第一話:世界はそれを幼馴染と呼ぶんだぜ

 一旦いったん話を聞くところまでを、なし崩し的に約束させられたおれは小佐田と共に、より人目ひとめにつかないところに移動する。


 おれたちの高校、武蔵野むさしの国際こくさい高校こうこうは自然が豊かで、誰も用事がないので寄り付かないようなしげみがたくさんあるのだ。


 その中でもいっとう誰もこない、校舎から離れたところに立つ。


「……で、具体的に何するんだよ?」


 おれはため息混じりに訊いてみると、


「じゃーんっ! この中のどれかを実践じっせんしてみたいと思いますっ!」


 小佐田はおれの目の前にA4のノートを広げた。


 そこの上部には『幼馴染っぽいこと!』と元気なオレンジの文字で書かれており、その下につらつらと箇条書きで色んな行動が書かれている。


・お互いのことを下の名前で呼ぶ(他の人のことは名字で呼ぶのに!)

・お互いの家でご飯を食べる

・風邪を引いた時に看病する

・なぜか合鍵を持ってる

・妹ちゃんと仲良し!(でも妹ちゃんはお兄ちゃん好きだからヤキモチ妬かれちゃったりする)


 などなど……。


 うん、分かった……こいつ、結構まじでキてるな……。


 これでも、学年で言うと、かなり人気のある女子だったと思う。告白してフラれたと言う男子がいたとも聞いたことがあるし、今度の学園祭でやるミスコンでも有力候補の1人に数えられていた気がする。いや、顔が可愛いというのはおれにも理解できるけど……。


 なかば呆然ぼうぜんと言葉を失っていると、小佐田はそれを感心ととったのか、


「えっへへー、いろんなマンガを読んだりしてね、『これは!』っていうのをメモしといたんだー!」


 と胸を張る。


「……暇なの?」


「ヒマ!? ヒマじゃないよっ! これ全部書くのに3時間くらいかかったんだからっ!」


 いや、それが暇じゃないと出来ないって言ってるんだけど……。


「ねね、須賀くんはどれやりたい?」


「おれに意見はねえよ……」


「ええー、協力的じゃないなあー!」


 頬を膨らませる。まじでなんなのこの人……二次元から出て来たの?


「まじでなんでもいいよ」


 もはや自暴じぼう自棄じきである。


「ええー、じゃ、上からやってこっか!」


「はあ……」


 一番上に書いてあったのってなんだっけ……?


 と2人でノートを覗き込む。


「「う……!?」」


 そこに書いてあったのは、


『お互いのことを下の名前で呼ぶ(他の人のことは名字で呼ぶのに!)』


 だった。


 そっと小佐田の顔をみると、かぁ……っと頬を染めている。


 すると、見返してきた小佐田が、


「須賀くん、顔まっかだよー……?」


 とか言ってきた。


「小佐田もだよ……」


「う、うそ!?」


 なんだこの空気……。


「じゃ、これ、やってみようかー……」


 小さく、おー、と小佐田が右手をグーにしてげた。


「やらないだろ……!」


「ううん、だめ! じゃないと、あの秘密、本当に言うよ?」


「お前、それは……!」


 もう、しらん、どうにでもなれだ。


 おれは、大きく息を吸う。そして。





「……菜摘なつみ





「……ほぇ?」


 小佐田が目を見開いて口を開けてとろけるような顔をした。なんでだよ?


「ほら、呼んだ! もういいな?」


「えっ、もっかい呼んで……?」


「なんで!?」


「ちょっと1回目は衝撃が強すぎて実感出来なかったから……」


 謎理論……!


「まじでもう一回だけだからな!?」


「う、うん……!」


「あー……菜摘なつみ


「なぁに?」


「返事しなくていいっての……」


 もうやばい、死ぬ、やめたい、帰りたい、逃げたい!


「えーっと、じゃ、次、わたしの番だね……?」


「は? いいよ、もう帰ろうぜ!」


「ダメダメ! お互いのことを呼ばないと!」


「なんだよそのしばり!」


「いいから、ね?」


 恥ずかしい……。これ、処刑もいいところだろ……。


 目をぎゅっと閉じて、うつむき、受刑者のように、呼ばれるのを待つ。


「えーっと……」


 ほら、やるなら早くしろよ……!


「んーと……」


 ためらえばためらうほど恥ずかしくなるだろ……!


「……ねね、須賀くん。下の名前なんだっけ……?」


「はあ!?」


 覚えてないのかよ! それでよく幼馴染とか言ってるな!?


「教えてくれない……?」


「覚えてないならもういいだろ! 帰る!」


 もう我慢できない! 恥ずかしすぎる!


 おれは振り返って歩き始める。心のどこかで残念な気持ちがあるような気はしたが、そんな感情も黙殺もくさつした。


「待って!」


 すると、カバンごとぎゅっと引っ張られた。


「んん!?」


 勢いづいて振り返ると、斜め下にうつむきながら、耳を真っ赤にしている小佐田の姿。


「……くん……」


「はあ?」


 何を言いたいのか聞こえなくて、耳をそちらに向けると。


れん……くん……」


「……!」


 その名前は、おれの名前に違いなかった。


「忘れたことなんか、ないよ……?」


 潤んだ瞳でこちらを見上げてくる。


「……そう、かよ」


 おれも言葉を失う。


 無言の時が流れる、秋風がそよそよと吹き抜けていった。


「えーっと……帰ろっか、蓮くん……?」


「いや、もう名前呼びは勘弁してくれ……」


 仮にも美少女だ。心臓がもたない。


 どちらともなく、なんとなく並んで家路についた。どうやら幼馴染ごっこは満足してくれたらしい。危なかった、これ以上続けてたら死んでた……。


 ていうか一緒に帰ってると、なんだかそれこそ幼馴染って感じがするな。


 そういえばどこまで帰り道一緒なんだろうか?


「小佐田は、新小金井しんこがねい駅から帰るのでいいか?」


 そう訊いてみると。


「え? あ、わたしうちこの辺……自転車で帰るね……?」


 と駐輪場の方へ向かっていく。


 まさかの0メートル! なんだよ、全然幼馴染じゃねえじゃん。


「そうか……じゃあな、小佐田……」


 手を振って、とぼとぼと歩き出そうとすると、


「れ、蓮くん!」


 と後ろから呼び止められる。


「だから、名前呼びは……」


 と言いながら振り返ると。


「明日!」


「明日……?」


「また、幼馴染しようね!」


「……いや、まじで勘弁してくれ……」


 小佐田のその朱色しゅいろに染まった頬が夕焼けによるものなのかどうなのか、もうその顔を直視することができないおれには、いよいよ分からなかった。 

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