自炊男子と女子高生

茜ジュン

書籍化記念Ep

【書籍化記念Ep①】自炊男子と夏の朝

「ふわあ~~~……もう朝か」


 敷き布団に寝転がったまま大きく伸びをして、俺・夜森夕やもりゆうは呟いた。夏の訪れを感じる六月の朝、網戸を除いて開け放たれた掃き出し窓から入り込む微風が肌に心地よい。


「って、まだこんな時間かよ……」


 携帯電話の液晶画面に表示された時刻は七時二〇分。普段なら起床する頃だが、今日みたいな休日に起きるには早い時間である。

 大学の授業やバイト、友だち付き合い。学生というのは世間の大人が思っているほど暇ではない。さらに一人暮らしをしている場合、加えて家事までこなさねばならないのだ。かくいう俺も実家を出てこの安アパートに一人で暮らしており、今日も食材や日用品の買い出しに行く予定が入っている。


「(でも、まずは二度寝だな……昨日もバイトで大変だったし、日曜くらい昼まで寝てたっていいだろ)」


 誰に文句を言われるわけでもあるまいし、と欠伸あくび混じりに考え、俺は静かに両の瞳を閉じた。そしてそのまま、再び夢の世界へ舞い戻――


「お兄さーーーんっ! 朝ですよー――っ!」


 ――ろうとしたところで響いたその大声に、思わずビクッと跳ね起きる。慌てて網戸を開けてベランダへ出ると、仕切り板を挟んだ向こう側から「あっ、お兄さん!」と耳慣れた少女の声が聞こえた。


「おはようございます、お兄さん! いい朝ですね!」

「……ああ、おはよう、真昼まひる。俺もそう思ってたよ、一〇秒前まで」

「? 今日は一緒にお買い物に行く約束でしたよね! もう起きてるなら、今からお部屋に行ってもいいですか?」

「『もう起きてるなら』って、あたかも俺が最初から目覚めていたかのように言うんじゃないよ」


 ツッコミを入れつつ部屋に戻り、玄関へ向かう。そして鍵を開けて待つこと数秒、先ほどの声の主が扉を引いて現れた。

 可愛らしい、顔だちに少し幼さの残る女の子だ。清潔感のある白いワンピースに身を包む彼女の名は旭日あさひ真昼。うちの隣室に一人で暮らす、高校一年生である。

 そんな女子高生は、俺の姿を見るなりお日様のような笑顔を浮かべて言った。


「お邪魔しまーす! あれ? お兄さん、まだ着替えてないんですか? それに髪も、すごい寝癖がついちゃってますよ?」

「そりゃついさっきまで寝てたからな、俺……というか真昼、ベランダ越しに大声で起こすのはやめてくれよ。近所迷惑だろ」

「ご、ごめんなさい。でもこんな時間にインターホンを鳴らすのは非常識かなと思って……」

「こんな時間に大声で叫ぶのも非常識だけどな?」

「次からは常識の範疇はんちゅうで大声を出して、お兄さんを起こすことにします」

「いや、大声で人を起こすことが既に非常識なんだよ」


 根本的になにか間違っている少女にため息をつく。本人には一切悪気がないというのが困りものだ。俺は「まあいいや」と話を区切って、靴を脱いだ女子高生を部屋へ上げる。


「あっ、ついさっきまで寝てたってことはお兄さん、まだ朝ごはん作ってないですよね?」

「ん? ああ、そうだな」

「それじゃあ今日は私が作ります! お兄さんは座って待っててください!」

「お、おう? じゃあ任せようかな」


 名誉挽回のつもりなのか、やたら張り切っている真昼に頷いて返す。

 ちなみに「お兄さん」なんて呼ばれているが、彼女は俺の妹ではなく、もちろん恋人などでもない。むしろ今年の春に出会ったばかりの間柄だ。それがいろいろな事情が重なった結果、妙に懐かれてこうなってしまったのである。

 ……正直、一人暮らしの男の部屋に女子高生が出入りするのはどうなのかと今でも思う。


「(でもこの子、なにかと危なっかしいからなあ……)」

「? どうかしましたか、お兄さん? さっきから私のこと、ずっと変な目で見てますけど」

「変な目で、って……」


 言いたいことは分かるが、もう少し言葉を選んでもらいたい。もし街中で人に聞かれたら間違いなく通報されていただろう。いや、女の子を不躾に見つめていた俺が悪いんだけども。なお、やはり本人に悪気はないので、「?」と小首を傾げていた。


