ピーチ・ザ・ニトロバースト

第1話 ダイイングパッセンジャー(死の同乗者)

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ピーチ 求人 高収入♪

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ピーチの バイトは 高収入♪


 私は今、都会の街中でよく見る爆音求人トラックに追いかけられている。

 ガソリンは底を尽きかけ、車体はボロボロ息絶え絶え、腹はペコペコ喉カラカラ、目はしょぼしょぼの頭ズキズキである。

 とはいえ、運転手は私ではない。

 ハンドルを握っているのは二十歳の女子大生、中野咲穂さんだ。

 私の職業は自動車教習所の教官。

 一応、高速教習の最中である。


 中野さんはとにかく運転が下手で、路上教習に出せば死人が出てしまうのではないか教官内で緊急会議が起きるほどだった。だがそういうわけにもいかないので、とにかくチンタラ走らせるという上で合意された。

 しかし彼女の教習車には誰も乗りたがらず、仕方なく毎度くじ引きで、

【ダイイングパッセンジャー(死の同乗者)】を決めた。

 高速教習を私が引き当ててしまった時でさえ遺書を書いておかなければとすら思ったのに、それを上回って余りある大惨事が現状、起きている。


 約十時間前、時刻は午後一時。

 インターに入る前から私は中野さんに何度も「とにかくゆっくり走ればいいから」と釘を刺した。彼女は無意識のうちに口をポカンと開けながらアクセルをベタ踏みしてしまう癖があったからだ。

 それでも最初は快調に走っていた。時速六十キロほどの滑らかなスピードで、徐々に口が開き出せば「スピード、気をつけて」と声をかけた。

 十五分ほど走ったところでSAに入った。高速教習は誰もが緊張する。ガチガチになられるとこちらも困るので、早め早めに休憩を作り、リラックスさせるのだ。

 私は中野さんにジュースを渡し、「緊張する?」と尋ねた。すると中野さんは、「ゲボ吐きそ~。吐いたらどうしたらいいですか?」と言った。意外にも、まだ大丈夫そうだった。


 事件が起こったのは次の区間だった。

 時々ポカン口になる中野さんを抑えながら教習を進めていると、背後から、

 

 ピーチ ピーチ ピーチ 求人♪


 あの曲だ。あの曲が流れてきたのだ。

 中野さんが、

「ピーチ ピーチ ピーチ 求人♪」

 とリラックスした表情で鼻歌を歌っている頃はまだ良かった。

 だが、その地獄はその直後から始まってしまった。

 中野さんは知ってる曲にリラックスし過ぎたのか、アクセルを踏むのを忘れてしまい車はどんどん減速した。

「中野さん、アクセル踏んで!」

 私のその言葉がきっかけでハッとした中野さんは息を吹き返した。

 が、その時点で時速二十キロ。高速道路では殺人になりかねないスピードだ。

 そのせいで背後に迫っていた求人トラックは車間距離を詰め、そしてけたたましくクラクションを鳴らしてきた。

「中野さん、危ないから!」

 中野さんは、今度は泣きそうな顔でハンドルを握り締めた。

 そしてまた次第に口がポカンと開き、アクセルがベタ踏みになり始めた。

「中野さん! 踏み過ぎ! 今度は踏み過ぎだから!」

 それでも中野さんはアクセルを踏み続けた。

 意識が「涙を流さないこと」に集中してしまっていたのだろう、私の声は彼女の耳まで届いていなかった。

 高速道路上で補助ブレーキは、さすがに使う勇気が出なかった。

 時速は百二十キロを超え、周りの車が避けて走った。

 百キロを超えてから約三分間もの間、素人ドライバーの無意識ドライヴが続いた。生きた心地は既にしなかった。

「中野さん危ない! 中野さん別に悪くないからゆっくり走って!」

 再びハッとした表情をし、自分が思いがけないスピードで走っていることを知ると、ようやくアクセルから足を離してくれた。

「そろそろSAだから、そこで停まって。帰りは私が運転していくから」

 中野さんは頷く。高速教習はやり直しだ。というより、こんな人に免許を渡してもいいのだろうか? 

