第四十二話:幼馴染の匂い

「おー、れん菜摘なつみ


 おれと小佐田おさだが向かうと、家庭科室からちょうど制服エプロン姿のあずさが出てきた。


 中を覗き込むと家庭科室を使っているのは1年3組だけではなく、飲食物を提供する予定の複数のクラスや部活が共同で使っているらしい。そりゃそうか。


「おう、梓。タピオカは上手に作れたか?」


「おい蓮。普段あんま笑わねーくせに、こういう時だけニヤニヤしてんじゃねーよ」


「あれれ、ほんとだ、須賀すがくんが笑ってる。どして?」


 不快そうに顔をしかめる梓に、小佐田おさだが首をかしげた。


「こいつ、あたしが小学校の時に調理実習でフライパンの上で火を起こして野菜を焦がしてからあたしが料理できねーってバカにしてきやがるんだ」


「だって……! あれ、フランベだろ……! 超高等技術……! やろうと思って出来ることじゃねえ……!」


「ええっ!? 須賀くんが爆笑してる!?」


 思い出したらお腹がよじれるぐらい面白くなってきた。今同じことが怒っても多分何も面白くないんだけど、その時に面白かった記憶がよみがえってきてなんか笑いがこみ上げることってある。


「ていうか聞いてくれよ小佐田。それだけじゃないんだって。こいつ、米を洗う時に……」


「あっ、わかった! 洗剤で洗っちゃったんでしょー? 梓ちゃん、ダメだよー?」


「んなことしねーよ……そーじゃなくて」


「先生に『かまかたむけてとぎじるを流してください』って言われて、米粒ごと全部流しに捨てたんだよ。ザバーって……! あー面白い……」


「もーいーだろその話は……何年間してんだよ」


 当時の唖然あぜんとした先生の表情と同じ班の人たちのあんぐりと開いた口を思い出してまた笑いの波が押し寄せてくる。


「んんんんん……! 本物らしいエピソードで須賀くんが楽しそうにしてる……!」


 小佐田が謎に足をバタバタとさせている。


 数秒経って、おれの笑いが落ち着いたころ、梓が続けた。


「つーか、タピオカは作んねーよ。冷凍タピオカをお湯で解凍するだけだ。それを、大量に作って冷やしといた紅茶と牛乳とガムシロ混ぜたやつにぶち込んで終わり。あたしにだってそれくらい出来る」


 心外だ、とばかりに鼻で息をしたあと、小佐田に向き直った。


「……で、あたしになんか用か?」


「あ、そだそだ。梓ちゃん、おめでとう! ミスコンの候補に選ばれたって!」


「はあ? ミスコン?」


 眉をひそめる梓に、小佐田が丁寧ていねいにミスコンの仕組みやそれを小佐田が撮ることになった経緯を説明する。


「なるほど。んで、写真か……。別にいーけど、あーゆーのって凛子りんこみてーな清楚せーそな女子が出るもんじゃねーの? なんか女子アナみてーな写真撮らされんのイヤだかんな……?」


「んんー、そだよね。どんな写真にしよっか?」


 そんな話をしていると、家庭科室から、ちょくちょく見かけるピンクベージュのふわふわ髪の先輩が出てきた。


「あずさちゃん、どぉしたのぉー? あぁー、こないだプリント運ぶの助けてくれた後輩ちゃんだぁー。どもどもぉー!」


「2年6組のホームルーム委員さん! こんにちは! あれ? 梓ちゃんと先輩はお知り合いなんですか?」


 小佐田が首をかしげる。


「ああ、この人はあたしの部活の2年生。英里奈えりなセンパイ」


「どぉも、えりなですー!」


 うへへぇーと怪しげな笑みを浮かべる。


 おれと小佐田は改めての自己紹介と、梓がミスコン候補に選ばれたという話を説明した。


「んんー、なるほどなるほどぉー。あぁ、ちなみにえりなは2年生の部で優勝する予定だよぉー?」


 候補かどうかじゃなくて優勝まで決まっているらしい。賄賂わいろかなんか渡してるのだろうか。


「へ、へえ、すごいですね……!」


 困ったように笑う小佐田(真面目バージョン)をさておいて、英里奈先輩は「んんー、あずさちゃんをプロデュースするならねぇー……」などと頼んでもいないことを考えながら梓のことをジロジロ見ていた。


