第12話 メイドの仕事

「先生、これに着替えてきていただけますか?」


魔法の練習の後、昼食にセラフィが作ってくれたホットサンドを食べ終え、部屋に戻ろうとした時、セラフィが声をかけてきた。


「何、これ?」

セラフィの手の上の、たたまれた状態の白と黒の服を指さして尋ねる。


「何って、制服ですよ。着替えたら、とりあえず食堂に来ていただけますか?」


疑問形の丁寧語ていねいご、それでいて有無うむを言わさぬ迫力はくりょくのある口調で、セラフィはその布のかたまりを俺の方に押し付けた。

セラフィが去っていった後の廊下ろうかで、一人服を広げた俺は、状況を理解して深くため息をついた。


白いエプロンのようなものがついた、ヒラヒラの黒ベースな服。すなわち、

「メイド服か……」


そういえば、そんな約束をした気もする。俺は大人しく部屋に戻り、その衣装いしょうに着替えることにした。

常見時久、約束は守る男である。


「どう、ですか?」

食堂に戻った俺は、嬉々ききとした表情で待っていたセラフィの前に立った。


なぜかそこにはリアナもいて、算術さんじゅつの教科書を読むふりをしながら、ちらちらとこちらに視線を送ってきている。


「最高に可愛いですよ、先生。妹になってほしいですよ」

妹の事を先生呼ばわりする姉ってなんだよ。いや、そうではなく。


「それで、私は何をすれば?」

セラフィに授業をしてもらう代わりに、俺がセラフィの仕事を手伝う。それが元々の約束だったはずだ。


「ああ、そうでしたね。では、先生は屋敷内の掃除をお願いします。このお屋敷、お部屋の数が多い分、掃除が一番大変なんですよ」

それからセラフィは、廊下や大広間おおひろまなど、どこをどのようにして掃除すべきかを簡単に説明していった。


「あとは魔法実験室まほうじっけんしつですが、あそこは無闇むやみに触れると危険なものもありますから、今日はいいでしょう。以上ですが、問題ありませんか、先生?」


魔法実験室という言葉に軽く興味をひかれつつも、俺は軽く頷いて返事した。

掃除はそれなりに自信がある。小学生の時も中学生の時も、学級で一番掃除をしていたのは、間違いなく俺だ。


「では、私は庭か厨房の方にいますので、何かあればお呼びください」

セラフィはそう言って、すたすたと庭の方へと足早に去っていく。


何だかんだ言って、セラフィも忙しいんだな。

俺も、このまま突っ立っている訳にはいかない。

慣れない大きく広がったスカートのすそを気にしつつ、そでを少しまくって、窓を拭き始めた。


「…………似合ってるわよ、ノエリア先生」

教科書に視線を落としたまま、リアナが答えた。

俺は、不意にめられて少しずかしくなってしまったのを誤魔化ごまかそうと、茶化ちゃかすようにして答えた。


「ありがとう。今は先生つけなくていいよ、メイドだからね」

するとリアナが、突如とつじょ声を低くして、静かに尋ねた。


「じゃあ、ノエリア。一つ、聞いてもいい、かしら?」

「どうしたの? リアナ」

「ノエリア……ノエリアはさ、今の仕事、嫌じゃ、ない?」


今の仕事って、窓拭きの事か?


「別に、掃除は嫌いじゃないよ」

「そうじゃないの、そうじゃなくて、家庭教師の仕事。お父さんが、無むりやりに頼み込んだって、聞いたから……」


ああ、なんだ、そっちか。

「嫌いじゃないよ。むしろ、市長やリアナには感謝してる。もしここで家庭教師として働かせてもらえてなかったら、私、どうなってたかわからないし」


この世界がどんな世界かもわからないまま、森の中に投げ出されたのだ。もしリアナや市長がここに連れ帰ってくれていなかったら、きっと俺は魔獣か何かにおそわれてあっさりと2回目の死を迎えていたはずである。


そういう意味で、リアナたちは俺にとって、命の恩人おんじんと言っても過言ではない存在なのだ。しかもそれだけではなく、こうして働き場所や寝床までも与えてもらっている。いくら感謝してもしきれないほどだ。


「そ、そう。なら、良かったわ」

そう言ってリアナは、教科書を手に席を立ち、扉の前で去りぎわに振り返る。


「ノエリア先生、可愛いわよ、その格好」

「うん、ありがとう」


そうリアナに微笑ほほえみかけて視線を戻すと、みがかれた窓に反射はんしゃして、メイド服の金髪少女の姿がはっきりと映っていた。



それから、応接間おうせつまや玄関など、指示された場所の掃除を一通り終えた俺は、セラフィがいるであろう厨房を探して屋敷内を歩き回る。


確か厨房は2階だったはずだが、とにかく広いので探すのに時間がかかる。そもそも昨日までは、自分に割り当てられた部屋と食堂、広間や風呂場ふろばぐらいにしか行くことが無かったのだ。それゆえほとんどの部屋が、今日初めて入る部屋だった。


「どこだ……」

そして俺はふと、気になる部屋を見つけた。扉の横のプレートには、魔法実験室とある。

一瞬いっしゅん逡巡しゅんじゅんの後、俺は少しだけ扉を開けて中を覗き込んだ。


セラフィは危ないものもあると言っていたが、外から覗き込むくらいなら構わないだろう、と自分に言い聞かせる。火がついてしまった好奇心こうきしんは抑えられないものだ。


覗き込んだ姿勢しせいのまま中を見まわす。そこは実験室と言うよりかは、倉庫に似た印象をいだかせる部屋だった。


壁際かべぎわ無骨ぶこつな見た目の棚がいくつも並べられていて、そこに薬品や器具らしきものが雑然ざつぜんと並べられている。


試しに入口から一番近くにあった瓶のラベルを読むと、「クロリネ」と書かれていた。

他にも「ジンク」や「フェルム」など様々な見た目のもの並べられている。


一方、部屋の中央に視線を移すと、そこには直径2メートルはありそうな大きな黒い円が描かれていた。何かの儀式にでも使うのだろうか。


そして、その円から少し外れた場所に、光る小さな玉のようなものが転がっているのが見えた。


何だろうか、と思い近くで見ようと実験室に足を踏み入れかけたちょうどその時、俺は廊下を近づいてくる足音を耳にして、それをあきらめた。


何事もなかったかのように扉を閉め、廊下の角を曲がったところでセラフィと遭遇そうぐうする。

「セラフィさん、掃除、一通り済みましたよ」


「そうですか、ありがとうございます。さすが、手際がいいですね。どうです、メイドになる気はありませんか?」


冗談めかしたセラフィの言葉に、俺は笑って返した。

「掃除を手伝うくらいなら、構いませんよ。」


そもそも、家庭教師の仕事は一日4時間しかないのだ。教えるために予習の時間が必要と言っても、掃除をするくらい大した負担にならない。


そもそも、セラフィ一人にばかり家事を任せて、ここで世話になっている俺が何もしないというのも、おかしな話だ。


「なら、明日も準備しておきますね、メイド服!」

いや、ちょっと待て、セラフィ。メイド服を着るとは言ってない!


夕餉ゆうげの準備ができましたから食堂にいらしてください、と上機嫌じょうきげんで言うセラフィに、俺の叫びは届くはずもなかった。

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