 そう考えていると背後から再び、


 ピーチ ピーチ ピーチ 求人♪


 と聞こえた。減速開始して二十秒、求人トラックがもう迫ってきていることにやや違和感を感じた。そして求人トラックはきっとこの教習車が目に入ったのだろう、爆音クソ莫迦ソングを停止して内蔵のスピーカーに切り替えた。

「ピーチ ピーチ ピー……。おいそこの教習車! 何煽ってくれとんねんボケェ! 轢き殺したるから待っとけ! こちとら荷台にニトログリセリン積んで走っとんねん! 車ごと突っ込んで爆殺したろかコラァ! ……チ ピーチ ピーチ 求人♪」

 桃色の旋律が鈍色の戦慄を走らせた。

 同時に、素人ドライバーの様子を伺うが、時すでに遅し。中野さんは窓を開けないまま、「ウェップゲボボボボォ」と豪快に嘔吐した。

 その間も停まる事なく求人トラックは唸るエンジン、スピード爆速、車間距離をどんどん詰めてきた。

「中野さん! いいからとにかく走って!」

「先生~こんなの私オロロロロロ」

 二発目の吐瀉をこっちに向けて吐いた中野さんは胃液と涙と鼻水で顔面がグシャグシャだった。それでも「激突されたらジ・エンド・オブ・ユーアンドアイ! 最期が私みたいな知らない大人でもいいのか!?」と無理やり奮い立たせ、「やだ! 彼氏と一緒がいい!」と脳みそすっからぴんワードを引き出すことには一応成功した。

 口ポカ状態ではアホみたいにスピードを出すくせに、運転に集中せざるを得ない状況になった途端、「速くて怖い……」とか舐めたことを言い出した中野さんの頭をはたき、

「代われるなら代わりたいけど! どうせモタモタするだろうしそのリスク考えたら代われないんだろ! だからさっさとテメェが運転して逃げろ間抜け! 全部お前の運転が荒いせいだ!」

 と責任を全部押し付けた。中野さんは二度「ウェ、ウェ」と催したのち、「死にたくないよ~」と泣いた。

「私だって死にたくないんだ!」

 そう言いながらビンタすると、彼女は泣き止んだ。

 私はとにかく急いで警察に電話した。

「○○インター近くでピーチピーチ高収入に追われてます!」

そう告げると電話番から「何件も通報が入ってんでもう向かってるっつーの。電話切んなよ〜、繋げたままにしろよ〜ったく」と言われた。

 電話を繋げたまま指示通り走り、ようやくSAの看板が見えた。

 電話番は「SAに交通機動隊を配備してっから、そっち逃げて」と告げた。

 私は中野さんに「そのままSAに突っ込め!」

 そう命令した。命令を受けた中野さんは「ギィィ」と悲鳴にならない悲鳴を上げ、ノーブレーキのままSAの駐車場内に突っ込んでいった。

 確かにSA内には大量のパトカーや白バイが停まっており、教習車を見つけるなり慌てて動き出した。背後からはもちろん「ピーチで高収入」である。

 横一列に並んだパトカーの運転手たちが目を光らせた。

 教習車が通り過ぎたのを見計らい、求人トラックの行く道を封鎖するらしいことが分かったため、私は中野さんに「あの間をすり抜けろ!」と叫んだ。中野さんは半狂乱になりながら上手くパトカーとパトカーの間をすり抜けた。

 それを受け、パトカーが前進し、車体と車体をドガンとぶつけながら引っ付け、運転手たちが外に飛び出し、安全圏まで逃げた。

 これで終わるだろう。私も警察も確信した。

 だが、求人トラックはスピードを緩め、パトカーの手前で一時停止したのち、助手席の窓からタンクトップの女が機関銃で現場の警察官たちを一斉掃射で殺害した。

 そして再び前進し、倒れた警察官の死体とパトカーを踏み潰して再び私たちを追ってきたのである。

「中野さん、ダメだ! 逃げるんだ!」

 私は叫んだ。中野さんは絶望の眼差しでバックミラーを見ていたが、正直中野さん以上に私は絶望していた。マイナス百万点の素人運転で猛追する狂人トラックから逃げるなんて、万に一つも可能性がないと思ったからだ。


 それから約一時間、緊張の糸は未だ張り付いていた。開始すぐはまだ沢山車が走っていた道路上も、その頃になると一台も通っていなかった。走っているのは教習車と大きな桃がそれぞれ一台。きっとその後方にはパトカーやらが走っていることを願いながら。

 空には中継用と警察のヘリコプターがそれぞれ一台ずつ飛んでいた。何かしらの策になる気がしたが、どちらも追ってくるだけで何の役にも立たなかった。

 電話は途中で切った。繋げていてもメリットがなかったし、それに本当の緊急時に充電が無くなっていたらと思うと怖かったからだ。

 エンジン音とヘリコプターの羽音、それに爆音ピーチが高速道路上に響いていた。

 中野さんは疲労困憊、涙でメイクは剥がれ、固まったゲロが口元にこびりついていた。車内は酸っぱい臭いが充満していたが、機関銃を見てしまった以上、窓を開けると撃たれる気がして開ける勇気が出なかった。