 ややあって、ポン、と手を叩く。


「あのねぇ、あずさちゃんはカッコよくて女子モテするからぁ、男子の制服とか着たらいいんじゃないかなぁ? どぉ?」


「なるほど、その手がありますねっ!」


 英里奈先輩の提案に急にテンションをあげて乗っかる小佐田。


「どぉどぉ? あずさちゃん?」


「んまあ、女子じょし女子じょしした感じで撮られるよか気がラクかもですね」


「じゃあ、決定だね!」


 いえーい、と英里奈先輩と小佐田がハイタッチ。いきなり仲良いな。


 英里奈先輩は勢いづいて話を続けた。


「そしたら、誰の制服を着るぅー? あ、そぉだ、えりなのクラスがねぇ……」


 と、そこまで言いかけてやめて、むふふ、と悪魔のような笑みを浮かべる。


「……ねぇねぇー、キミの制服を貸してあげなよぉー?」


「はい……おれですか?」


「まあ、他に手がないよねえ……」


 すると、小佐田が複雑そうな顔でうなずく。


「まー他の男子にいきなり頼む意味もわかんねーし、蓮、頼んでもいーか?」


「まあ、梓がいいならいいけど」


「決定だねぇー! ほいじゃ、当日写真見るの楽しみにしてるねぇー? ばいばぁーい」


 そう言って、英里奈先輩は無責任な提案だけをして立ち去って行った。


「……あの人のクラスは何を出すんだ? 食べ物? 飲み物?」


「いやーそれが英里奈センパイのクラスは飲食じゃねーらしーんだよ」


「え、じゃあなんであの人ここに来てんだ?」


「男子ダンス部のセンパイに会いに来てたらしい。ついでにあたしのクラスのタピオカがバエるとかバエないとか言ってたけど」


 確かになんかインスタとかやってそうだもんな……。ていうかあの人ホームルーム委員なんじゃないのか? 遊んでて大丈夫なんだろうか。


「じゃあ、英里奈さんのクラスは何やるんだろね?」


「んー。なんつってたかなー……」





 ということで。


 おれは一度教室に戻り体育着を取って来て、トイレで体育着に着替えて制服を梓に渡し、今度は梓がトイレに入ってそれに着替える。


「梓ちゃん、きっとカッコよく着こなすんだろうねっ!」


 「そうだなあ……」


 などと会話をしていると、トイレのドアが開き、梓がわずかに頬を赤らめて出て来た。


「なー、ほんとにこれでいーのか……?」 


「んな……!?」「わぁーこれはこれで……」


 そのブカブカのYシャツとズボンは、もはや『彼シャツ』状態で。


 普段のカッコいいイメージとのギャップもあいまって、なんというか、その、出来上がっていた。


「なんか、蓮も、あたしの知らねー間におっきくなってんだな……」


 梓はそう言ってから、癖のようにスンスンと袖口そでぐちを顔にあてていで、


「でも、匂いは変わんねえな。ははっ」


 と笑った。


「んんんんん……! ちょっと、須賀くん、腕貸して」


「はあ……?」


 戸惑っている間に小佐田がおれの腕を取り、鼻を押し付けて来た。


「わたしも幼馴染として、蓮くんの匂いを覚えておきたい」


「なんだそれ……。ていうか、これ、おれの匂いじゃなくてレノアの匂いだよ」


 なんせ洗いたてだからな。


「ええっ!? そ、そっか……。わたしんちもレノアにしよかな……」


「なんでだよ……」


 意味不明な小佐田にあきれていると、


「あっ!」


 梓が小さく声をあげる。


「どうした?」


「思い出した。英里奈センパイのクラス、うちの制服を着て写真撮れるスペースって言ってた……!」


「ええっ!? じゃあ、そこで制服借りたら良かったんじゃんっ!?」


 おれは英里奈先輩の先程までの含んだような笑みを思い出して、ぞっとする。


 なんか、底が知れないな、2年生……。

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