「それでお兄さん、今日の朝ごはんはどうしますか? ごはんにしますか? パンにしますか? それともバナナ?」

「最後の選択肢なに?」

「なにって、お兄さんが特売でたくさん買ってきたバナナですよ。そろそろ食べきらないと、皮がだいぶ黒っぽくなっちゃってるんですよね」

「ああ、そういえば……じゃあヨーグルトでもかけて食っちまおうか。バナナは朝食にいいって聞くし」

「そうなんですか!? そういうことなら早速食べちゃいましょう、黒くなったお兄さんのバナナ!」

「間違ってはないけど言い方が最悪すぎる」


 冷蔵庫から取り出したバナナを手に純真無垢な笑顔を咲かせる女子高生とは対照的に、汚れた耳から入ってくる言葉が引っ掛かって微妙な表情を浮かべる俺。繰り返すが、この子には本当に悪気はない。ただ中途半端な邪悪より、無邪気のほうが恐ろしい場合もあるというだけだ。

 閑話休題。台所に立った真昼は、両手でバナナの皮を剥きながらこちらを見上げる。


「でもお兄さん、バナナとヨーグルトだけじゃお腹空いちゃいませんか?」

「俺は全然大丈夫だけど、君はそうだろうね」

「あはは、それじゃあ私がお兄さんより食いしんぼうみたいじゃないですかあ~」

「事実では?」


 そう、この旭日真昼という少女は可憐な容姿に反してなかなかの健啖家なのだ。バナナに多く含まれる糖質はエネルギー源として優秀だが、これだけでは流石に足りるまい。

 俺は戸棚からハチミツの瓶コーンフレークの袋、冷蔵庫から食パンとイチゴジャムを取り出し、彼女の前に置いた。


「今うちにあるものでバナナとヨーグルトに合いそうなものっていったらこのあたりかな。今日使うヨーグルトは無糖だからハチミツで甘味を足せば美味いだろうし、コーンフレークは食感に変化を出せて面白い」

「なるほど! バナナは柔らかいから、ザクザクしたコーンフレークと一緒に食べたら楽しそうですね! でも食パンとイチゴジャムは? いつもみたいにトーストにするんですか?」

「食パンは焼かずに、バナナヨーグルトを挟んで食うんだ。サンドイッチみたいにさ。店で売ってるような生クリーム入りのフルーツサンドとはちょっと違うけど、ヨーグルトもさっぱりしてて美味しいよ。イチゴジャムを使って酸味を足してもいいし、ハチミツを塗って甘さたっぷりにするのも美味そうだな」

「どれもおいしそうですっ!? は、早く作って食べましょうお兄さんっ!」

「はいはい。コレ切ってからな」


 急かす少女に代わり、包丁でバナナを一口大にスライスしてやる。この時、より細かく刻んだものも一緒に用意しておくといい。パンに挟む場合はそのほうが食べやすいからだ。

 それらをヨーグルトで和えて適当な器に盛り付け、他の食材と一緒に部屋のローテーブルまで運ぶ。ドリンクはシンプルに牛乳。俺はそのままいただくが、真昼はハチミツを入れて温め、ハニーホットミルクにしたようだ。


「この時期にホットって、暑くないのか?」

「大丈夫です! おいしいものは我慢、ってやつですよ!」

「『オシャレは我慢』だろ」

「おしゃれは我慢、おいしいものも我慢……人生って案外、我慢の連続なのかもしれませんね」

「ハニーホットミルクで人生を悟るんじゃないよ、女子高生」


 アホな会話を交わしつつ、小さなテーブルに向かい合って座る。綿の少ない座布団の上で胡座をかく俺とお行儀よく正座した真昼は、揃って両手を合わせて言った。


「「いただきます」」


 なんだか小学校の給食を思い出す。俺は毎食「いただきます」と「ごちそうさま」を言えるようなきちんとした人間ではなかったのだが……いつの間にか、真昼に影響されているらしい。

 食べることが大好きなこの子は、きっと俺と出会う前――一人ぼっちで食事をしていた頃から、こうして手を合わせてきたのだろうから。


「んう~~~っ! すっごくおいしいですね、この〝ハニーバナナフレークイチゴジャムサンド〟!」

「いや名称よ。もうちょっとなんとかならなかった?」

「こんなにおいしいのに作るのも簡単だし、朝ごはんにぴったりですね! やっぱりお兄さんはすごいですっ!」

「また大袈裟な……そもそも真昼、なに食べても『おいしいです!』しか言わないだろ。食えればなんでもいいんじゃないのか?」

「そんなことありませんよ? いくら食用でも、昆虫とかはあんまり食べたくありませんし」

「出す例が極端すぎる」

「あっ、お兄さんお兄さんっ! 今日のお買い物の時、またバナナ買ってきましょうよ! 次は私が自分でおいしいものを作りますから!」

「はいはい、分かったわかった」


 食べながら早くも次のメニューを考え始める女子高生に苦笑しつつ、俺もバナナヨーグルトを一口。

 二度寝は阻止されてしまったものの、朝から活力エネルギーを得られたような、そんな夏の出来事だった。

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