


 彼女は学院内でも指折りの有名人、なんたって王女様だからな。けれど、ここ最近の話しかけるなオーラは酷い。思いつめたように眉間に皴を寄せて、いつもブツブツ何かを呟いているという。

 取り巻き達も距離を置かざるをえない状況だとか。まぁ、今無理に声を掛けても嫌われて、関係を深めるには至らないだろうからという打算も大きそうだ。


「あいつ、まだ一人ぼっちなのか……」

「ジル、何が有ったんだ? 別に誰もが気が付いている訳じゃないと思うが、入学式の日、お前がクラスメートとやらと喧嘩しそうになった時から、殿下とお前の間には何かあると思っていたんだ」

「あー……」

「ミリィもメルトも心配しているぞ。あいつらもお前の前じゃ口にしづらいみたいだけれど……ああ、勿論お前のことをだ」

「通りで最近妙にぎこちないと……俺がクラスゼロ堕ちしたからだと思ってたけれど」

「馬鹿言え」


 軽く肩を殴られる。ポーズだけだが、少し怒っているのは伝わってきた。


「そんなもので見放すものか。僕らは4人であの試験を乗り切った仲だ。そこでできた絆を僕は、彼女達も大事にしたいと思っているさ」

「……俺だってそうだよ。この学院は息苦しいからな」


 親父の下にいた時には感じなかった息苦しさを俺は感じている。

 強くなる。その目的は変わっていないのに。


 多分、親父の下にいた時は強くなること以外にやることがなかったから良かったんだろう。

 しかし、この学院にはそれ以外のものがゴロゴロ転がっている。ファクトやミリィやメルトたちと学生っぽく楽しいばかりの日々を送るなんてこともできただろう。俺を信頼してくれたお姫様を突き放さない未来だって有っただろう。


 この足を止めてしまうきっかけだって得られたかもしれない。俺が、普通の枠に収まっていいと思ってさえいれば。


「けれど、この息苦しさが俺なんだ」

「ジル……?」

「王女殿下は……いいや、セラはそこに踏み込んでこようとした。手を差し伸べるみたいに。――でも、それを受け入れてしまえば、彼女の手を取ってしまえば、俺はもうこの息苦しい世界に戻っては来れない。それでは駄目だ。何も果たせない。何も……守れない」


 まるで懺悔のように、ファクトに心中を吐露する。彼からしたら貧乏くじを引かされたと思うかもしれないけれど。

 少し空気を和ませるために軽口でも叩くか。まるで水が低い所に流れるように、自然とそんなことを考えた矢先――


――きゃああああああッ!!?

「「ッ!?」」


 悲鳴が聞こえた。知らない声、しかし鬼気迫る悲鳴が。


「ジル!」

「ああ、魔獣だ……!」


 悲鳴と共に聞こえてくる。獣の唸り声が複数、この町を囲むように広がっている。


「それに――この“臭い”」


 いる。

 それだけで血液が、脳みそが沸騰するように熱くなる。


「臭い……? 何かするか……?」

「セラが危ない……!」

「おいっ、ジル!?」


 ファクトの制止も聞かず、俺は気が付けば走り出していた。

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