第17話 ヨルム市の市長

やがて馬車は、無事にヨルムの市都へとたどり着いた。


「じゃあな、嬢ちゃん。日暮れまでにはここに戻ってくるようにしてくれ」

馬車から下りる俺にそう声をかけるセサルに、俺は承諾の返事をする。


俺の後に続いたリアナに対して、セサルは座ったまま深々とお辞儀をし、見た目に似合わぬ丁寧な口調で、いってらっしゃいませ、と呼びかけた。


だがリアナが、その言葉を、まるで聞こえていなかったかのように受け流す。

セサルの苦笑に、俺はただ、似たような表情を向けることしかできなかった。


市内は、ヨーロッパ風の洒脱な木造建築と石畳に囲まれていて、細かく区画分けされたそれぞれの店を、外から少しのぞき見てみると、確かに洋服屋が圧倒的に多いように感じられた。

だがそれ以外にも、書店や鍛冶屋、時計屋などもちらほらとあるようだ。


これらがこの街に特有のものなのか、付近の市や街に広く一般的なものなのかは、比較対象を持たない俺には判断が付かない。


ただ、地図に小さく書かれたヨルム市の説明から、洋服屋が多いこと以外は普通の街とおそらく変わらないのであろう事が察せられた。


「あそこは......」

道に左右に立ち並ぶ店を一軒一軒のぞき込んでいると、自ずと歩みは遅くなる。


だが、リアナにとっては見慣れた新鮮味のない街であるようで、ずんずんと俺の先を進んでいき、やがて耐えかねたように俺の方に振り返ってピシャリと言い放った。


「ノエリア先生! お洋服が見たいのは分かるけど、早くアレシアさんの所に行くわよ!」



市都の中央部、そこから少し離れた丘に、アレシア市長の邸宅は建っていた。


「これは......大きな屋敷だね」

「そうかしらね? うちより少し大きいくらいかしら」


確かに、この家の敷地の広さは、ヴェルタ市のアーネスト市長の屋敷よりも、さらに一回り大きいようだった。


外から見える建物自体の大きさは、アーネスト市長の屋敷とあまり変わらないので、おそらく、庭を広くとってあるのだろう。


扉にぶら下がった金属の輪を鳴らし、しばらく待っていると内側で鍵を回すような音が聞こえた。

ゆっくりと扉が開かれ、内側からタキシード姿の老紳士が顔を覗かせた。


「お待ちしておりました、リアナ様、ノエリア様」

その丁寧な口調や洗練された身のこなしから察するに、おそらくこの家の執事か何かだろう。

「どうぞ、お入りください」


そのまま老紳士に連れられて屋敷の中を進んでいく。壁や装飾の雰囲気などはアーネスト市長の屋敷とあまり変わるところはない。一つ違う所を上げるとすれば、かなり多くの絵画―――魔法使いらしきものを描いた絵―――が廊下に飾られていたことぐらいか。


執事の男がある部屋の前で立ち止まり、軽く扉をノックする。どうやらここらしい。

老紳士に促されるまま部屋に足を踏み入れると、ひとりの女性が、こちらに向けて微笑みかけているのが見えた。


「お久しぶりです、アレシアさん」

リアナは、部屋の中央に置かれた二対のソファに一方に座る、三十代前半くらいの整った顔立ちの女性に声をかけた。


「こんにちは、リアちゃん。久しぶりね。元気そうでなによりだわ」

どうやらこの人が、アレシア市長のようだ。そして彼女は、今度は俺の方に一瞬視線を向けた。


「それで、そちらの方はどなたかしら?」

「あ、えっと、こんにちは。リアナの家庭教師をしている、ノエリアです。」


そう自己紹介すると、彼女は相好を崩し、俺に笑いかけて言った。

「そう、あなたがリアちゃんを助けたっていう子ね。よろしく、ノエちゃん」

気さくな市長の言葉に、よろしくお願いします、と俺は軽く頭を下げた。


「まあ、とりあえず座ってもらえるかしら?」

市長はそう言って、空いている方のソファを俺とリアナに勧めた。


その言葉に甘えて俺達がソファに腰掛けたちょうどその時、アレシア市長の隣に座っていたもう一人の人物が、俺の顔を視界に捉えて不意に口を開く。

「あ、あの時のお姉ちゃんだ!」


そう言って無邪気に俺を指さしたのは、初めの森の中で、俺に助けを求めてきた少女、サラだった。

俺はその幼い少女に軽く微笑みかけた。


「それで、今日はどうしたんですか、アレシアさん」

リアナがソファに浅く腰かけた姿勢のまま質問する。


「あら、別に大した用事ではないのよ。リアちゃんの元気な姿が見たかっただけで」

そう言って笑うアレシア市長に合わせ、リアナも同じように小さく笑う。だが、その目はその言葉を信じているようではなかった。


部屋に響いた笑い声が止んだ後、アレシア市長は何でもないことのようにこう切り出した。

「……そういえば、ノエちゃん。あなた、リアちゃんを森で助けたんだってね。娘が嬉しそうに話してたのよ。ねえ?」


言って隣に座るサラに市長が顔を向けると、サラは無邪気に頷いた。


「うん! そのお姉ちゃんがね、リアちゃんにチューしてたの!」

おい、ちょっと待て! 俺は心の中でサラに向かって叫ぶ。


あれはキスではない。正当な蘇生行為だ。やましいことなんてない!

だが、リアナはそう思わなかったらしい。キッと、不審そうな視線を俺の方に向けてくる。


「ノエリア、どういうことかしら?」

「いや、だからそれは、リアナを回復させるために」

「気絶した人間にキスするなんて蘇生方法がどこの世界にあるのよ!」


俺が前にいた世界だよ。というか、あれはキスじゃない。

「そう、それなのよ!」


と、唐突にアレシア市長が語調を弾ませて言った。

「寝込みを襲って人を蘇生するなんて聞いたことが無いわ。一体、どんな魔法を使ったの、ノエちゃん?」


決して寝込みを襲ったわけではない、断じて。

だが、目を爛々らんらんと輝かせるアレシア市長は、そんな俺の言葉を聞いてはいないようだった。

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