 それでもなんとか、残った気力を振り絞って車を走らせてくれていた。もう口が開きっぱなしになることはほとんどなかった。

 

 二時間以上が経ち、二県を跨いだところで電話が鳴った。相手は警視庁の偉い人からだった。

「このまま君たちのためにずっと道路を閉鎖していると日本の経済が回らなくなる! 我々としてはとにかくさっさと解決したい。上を見てくれ。君たちをずっとヘリが追いかけているだろう。あのヘリには爆弾を積んである。ついては、君たちの周りに爆弾を落としてニトログリセリンごとトラックを爆破したい。もっとも、君たちに危険が及ぶ可能性があるだろうが、なんとか避けてくれ。以上」

 反論する前に電話は切れた。

 中野さんにこのことを告げると発狂する可能性もあったので、しきりに「何の電話ですか」と訊く中野さんに、「マルチの勧誘だから気にするな」と嘘をついた。

「あいつらガチクズですからね。私の友達も詐欺られてました」

 私の嘘を信じた彼女の目は、どこか寂しそうだった。

 

 さらに半時間後、ポリスバトルヘリから一発目の爆弾が投下された。爆弾は何も知らされていない中野さんが操縦する教習車の右、半径十メートル以内に着弾し、爆風に煽られた教習車は数秒の間、片輪走行を行った。

 下手にハンドルを切れば横転していたが、何が起こったのか分からずに意識をどこかへぶっ飛ばしていた中野さんはハンドルを持つ手に力が入り、ガッチリと直進方向に固定してくれていた。

 バックミラー越しに道路を確認すると、道路上には炎が燃え上がり、硝煙が立ち上っていたが、それをかき分けるように暴走求人トラックは飛び出してきた。


 ピーチ ピーチ ニトロで 爆破

 ピーチ ニトロで 大炎上♪


「ダメだ、全然効いてない」

 思わずそう口走ってしまうと、中野さんは、

「何がですか、何か知ってたんですか!」

 と私に詰め寄ってきた。私が口をもごもごさせていると、見境なく撃ってきた二発目の爆弾が教習車の後方約二メートル以内に着弾した。

「うぎゃぁぁ!」

 教習車は爆風に跳ね飛ばされて前方宙返りし、地面で大きなバウンドをした後、タイヤを左右に大きくスリップさせながら再び直線の軌道に戻った。その爆発で高速道路そのものに亀裂が入って傾いたが、それでもやはり求人トラックは何事もなかったかの如く我々を追ってきていた。

「何ですか! 今の何なんですか!」

 などと喚き慄く中野さんを私はビンタして黙らせ、

「とにかく運転しろ! それしか生きる方法はないから!」

 と一喝した。

 中野さんは「ぐびぃ」と鼻血を啜ってハンドルを握り直した。

 電話が鳴り、私は出た。やはり偉い人からであった。

「んー、よく避けたけど、向こうもノーダメだから、とりあえず急ブレーキ踏んで貰っていい? 君たちが通せんぼしてる間にミサイルブチ込むから。死んだら死んだで英雄視されるから大丈夫よ。国民のために死んでね。よろで~す♡」

 私は「うるせえお前が死ね!」と言って電話を切り、中野さんに「必ず生きて帰るぞ」と話しかけた。中野さんは口から泡を吹きながら白目をひん剥いていた。どうやらビンタした時に誤って鼻骨が折れ、前頭葉に刺さって感情を失ってしまったようだった。

 死にかけのカニみたく泡を吐く中野さんに「生きるぞ!」と一喝し、運転させ続けた。それから爆弾が三発投下され、中野さんは潜在意識下で全て避けた。前頭葉が傷つき、感情を失ってしまったものの、人間の脳で未だ使用されていない未知の分野が急速に発達、予知能力を身につけたようだった。

「中野さん、君は未来が分かるんだね!?」

「エエ」

「我々はこれからどうなるんだ!」

「ギギギ……運命では、死にます。しかし、それは我々の宿命ではありません」

「禅問答かい?」

「ギシャー」

 中野さんは泡を吹いた。

 泡がフロントを覆ったが、中野さんは目を閉じながらでも運転を続けられた。


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 ピーチは 空から 舞い降りる♪


 日が落ちる前に中野さんはETCのバーを破壊して突破し、高速道路から降りた。いつから営業していないのか分からない、ズタボロのラブホテル廃墟がある山奥のインターだった。教習車は道なき田園地帯を走り続けた。勿論ピーチは猛追してきていた。中継ヘリとポリスバトルヘリも暇なのかなんなのか、やることもないのにずっとついて来ていた。

 山奥、崖下をどうどうと流れる激流の寸前、百八十度ターンを決めて教習車は求人トラックの真向かいに停車した。

「どうするつもりだい?」

 私が尋ねると中野さんは、

「ギリギリで避けて、あいつを崖下に沈めます。フットルースでケヴィン・ベーコンが農耕車でやってたやつっぽく決めます」

 と言った。私はフットルースを見ていない。

 上手い具合にそうなればと願ったが、求人トラックは眼前約二十メートル手前で停車した。

 バラバラバラバラ、空から絶えず聞こえる中継ヘリとポリスバトルヘリの羽音。二機の重奏が更に三に増える。桃色のヘリが空を舞っていた。

「な、なんだ? ヘリが増えたぞ」

 増えた桃色のヘリからミサイルが放たれた。ミサイルは中継ヘリとポリスバトルヘリをいとも簡単に撃墜した。

 二機は近場の森に墜落し、爆発炎上した。火はすぐさま燃え広がり、辺りはたちまち火の海と化した。

 

 ピーチ ピーチ 燃え盛る 森

 ピーチ この世の 見納めじゃ♪

 ピーチ ピーチ 今夜は 焼肉

 灼熱で 焼いた 人肉じゃ♪


 桃色ヘリがちょうど教習車の真上に来た時、中から紐が垂れて桃色特殊部隊員が教習車へと降下してきた。隊員はボンネットに乗り、踵に電動回転ガラス割りマシンを装着した靴でフロントガラスを破ろうとした。

 間一髪、中野さんはギアをバックに入れた。ムチ打ちになるような重力を背中に感じながら教習車は後退、隊員はボンネットから振り下ろされた。それは良かったのだが、教習車は勿論崖下へ転落した。

 

 ピーチ ピーチ 後ろは 奈落

 ピーチ 落ちたら サヨウナラ♪

 

 教習車はぶんぶんぶるんと後方宙返りを繰り返しながら奈落の底に落ち、反転状態で着水し激流によって川下へと流された。

 窒息死するやいなやの最中、桃色ヘリからミサイルが飛んできた。さすがにこれまでか、私はそう思い目を瞑ったのだが、そのミサイルは当たらず、寧ろ巨大な波を発生させ、その水の勢いで強く吹き飛ばされた教習車はラブホテル廃墟の屋上スカパーアンテナをへし折ってから高速道路上へと戻ったのだった。

 

 そして話は佳境、何も話が展開されていないはずのオープニングへと時間が進む。

 それからガソリンが無くなるまで人っ子一人見当たらない高速道路上をぶっ飛ばし続けていた我々は、ついに世界の端まで到達してしまっていた。

 世界の果てには大きな滝があり、その先は無が広がっているものだと考えられていたが、実際はそうではなかった。確かに大きな滝はあるものの、その先にまだ見ぬ大陸が広がっていたのである。

 果ての寸前に立てかけられたジャンプ台を使い、勢いよく飛び出せば我々はまだ見ぬ大陸に到達でき、なおかつ求人トラックを撒くこともできるだろう。

 私は中野さんを嗾けた。

「わーっしょい! わーっしょい! 飛べぇーっ!」

 教習車はスピードを上げ、ジャンプ台へと向かった。

 向かいの大陸は近づけば近づくほど絶妙な距離に位置しているのがわかった。

 果たして飛び出せるのか、私の手には汗が握られていた。

「いけいけいけ! ボケェー!」

 

 ピーチ ピーチ ジャンプで 到達

 ピーチ 落ちれば 虚無の中♪


 教習車がジャンプ台に迫った。

 中野さんの口はべろりんと開き、中から泡がゴボゴボと吹き出していた。

 行け、君なら飛べる。さあ、まだ見ぬ世界に飛び出そう。

「いけぇ~!」

 私は歓喜と恐怖を持ちながら助手席で立ち上がった。

 そして、誤って補助ブレーキを踏んでしまった。

 急停車に耐えきれなかったアスファルトが火花を噴き散らし、教習車はノロっと最果ての虚無へ落ちた。

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